試衛館とは? わかりやすく解説

試衛館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/28 19:25 UTC 版)

市谷柳町25番地にある試衛館跡記念柱

試衛館(しえいかん)は、江戸時代末期(幕末)に江戸市中にあった、天然理心流剣術道場である。

歴史

天保10年(1839)、近藤勇の養父である天然理心流3代目近藤周助(?-1867)が創設した。

文久元年(1861)、4代目を勇(1834-1868)が継ぐが、勇の上洛により、佐藤彦五郎(1827-1902)と幕臣寺尾安次郎が留守を預かり、慶応3年(1867)まで存続した。

この道場には、既にのちの新選組の中核をなすメンバーが顔を連ねており、門弟として土方歳三沖田総司井上源三郎山南敬助、食客として永倉新八原田左之助藤堂平助斎藤一(『浪士文久報国記事』による。ただし、斎藤については不明な点がある)等がいたとされる。

名称について

名称の根拠は、小島鹿之助1873年(明治6年)に記した『両雄士伝』の近藤周斎の割注に「構場(号試衛)江都市谷柳街…」とあるのみで、江戸時代の記録に試衛館の三文字が記述された史料はない。新選組の隊旗が「誠」であったことから、誠衛館の誤りと推測する説もある。さらに、大石学も『新選組 「最後の武士」の実像』(中公新書)中で“史料には試衛という名称しか示されていない、試衛館の名は確認できない”としている。

場所をめぐる問題

試衛館は江戸市谷甲良屋敷(作事奉行配下・幕府大棟梁の甲良氏の所領。現在の東京都新宿区市谷柳町25番地)にあり[1]、近藤家の住居も兼ねていた。『佐藤彦五郎日記』の万延元年(1860)の項には、同所において練兵館神道無念流剣術)と交流試合を行ったとされている。

市谷甲良屋敷は、甲良氏が幕府から拝領した土地を町人に賃貸していた賑やかな商店街であった。その商店街にあって、近藤周助の身元保証人である山田屋権兵衛の所有する蔵の裏手に試衛館があった、と山田屋の子孫である田畑家では言い伝えられている。

一説には、試衛館は現在の市谷甲良町1番地(市谷柳町のすぐ隣)にあったともされているが、同地には文政年間より明治10年代まで吉野元順という医師が代々「回春塾」という医塾を開業していたことが確認されている[2]

平成16年(2004)3月、東京都新宿区教育委員会が「市谷甲良屋敷=市谷柳町25番地」という説に基づき、25番地内に記念碑を建立している。ただし、25番地内での詳細な位置は試衛館の名称と共に今後の研究課題である。

試衛館を舞台にした作品

小説
『新選組 試衛館の青春』 松本匡代著 - 土方歳三、沖田総司、斎藤一ら、若き日の隊士たちの青春群像を描く全40話のオムニバス短編集。
漫画
あさぎ色の伝説和田慎二 - 新選組を題材とした作品、未完。京都へ旅立つまでは試衛館時代のエピソードが主体となる。

脚注

  1. ^ 『東京府名所図会』、『牛込区史』
  2. ^ 『東京府学事開業調書』

参考文献

  • 月刊剣道日本』1978年9月号 特集天然理心流と近藤勇、スキージャーナル
  • 永倉新八『浪士文久報国記事』中経出版、2013年

関連項目

外部リンク

  • 試衛館 - 現在「試衛館」を名乗る天然理心流の道場
  • 市谷柳町試衛館 - 「試衛館」を名乗る新撰組及び地元史の研究愛好家の団体

試衛館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 03:17 UTC 版)

アサギロ 〜浅葱狼〜」の記事における「試衛館」の解説

沖田総司 少年時代の名は沖田惣次郎白河藩江戸屋敷に住む足軽次男実際長男だが婿養子沖田家を継いでいる)。9歳より天然理心流学び12歳白河藩剣術指南番村上仕合をし勝利する。しかし、村上の首を斬る時、村上自信の腹には、傷が付く前に、斬ってしまい、白河藩牢屋にずっと解放されずにい、そんな中当時島崎勝太の後の近藤勇助けられ命を救われる島崎勝太が、沖田解放するため、雨の日でも素振りをする姿を見て自分も刀を持ったような感じで、イメージトレーニングもしていた。近藤勇総司天然理心流5代目考えていた。性格は剣のこと以外には抜けていて、清河八郎に「剣のみの男」と評される山口一(後の斎藤一)に近藤勇襲われその後対決し勝利本作主人公近藤勇 天然理心流4代目登場当初島崎勝太の名前だったが、道場を次ぐときに名を改めた山口一と話をするが、逃げられ講武所剣道教授見習就任内定取り消され、すごく本を読み自分のやるべきものを一時期猛烈に探した努力人でもある。 山南敬助 仙台藩脱藩浪人北辰一刀流千葉周作門人。自らの剣に悩む求道者として描かれる竹刀剣道ではない試衛館の剣風に魅かれ、道場破り訪れたことで近藤勇らと知り合う。剣の腕は、道場破りをした際に沖田惣次郎負かすほど。同じく食客である永倉藤堂からは慕われているが、土方とはそりが合わない井上源三郎 天然理心流剣技才覚は低いが試衛館門下生としての矜持人一倍強く稽古熱心。近藤が「一の男」に襲撃された際は、身を挺して立ち向かった山南敬助には、剣道破り来られた際には、負けている。 土方歳三 多摩薬売り天然理心流出稽古には参加していなかったが、我流の剣は近藤勇認められていた。山賊との戦いのなかで懇意の人を失ったことを悔いて天然理心流合流する面倒臭がり性格だが、筋を通すことを何よりも重視する永倉新八 松前藩藩士永倉勘次の子神道無念流本目録の腕前真面目な性格だったが、些細なことで人を斬り殺し、同じ道場に通う浪人市川宇八郎大人遊び教えられ性格一変市川と共に諸国巡り歩く。その後江戸戻ったときに遊郭近藤勇出会い彼の人柄に惹かれる。試衛館を訪れたときに試合申し出るが、山南圧倒したものの、沖田三本突き受けて敗北沖田から一本でも勝とう道場通い続けるうちに食客になった藤堂平助 伊東道場北辰一刀流を学ぶ。剣術試合沖田総司為す術なく敗れたことから伊東甲子太郎激怒させてしまい、試衛館への間者という名目厄介払いさせられてしまう。近藤勇から沖田弟子になるように言われ彼の理不尽な指導受けていくうちに、剣の才能開花させた。津藩君主藤堂和泉守落胤ではないかとも言われる

※この「試衛館」の解説は、「アサギロ 〜浅葱狼〜」の解説の一部です。
「試衛館」を含む「アサギロ 〜浅葱狼〜」の記事については、「アサギロ 〜浅葱狼〜」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「試衛館」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「試衛館」の関連用語

試衛館のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



試衛館のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの試衛館 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのアサギロ 〜浅葱狼〜 (改訂履歴)、MUJIN-無尽- (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS