個性と見解
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/16 14:51 UTC 版)
ボーラは革新派共和党員であり、しばしば党の保守派とは強く意見が対立した。頑固だという評判もあった。保守的な大統領カルビン・クーリッジがボーラの乗馬好きの話を聞いたとき、大統領は「ボーラ上院議員が馬と同じ方向に進むと想像するのは難しいね」と答えたということである。 アイダホ州の保守派共和党員で著名な知事かつ後にアメリカ合衆国上院議員となったフランク・R・グッディングもしばしばボーラとの確執があった。自身の党内から反対があったにも拘わらず、ボーラはアイダホ州内や他の地域で強い政治力を持ち続けた。 当時、米国公認会計士協会会長だったウォレス・E・オルソンは、所得税法やその税率を冷笑してアメリカ合衆国議会での討論に次のように報告した。 多くの反対者が表明した恐れというのは、ここで提案されている法案とその低い税率は「テントの中のラクダの鼻」(布石のこと)であり、一旦法制化されれば、税率が上がっていくだろうことだった。アイダホ州のウィリアム・E・ボーラ上院議員はそのような危惧に対して激怒し、税率が最終的に20%にまで上がるだろうという示唆をあざ笑った。ボーラは「誰がそのような社会主義的税率を押しつけられるだろう?議会だけだ。またアメリカ合衆国民の代表である議会が公平さ、公正さおよび愛国心をそれほど無くしておれるだろうか?」と問うた。 1931年、ボーラはヴェルサイユ条約とポーランド回廊の改定、および昔のハンガリー王国からオーストリア、チェコスロバキア、ルーマニアおよびユーゴスラビアに領土を割譲したトリアノン条約の改定に賛成すると表明した。 1932年、ボーラはジュネーヴで会した1933年ロンドン経済協議会の起案者達の提案、すなわちアメリカ合衆国は世界恐慌からの回復手段として政府間負債を清算すべきという案に強い反対を表明した。
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