元禄赤穂事件への見解
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 03:55 UTC 版)
元禄赤穂事件における赤穂浪士の処分裁定論議では、林鳳岡をはじめ室鳩巣、浅見絅斎などが主君のための仇討を賛美して助命論を展開したのに対し、徂徠は義士を切腹させるべきだと主張した(後述のように異説あり)。 『徂徠擬律書』と呼ばれる文書において、 「義は己を潔くするの道にして法は天下の規矩也。礼を以て心を制し義を以て事を制す、今四十六士、其の主の為に讐を報ずるは、是侍たる者の恥を知る也。己を潔くする道にして其の事は義なりと雖も、其の党に限る事なれば畢竟は私の論也。其の所以のものは、元是長矩、殿中を憚らず其の罪に処せられしを、またぞろ吉良氏を以て仇と為し、公儀の免許もなきに騒動を企てる事、法に於いて許さざる所也。今四十六士の罪を決せしめ、侍の礼を以て切腹に処せらるるものならば、上杉家の願も空しからずして、彼等が忠義を軽せざるの道理、尤も公論と云ふべし。若し私論を以て公論を害せば、此れ以後天下の法は立つべからず」 と述べている。これは、幕府の諮問に対して徂徠が上申したとされる細川家に伝わる文書だが、真筆であるかは不明。 同じく、浅野家赤穂藩があった兵庫県赤穂市も『徂徠擬律書』は、幕府に残らず細川家にのみ残っていること、徂徠の「四十七士論」(下記)と徂徠の発想・主張に余りに違いがありすぎることから、後世の偽書であるとの考察をしている。 一方、『政談』のうち「四十七士論」(宝永2年)では、「内匠頭の刃傷は匹夫の勇による『不義』の行為であり、討ち入りは主君の『邪志』を継いだもので義とは言えず」と論じている。 徂徠の弟子・太宰春台が、「徂徠以外に『浪士は義士にあらず』という論を唱える者がなく、世間は深く考えずに忠臣と讃えている」と述べている点から徂徠の真筆であると思われる。 「赤穂事件#事件についての学術的な議論」も参照
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