考古学的な調査成果
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/23 23:36 UTC 版)
ガーナ王国に関する考古学調査は、1949年から1951年にかけてフランス人、P.テモセイ (Thomassey) とR.マウニー (Mauny) によって行われた、ガーナ王国の首都と考えられるモーリタニア南東部のティンペドラ=ナラ街道沿いに位置するクンビー・サレー(英語版)の調査が知られる。この調査成果は、1956年に発掘報告書として公刊されている。 バクリーは「クンビー・サレーはイスラムの町と6マイル離れた「王宮の町」で構成されている」と記述しているが、「王宮の町」については発見されていない。イスラムの町については、バクリーが記述するような集住的な石造りの建物が発見された。また北西部分には広大な墓地を伴い、アフリカでは初期の様式のモスクがあることが判明した。これらの建物は複数階の構造を持ち、地中海周辺で見られる様式のものであった。 出土した精製土器やガラス器は、北アフリカ・マグリブ地方から輸入されたものであった。クンビー・サレーの中央の通りとモスクから採取された有機物のサンプルから放射性炭素年代測定が行われ、13世紀初頭という値が得られ、11世紀後半(1076年)にモロッコのムラービト朝に滅ぼされてからも町自体は2世紀近く繁栄を続けていたことが判明した。 その後、セルジュ・ロベールによって、さらに下層の居住層の発掘調査が1975 - 76年に行われている。その調査成果は発表されていないが、予備調査の成果は、1972年に発表されている。この調査によって得られたサンプルで、6世紀から18世紀にわたる放射性炭素年代が得られており、現にクンビー・サレーがガーナ王国時代に繁栄していたことが証明された。
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