個性派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/01 09:36 UTC 版)
GIを2回、GIIを4回獲得するという戦績からは一流選手と言える。スタートの早さは現在も健在で同ハン選手を置き去りにすることが多い。外一本の捲りも強力で全盛期には後方から追い上げる強豪選手に対しても「山おろし」で押さえ込むこともよくあった。ただし、勝てないと分かった時のレースでの諦めの早さは時としてファンに誤解を与えることがあった。 昭和53年1月2日浜松オートレース場で第10レースに出走した小松久二一が残り1周回で2番手を走行中、周回誤認。当該レースにおいては1着も十分に狙える位置にいたため、自警本部に納得のいかないファンが説明を求めに詰めかけた。11レースは15分遅れで異常なく競走を終了したが、終了後も説得を了承しない約200名のファンが残り、抗議を続けていた。異議を申し立てるファンは退場することなく場内施設に対して危害を加えたため開催執務委員長は警察機動隊の出動を要請、結果的にその後の2日間の開催を打ち切るという事態へと発展した。
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