芹沢鴨暗殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 10:20 UTC 版)
ちょうどこの頃に壬生浪士組は新選組と名を改める。 9月16日、新選組は角屋で酒宴を開いた。芹沢鴨を暗殺するためである。そして午後6時頃になると芹沢らは隊士たちを残して壬生の八木家の本宅に帰り、更に飲み始めた。芹沢、平山、平間はそれぞれ女も連れていた。やがて夜も更け、芹沢たちは眠りについた。 この日、八木家では主人の源之丞が他出しており、本宅では妻のマサが左側の六畳間に二人の子供を寝かせながら夫の帰りを待っていた。そのマサは、芹沢暗殺時のことについて、「沖田総司と原田左之助のいたことは確かに見た」と証言しており、西村兼文も「近世野史」で芹沢暗殺メンバーの1人として左之助の名前をあげている。
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