考古学的に確認できる事柄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/03 22:11 UTC 版)
「古代イスラエル」の記事における「考古学的に確認できる事柄」の解説
イスラエルの古代史は、文書資料としての旧約聖書が圧倒的な存在感をもっていたために、長らくこれに倣うか、神話的な部分を合理的に解釈しなおしたものを史実としてきた。しかしながら、同時代の文書や考古学的資料によって裏づけされた事柄はさほど多くない。 紀元前14世紀頃のエジプトの文書では、「アピル」と呼ばれる集団がパレスチナ(カナン)で略奪行動を行っていたことが確認できている。このアピル(シリアやメソポタミアの文書では「ハピル」ないしは「ハビル」とも呼ばれた)は民族名を指すものではなく、奴隷や傭兵にもなった非土着系の無法者やならず者といった社会階層を指す言葉であった。多くの学者がこのアピルとその後のヘブライ人のカナン進出に何らかの関係があったと考えているが定かなことは分かっていない。また、紀元前1207年の出来事を記したエジプトのイスラエル石碑(英語版)には「イスラエル」という言葉が記述されており、この部族集団の実在を確認できる最古の文献とされている。 紀元前1200年前後は「海の民」が南西の海岸平野からシリアやカナン地方に侵入してきた頃であり、それを代表するのが旧約聖書にイスラエル人のライバルとして登場するペリシテ人である。イスラエル人はこれと同時期に山岳地域からカナン地方に進出してきてペリシテ人と衝突を繰り返した。最近の考古学調査では、ガリラヤ山地、中央山岳地帯、南部ユダヤのネゲヴ北部などに前1200年頃から居住地域が急増し、西部に勢力を広げていったことが確認されている。この動きの中にイスラエル人たちの部族が含まれていたことは間違いが無い。
※この「考古学的に確認できる事柄」の解説は、「古代イスラエル」の解説の一部です。
「考古学的に確認できる事柄」を含む「古代イスラエル」の記事については、「古代イスラエル」の概要を参照ください。
- 考古学的に確認できる事柄のページへのリンク