試行錯誤の繰り返し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 16:13 UTC 版)
「サウスウエスト航空」の記事における「試行錯誤の繰り返し」の解説
当初、サウスウエスト航空はヒューストンではインターコンチネンタル空港に発着していたが、ヒューストンにはもう1つ、ホビー空港が存在した。すでにホビー空港はすべての旅客航空会社が撤退していた が、市街地から近いことから、サウスウエスト航空が主なターゲットとするビジネス客には適した空港であった。1971年11月14日より試行的にホビー空港発着便を設定したところ、利用者数が急増した ため、サウスウエスト航空は直ちにヒューストンでのすべての発着便をホビー空港に移した。都市部に近い第二空港に発着する手法は、その後格安航空会社の成功の法則の1つになっている。 この頃、毎週金曜日には定期点検のためヒューストンからダラスまで航空機をフェリーフライトすることになっていた が、同年11月末からはこれを営業運航することとし、運賃を片道10ドルに設定した ところ、特に宣伝をしなかったにも関わらず大きな評判となった。当時、この区間の通常運賃は20ドルだった が、利便性志向 と低価格志向 の双方の市場をカバーするべく、平日朝から夕方までの運賃を26ドルとし、逆に平日夜と土休日の運賃を13ドルに引き下げた ところ、乗客数が増加した。これが米国航空業界において、ピーク時とオフピーク時で異なる運賃とする制度の始まりである。 1971年9月にはボーイング737をさらに1機追加購入し、スピードアップや州外へのチャーター便に使用する計画を立てた。ところが、連邦地方裁判所はサウスウエスト航空に対して、州外チャーター便の運航を禁じた。収入は増えてきてはいるものの、まだ安定した経営状態ではなかったため、ボーイング737は1972年5月にフロンティア航空へ売却された。手元資金の不自由さは解消されたものの、すでに4機使用を前提で計画した運航計画を実行できるかが問題となった。航空機を10分で折り返しすればダイヤが維持できることが判明、以後「折り返し時間10分」がサウスウエスト航空の特徴の1つとなった。
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