考古学的探索及び回収活動とは? わかりやすく解説

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考古学的探索及び回収活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 14:16 UTC 版)

ロバート・F・マークス」の記事における「考古学的探索及び回収活動」の解説

Drake's 湾で1595年沈没したマニラ大型帆船San Augustin号を含む、カリフォルニア沿岸難破船探索および調査行った。(1950年-1953年North Carolina Development Board後援の下、南北戦争密航船の位置突き止め人工遺物回収行った。(1953年-1954年米国海軍第6艦隊合同での6ヶ月にわたる地中海巡航の期間中に、アゾレス諸島スペインフランスリビアイタリアギリシャエジプト難破船探索行い、古い難破船15隻の位置突き止め、その調査行った。(1954年6月-12月ノースカロライナ州Cape Hatterasで、南北戦争Monitor級の装甲艦位置突き止めた。(1955年プエルトリコおよびバージン諸島で、1650年-1800年期間のスペイン英国難破船数隻の位置突き止めた。(1955年-1956年1957年まで知られていなかった、Mayan寺院サイト天然井戸、zacbes (儀式用土手道)およびBritish HondurasメキシコQuintana Rooコスメル島洞穴墓地発見したメキシコNational Institute of Anthropology and History人類学歴史学省)と協力してTulumCobaXelhaおよび、そのほかのあまり知られていないQuintana Roo東海岸マヤサイトコスメル島ムヘーレス島海図作成行ったDzibilchaltunマヤ天然井戸人工遺物探索回収をTulane大学考古学部指揮のもと行ったフロリダ大学John Goggin教授アシスタント努めスペインの植民地サイトYucatanいくつかの現場発掘行った。(1957年2月-1959年9月スペイン大型帆船Nuestra Senora de los Milagros 号(1741年沈没)の残骸発見し、同現場で一連の発掘作業3件を行い最後のものは、公的なMexican Underwater Exploration Society (CEDAM) がスポンサー)、メキシコQuintana Roo20万点超の人工遺物回収した。(1957年スペイン大型帆船Nuestra Señora de los Milagros 号(1741年沈没)の残骸発見し、同現場で一連の発掘作業3件を行い最後のものは、公的なMexican Underwater Exploration Society (CEDAM) がスポンサー)、メキシコQuintana Roo20万点超の人工遺物回収した。(1957年中南米沿岸カリブ海、LeewardおよびWinward諸島およびBahamas諸島探索し1550年-1800年の間に難破したスペインフランス英国オランダおよびポルトガルの船50隻超の難破船サイト位置突き止めた。(1959年11月-1960年2月アゾレス諸島Terceira周辺探索しAngra湾で16世紀末期-17世紀初頭スペイン船4隻の位置突き止め、さらに、同島のFanal湾でも同時期の3隻の位置突き止めた。(1960年5月-1961年7月古代ローマ水没都市であるCarteyaおよびBolonia(南スペイン)の水中探査行ったスペインMuseo Provincial de Cadiz後援の下、Cadiz港およびTarifa、Zahara、Sanlucar de Barrameda沖で難破船サイト突き止め探索した。(1960年-1962年) Smithonian Institutionスポンサーとなり行われたバミューダ16世紀スペイン難破船サイト考古学上の発掘作業参加した。(1963年8月) Roncador、Quinta Sueño BanksIsla Providencia(西カリブ海)への調査探索組織し指揮執るその結果スペイン植民地で、いくつかの重要な難破船サイト位置突き止め、主要サイトのうち4カ所の探索行った。(1963年6月-7月および1965年5月-11月Institute of JamaicaとJamaican National Trust Commission後援の下、1692年地震により水没したPort Royal市の考古学的発掘指揮行った。この発掘は、現在に至るまで西半球で最も広範囲に及ぶ水中考古学発掘とされている。200万点超の人工遺物回収し当該プロジェクトに関して40点の科学報告書執筆した。(1965年11月-1968年6月ジャマイカSt. Anne’s湾で、クリストファー・コロンブス1504年沈没した難破船2隻を発見した。(1968年2月フロリダ州メルボーン市のReal Eight Co. Inc.のためのResearch and Salvage捜索回収部門)にて部長務める。夏にはフロリダ沿岸沖で、1715年沈没した船団難破船発掘行った。各年の夏季以外の時期には、バハマ諸島メキシコおよびコロンビアで、旧い難破船位置突き止め、その回収作業行った。(1968年6月-1971年1月バハマ諸島Bimini島およびAndros島沖で、地形の形成水没した城壁建造物に関する考古学的調査行った。(1969年8月1971年7月1976年12月サウス・カロライナ州Charleston市およびSullivan's、 Island市沖で、南北戦争密航船3隻を発掘した。(1970年1月-2月メキシコのCEDAM後援の下、Yucatan半島陸上および水中考古学的探索行った。(1971年4月-5月1976年2月-3月Minnesota Historical Society後援の下、WinwardおよびLeeward島グループカリブ海9島周辺水中考古学サイト探索行った。(1971年2月メキシコToluca湖で、コロンブスによるアメリカ大陸発見以前人工遺物考古学的な調査行った。(1971年6月Panama Institute of Tourism後援の下、Panama 地峡両側の水中考古学サイト探索した。(1972年12月1972年1月1973年4月1975年3月フロリダ州St. AugustineからマイアミまでAlcoa Seaprobe号に乗船し古代船号の深海難破船探索参加した。(1972年3月11月メキシコ湾Dry Tortugas諸島南の水深1,500フィート海域で、ソナー装置やTVSS(テレビ探査回収システム)を使用して17世紀初頭スペイン難破船位置突き止めた現場確認のため、同サイトから碇が引き上げられた。(1972年11月Little Bahama Bankにて目視ソナー装置および磁気探知機使用した探査行い1656年沈没したスペイン大型帆船Nuestra Senora de la Maravilla号を含む難破船合計21隻を発見した。(1972年6月-10月レバノンDept. of Antiquities(古美術品省)の招待により、レバノン国のByblosTyreSidon古代フェニキア海港探索行い紀元前5世紀および紀元前4世紀フェニキア難破船(その一つには、赤褐色小立像の積荷があった)や、紀元前3世紀および紀元前2世紀古代ギリシャ難破船2隻、紀元前1世紀古代ローマ難破船2隻、さらに6世紀ビザンチン帝国難破船1隻などを発見したDepartment of Antiquities(古美術品省)用に、すべてのサイト積荷から標本採取した。(1973年2月1974年7月Turks and Caicos Historical Society招待により、Turks および Caicos諸島周辺の島のひとつで、コロンブス最初の航海初め上陸したかどうか確認するための探索をし、17世紀初頭-19世紀半ばにかけての難破船11隻を発見した。(1971年11月1973年3月1977年3月英国政府招待により、南太平洋Ascension周辺海域探索行いWilliam Dampier船長Dampier’s HMS Roebuck号を含む、16世紀中期-18世紀初頭にかけての難破船4隻を発見した。(1973年3月Florida Keys内の20平方マイル海域を、目視磁気探知機利用した探索行い16世紀から18世紀にかけての難破船9隻を発見し、その調査行った。(1973年5月-10月現地政府招待によりGrand Cayman周辺海域探索しいくつかの難破船発見した。(1973年11月1978年2月オランダ政府後援の下、カリブ海のSt.Eustatius島のOranjestad沖で、1687年水没した水中都市位置突き止め、その海図作成行った。同サイト水没した建造物海図作成加えいくつかの難破船発見し、その調査行った。(1973年12月Haifa大学Elisha Linder博士指揮の下で、イスラエル北海岸沿い海域での水中考古学調査と発掘作業参加した発掘物大半は、港湾構造物および十字軍難破船であり、Acre海域集中していた。この海域ではまた、AthlitとShavei Zion海域で、私はフェニキア難破船4隻およびヘレニズム古代ローマ難破船いくつか捜索するチーム統率した。(1975年9月-10月1976年5月パナマ政府後援の下、パナマ太平洋側大西洋双方沿岸探索行った太平洋側Pearl諸島周辺大西洋側のChagres川の河口Porto BelloNombre de Dios、さらにSan Blas諸島周辺海域で、広範囲にわたり目視磁気探知機使用して探索行い1800年以前難破船44隻を発見しいくつかの現場で試掘のための穴を掘削。(1976年6月-11月1977年2月-7月中米Belize国沖の海域海底探索行いそれまで未着であった7カ所の難破船サイト発見した。その中の2ヶ所は、17世紀スペイン商船のものであった。(1976年4月オーストラリア政府招待により、オーストラリア西海岸沖で、17世紀および18世紀オランダ難破船サイト4ヶ所、さらに他の時期他国籍の難破船サイト探索した。(1977年8月-9月オランダAntilles政府招待により、St. Martin’s、SobaおよびSt. Eustatiusの各島周辺海域水中考古学調査行いそれぞれの島の沖合難破船サイト確認政府に対して徹底した発掘をするよう推奨した。(1977年10月-11月MarathonKey Largo間のFlorida Keys海域で、難破船多数探索発掘行った。それらの中には1733年大型帆船船団3隻と1622年商船および1750年ころのフランス商船各1隻が含まれていた。(1978年3月-7月ケープ・カナベラル沖およびその周辺海域で、広範囲にわたり目視および磁気探知機使用した探索行いいくつかの難破船発見したものの、劣悪な作業環境のため発掘作業はできなかった。(1978年7月-9月Little Bahama Bank40平方マイル海域で、空からの査察目視、また磁気探知機使用した探索行い16世紀半ば-19世紀後半にかけての難破船28隻の位置突き止めた。(1978年10月1979年7月-9月ユネスコモーリシャスDepartment of Education教育省)の後援によるモーリシャス・プロジェクトで、空からの査察目視により暗礁探索行い1800年以前難破船18隻の位置突き止めた。その中には16世紀ポルトガル東インド貿易船4隻と17世紀および18世紀東インド貿易船フランスオランダ英国)7隻が含まれていた。この探索の期間中に、1774年沈没したフランス商船St. Geran号発掘チームコンサルタント務めた膨大な数の人工遺物回収され同国Maritime Museum海洋博物館)に保管され、また展示もされている。(1979年2月-4月ブラジルNaval Museum of Rio de Janeiroリオデジャネイロ海軍博物館)の後援の下、目視によるSalvador (Bahia)沖の海底探索し17、18および19世紀難破船13隻の位置突 き止めた。その中には1627年攻撃中に沈没したオランダ私掠船船長Piet Heynの旗艦含まれていた。(1979年5月スペインPalma de Mallorcaの港周囲海域水中考古学調査行いギリシャ船1隻、古代ローマ船2隻のアンフォラ容器運搬ガレー船発見したその他の海域では、難破船とは関係がないが5個の大型で鉛製の古代ローマの碇を発見した。(1979年6月ポルトガル南海岸沿いにおいて水中考古学調査行い古代難破船捜索。Portimaoの港湾内で古代カルタゴ古代ローマ難破船発見した。(1979年10月11月San Miguel島およびSanta Maria周辺海域アゾレス諸島水中考古学調査行い16世紀から18世紀にかけての難破船12隻の位置突き止め、その調査行った。(1979年12月カナダCape Breton島(Nova Scotia)の南部および東部海岸沿いの30マイル広範囲わたって目視磁気探知機使用した探索行った17世紀20世紀にかけて英国HMS Tilbury号(1749年)やフランス軍艦Chameau号(1725年)の残骸一部を含む難破船40隻超の位置正確に突き止めた。これら2ヶ所の海域および他の18世紀難破船海域数カ所で試掘実施された。(1980年6月-10月ブラジルNaval Museum of Rio de Janeiroリオデジャネイロ海軍博物館)の指揮の下、Bay of All Saints中にあるSalvador湾(Bahia近くオランダ軍艦2隻、(Piet Heynの旗艦で、1627年攻撃中に沈没したHollandia号および1648年沈没したUtrecht号)の一部発掘また、同湾の北30マイル海域で、1573年沈没したポルトガル東インド貿易船Santa Clara号を発見した。(1980年11月-1981年3月Cape Verde諸島にあるSantiago島の東部および南部沿岸水中考古学探査行い15世紀から18世紀にかけての難破船7隻を発見したその中で最も重要なものは、Cidade Velhaにあった16世紀半ばポルトガル商船2隻であった。私はSal島の海岸で、紀元前5世紀にまで遡るフェニキア難破船痕跡発見した。(1981年5月バハマ諸島Great Bahama Bank150平方マイル海域において目視および磁気探知機使用して探索行い16世紀から19世紀にかけて難破船50隻超の位置突き止めた。(1981年6月-11月1983年4月-10月1984年8月-10月リオデジャネイロ海軍博物館後援の下で、ブラジルPermambuco州の沿岸港湾河口沿いに、空からの査察によりソナー装置磁気探知機使用し、また目視でも探索行った16世紀から19世紀にかけて難破船18隻(ポルトガル船、巣メイン船、オランダ船およびフランス船)の位置突き止めた。それらの船の大部分は、オランダがこの地域占領していた17世紀沈没したであった。(1982年2月-4月パリMusée de Marine海洋博物館)の後援の下、フランスBrittany海岸沖をソナー装置磁気探知機使用して探索行い有名な16世紀から18世紀にかけてのQuiberon湾の戦い1759年)で沈没したフランス戦艦3隻を含む難破船9隻を発見。またLe Croisic沖で、フランス軍艦Soleil Royal 号(1759年沈没)の発掘作業にも参加した。(1982年6月-7月ブラジルの海軍博物館後援の下、Baia de Guanabara(リオデジャネイロ)で紀元前2世紀古代ローマアンフォラ容器運搬船と思われる難破船水中考古学探査行った。またこの現場で、他の難破船3隻(16世紀17世紀および20世紀の船)を発見し、それらの調査行った。(1982年9月-1983年2月フロリダVero Beachケープ・カナベラルの間の東海岸で、磁気探知機側面ソナー装置使用した探索行い17世紀から19世紀にかけての難破船位置いくつか突き止めた1985年の夏に、1715年艦隊"Cabin Site"として知られている旗艦数点の新たな船体部分位置突き止め、それらを発掘したアイルランドGalway湾のLimerickおよびAran諸島近辺海域で、1588年スペイン大型艦隊の難破船いくつかに関して水中考古学調査行った。(1984年11月フロリダ州Sebastian入り江近辺海域で、1715年スペイン艦隊旗艦発掘作業行った。(1985年3月-9月バハマ諸島Andros東海岸沖で、空からの査察目視による探索行いその間18世紀商船3隻の位置突き止めた。(1986年3月フィリピンルソン島のBolanao沖で目視による探索行い明王朝磁器積載した難破船3隻を発見した。(1985年10月1986年5月Catanduanes島、Samar島、Cebu島、Bohol島、Mindoro島およびIsla Verde周辺海域目視による探索行いその間12世紀から19世紀にかけての難破船20隻超を探索し、それらの研究行った。(1986年10月-12月1989年9月Guam海岸沖で1960年沈没したNuestra Señora del Pilar号および1754年沈没したNuestra Señora del Buen Viaje号のマニラ大型帆船2隻を発見した。(1987年3月6月および7月1988年5月-8月) Samarの北部および西部、またTicao島、San Antonio島、Capul島の周辺海域目視による調査行い難破船8隻を発見。その中の2隻は、マニラ大型帆船可能性が高い。(1987年8月10月12月1988年2月-3月10月-12月1989年1月-3月カリフォルニア州Drake’s湾で、1595年沈没したマニラ大型帆船San Augustin号の残骸探し目視による調査行った。(1988年9月Sulu海のBasseterreおよびTubataja岩礁沿いに目視による調査行い10世紀から16世紀にかけてのアジア貿易ジャンク船5隻と、18世紀半ば英国商船1隻を発見した。(1989年4月Drake's湾で磁気探知機使用した調査行い1595年マニラアカプルコ間を帆走中に沈没したマニラ大型帆船San Augustin号を発見した。(1989年6月マレーシア政府後援の下、古代におけるマラッカの港近辺海域目視による調査行い8世紀から16世紀にかけてのアジア貿易船13隻、16世紀末期ポルトガル商船1隻、および17世紀半ばオランダ軍艦2隻を発見した。(1989年7月-8月マレーシアJohor沿岸南シナ海に浮かぶ6島の周辺で、目視磁気探知機使用した調査行い欧州諸国植民地時代東インド貿易船4隻と、9世紀から18世紀にかけてのアジア貿易船11隻の位置突き止めた。(1990年3月-8月Seahawk Deep Ocean Technology社およびHarbor Oceanographic Institutionと共にフロリダ州St. Augustine沿岸沖の水深1,000フィート超の海底横たわっている初期スペイン商船事前調査指揮をした。同調査は有人のJohnson-Sealink潜水艇使用して試験用の穴を掘り、同サイト碁盤目当てはめた写真測量法モザイク作成したまた、その作業中に225時間分のビデオ撮影行った。(1990年10月マレーシアMalaccaが、1511年ポルトガルのAffonso de Albuquerque提督強奪され占領された後、スマトラ島北東海岸沈没した提督旗艦である武装商船Flor de la Mar号の発見作業で、South East Asia Salvage社の考古学コンサルタント努めたまた、この難破船発掘作業アドバイザーとして、史実に関するコンサルタントとしても活動した。(1990年2月1991年3月南シナ海Aur近隣海域目視磁力探知機を使用した調査行い12世紀-15世紀にかけてのアジア貿易船3隻を発見した。(1991年1月-2月フロリダ州東海岸沖の水深1,200フィート海底における1700年頃のものと考えられるスペイン貿易船調査と発掘作業で、Seahawk Deep Ocean Technology社とHarbor Branch Oceanographic Institution主任研究員および考古学者努めたまた、フロリダ州ケープ・カナベラル沖の水深1,150フィート海底にある南北戦争時代密航船の調査行った。このプロジェクトでは、有人のJohnson-Sealink II潜水艇使用した。(1991年4月南シナ海にあるTioman島の周辺200平方マイル海域を、地震探査法(磁気探知機および側方探知ソナー装置使用)と目視遠隔操作探査機使用)による探索行い宋王朝時代の船を含む難破船24隻超の位置突き止めた。(1992年2月-11月明王朝初期磁器製品運搬していたアジア貿易船2隻と、10世紀宋王朝時代ジャンク船1隻、17世紀初頭ポルトガル東インド商船一部位置突き止めたその4ケ所すべての現場マレーシア東海岸沖のTioman島の近辺にある。(1993年2月-11月タイランド湾で、確認のための遠隔操作探査機使用した調査行い漢王朝時代紀元前1世紀)の難破船1隻を含むアジア貿易船4隻から数点の人工遺物回収した。(1994年1月-4月インド洋モルディヴで、それまで未確認であった18世紀初頭ポルトガル東インド商船発掘作業コンサルタント努めた。(1994年6月-8月シンガポール南海岸沖で電子機器目視による調査行い宋王朝時代から18世紀半ばにかけての難破船7隻を発見。(1995年4月-5月南シナ海Aur島沖で、明王朝時代初頭磁器製品積載したジャンク発掘した。(1995年7月-8月シチリア島南海岸沿いで古代難破船数隻の探索行いアンフォラ容器積載したフェニキア船2隻と古代ローマ船3隻を発見。(1996年7月ドミニカ南西海岸沖のカリブ海Leeward諸島で、17世紀スペイン難破船2隻の位置突き止めた。(1996年11月-997年1月フロリダ州Juno Beach沖で、1570年-1590年頃の未確認スペイン難破船考古学的発掘行った。(1997年6月-10月フロリダ州ケープ・カナベラル沖で、未確認英国難破船海図作成行った。(1998年6月7月バミューダ海域16世紀及び17世紀スペイン難破船4隻と18世紀及び19世紀難破船位置突き止めた。(1998年8月明王朝時代アジア貿易ジャンク3隻と、ボルネオ島北海岸で、マゼラン船隊の1隻で、マレーシアSabah州沖で沈没したTrinidad号の位置突き止めた。(1999年3月-4月ペルーCallao沖で目視による調査行い16世紀および17世紀スペイン難破船5隻を発見、その調査行った。(1999年6月チリValparaiso港とArica周辺で、目視電子機器使用して調査行った。(1999年7月9月フォークランド諸島で、目視による調査行い19世紀初頭難破船2隻を発見。その他、既知サイトでも調査行い南大西洋冷温海域中に沈んでいる船体保存状態研究した。(2000年1月アルゼンチンPuerto Madryn近く沈没した17世紀後半スペイン商船発見した。(2000年2月ギリシャロードス島近くで、8世紀フェニキア難破船調査行った。(2003年4月-5月メキシコQuintana Rooで、17世紀18世紀スペイン難破船調査行った。(2004年1月1541年から1800年エクアドル難破したスペイン船の調査取り組み、3社において考古学的なコンサルタント行った。(2001年-2007年アゾレス諸島バハマフロリダケープカナベラルエクアドル沈没船探査関わる。(2004年1月-現在) 日本唯一サルベージ事業をおこなっている株式会社RST戦略的事業パートナー契約を結ぶ。(2007年9月-現在) カリブフロリダでの沈没船探査などをおこなっている、セブンシーズ サーチ&サルベージ社のコンサルタント務める。(2008年6月-2011年中米諸国サルベージ講演活動。 (2011年-2013年

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