元禄郷帳・国絵図
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 02:25 UTC 版)
元禄10年(1697年)、江戸幕府は諸国の有力大名に郷帳と国絵図の提出を命じ、元禄15年(1702年)頃までには上納がほぼ完了したとみられる。元禄郷帳では記述が簡素化され、国郡村別の石高のみが記載された。元禄郷帳・元禄国絵図共に正本は現存しないが、写本・副本は多数残存している。正保郷帳と同様に石高は表高を原則とする。
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