匹夫の勇
小林よしのり
匹夫の勇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 02:31 UTC 版)
(ひっぷのゆう) 時代:南北朝・陳 あらすじ 陳国の猛将として数え切れぬほどの武勲を誇った蕭摩訶(しょうまか)。陳の未来を思って、攻め来る隋を防がんと、後主に作戦を上申するが、政治にも軍事にも興味のない後主はこれを無視し酒と女に酔いしれた。かくして陳は滅亡するが、隋の文帝は蕭摩訶を重臣待遇とし、末っ子の漢王の補佐役に任命する。 平穏に15年が過ぎるが、文帝が崩御し、皇太子の楊広(煬帝)が即位する。しかし、文帝の急死に不審な点があるとして文帝は皇太子に弑逆された、と噂が流れ、漢王もこれを信じた。隋の仁寿4年(西暦604年)、73歳となった蕭摩訶は、煬帝に対する反乱軍の将となっていた。 関連項目 陳書、呉明徹、楊素
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「匹夫の勇」の例文・使い方・用例・文例
- 匹夫の勇
- 匹夫の勇、血気の勇
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