学術的な議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 05:04 UTC 版)
「アルノルフィーニ夫妻像」の記事における「学術的な議論」の解説
美術史家エルヴィン・パノフスキーは1934年に、美術学術誌『バーリントン・マガジン』に「ヤン・ファン・エイクのアルノルフィーニ夫妻像」という、背後の壁に記された装飾的な署名などを扱った論文を寄稿した。この記事でパノフスキーは、『アルノルフィーニ夫妻像』がアルノルフィーニの婚姻契約を記録する法的証明書として描かれたものであり、二人の立会人を夫妻とともに描き、立会人の一人であるファン・エイクが「ヤン・ファン・エイクここにありき。1434年。」と署名することによって婚姻が成立したのだと主張した。さらにパノフスキーは、この作品の室内に描かれているあらゆるモチーフが、この夫妻に関することの象徴であるとした(後述)。『アルノルフィーニ夫妻像』が婚姻証明であるという、パノフスキーのこの説には異論も多いが、描かれているモチーフに対する象徴的解釈は広く受け入れられている。パノフスキーの象徴的解釈は、多くの初期フランドル派の絵画作品、とくに初期フランドル派の最初期の絵画である『アルノルフィーニ夫妻像』とロベルト・カンピンの『メロードの祭壇画』と共通する、多数のモチーフが室内に描かれた「受胎告知」を扱った作品に適用されている 。 パノフスキーが発表した論文以降、パノフスキーが唱えた説が正しいかどうかについて多くの議論が巻き起こった。美術史家エドウィン・ホールは、この作品はアルノルフィーニの婚約の様子を描いており、結婚を描いたものではないと考えた。美術史家マーガレット D. キャロルは1993年の論文「神の御名と慈愛において - ヤン・ファン・エイク作『アルノルフィーニ夫妻像』(In the Name of God and Profit: Jan van Eyck's Arnolfini Portrait.)」で、結婚した夫婦の肖像画であり、夫が妻に法的権限を与えたことを暗示しているとした。さらにキャロルは、アルノルフィーニが優れた資質の商人で、ブルゴーニュ公宮廷に出入りできる人間だったことを表現した作品でもあるとし、次のような説を唱えている。描かれている二人はすでに結婚しており、妻が自ら、あるいは夫の代理人として商取引を行う法的権限を夫が委任したことが、妻に向って掲げた夫の手で表現されている。ただし、絵画そのものに法的効力があるわけではなく、法的効力を絵画に表現しようとした、ファン・エイクのちょっとした思いつきによる作品だった。凸面鏡に映る二人の人物は、夫が法的権限の委託を宣誓したことの立会人であり、ファン・エイクは自身が立ち会ったことの証明として、壁面に署名を記したのである。 ジャン・バプティスト・ビドーはパノフスキーの説にある程度賛同しており、1986年の「象徴の真実 - ヤン・ファン・エイク作アルノルフィーニ夫妻像に隠された象徴性 (The reality of symbols: the question of disguised symbolism in Jan van Eyck's Arnolfini Portrait )」で、『アルノルフィーニ夫妻像』は婚姻契約書として描かれたとしている。しかしながら、パノフスキーがさまざまなモチーフに見出した象徴性については否定している。「それほどまでに大量の象徴性が隠されているとは考えられない。描かれているモチーフは当時のありふれたものばかりで、この作品に見られる写実性と調和している。画家が本当はどのような意味を込めて描いたのかなどを証明しようとするのは無意味だ」としている。 クレイグ・ハービソンは、パノフスキーとビドーの「隠された象徴性」と写実表現をめぐる議論の中間的立場をとった。ハービソンは「ヤン・ファン・エイクは、全ての事情を知る語り部として作品に登場している。描かれているさまざまな物は、多くの関連性をもって描かれている可能性がある」とし、この作品が何のために、どのような意図で描かれたかについては、無数の解釈ができるとしている。この作品を本当に理解しようとすれば、当時の風俗、ブルゴーニュ公宮廷での男女間の事情、婚礼に対する宗教的あるいは礼典的背景など、価値観の異なるあらゆる要素の検証が必要不可欠だとした。 美術史家ローン・キャンベル (en:Lorne Campbell) は、自身がキュレータをつとめるロンドンのナショナル・ギャラリーのカタログで、『アルノルフィーニ夫妻像』には特別な意味合いはこめられていないとしている。「この作品に何らかの物語性があることを示すものはほとんど存在しない。わずかに、不要な火が灯されたロウソクと、意味ありげにも見える不思議な署名だけだ」とする。二人の人物を描いた肖像画で、単に結婚記念として描かれた作品である可能性が最も高い。法的証明書の類のものではなく、手の込んだ署名も本の装飾画などではごく普通で、当時としてはありふれたものである。ナショナル・ギャラリーが所蔵するファン・エイク作のほかの肖像画 (en:Léal Souvenir) にも同じような署名があるとしている。 マーガレット・コスターは、『アルノルフィーニ夫妻像』は一年ほど前に死去した妻を追悼するために描かれた作品ではないかという、それまでの説をすべて否定する新説を提唱した。美術史家マクシミリアン・マルテンスは、夫妻がフランドルで成功し、豊かな暮らしを送っていることを、故郷イタリアのアルノルフィーニ一族へ知らせるために描かれたのではないかとする。この解釈だと、屋外の桜に実がなる温かい季節であるにもかかわらず、夫妻が冬の装いをしていることや、「ヤン・ファン・エイクここにありき。1434年。」という署名が画面中央に大きく記されていることの説明になるとしている。他にも、ヘルマン・コリンブランデルは、新婚初夜の翌朝に夫が妻に贈り物をするというドイツの古い習慣を描いた作品で、ヤン・ファン・エイクが友人のアルノルフィーニに結婚祝いとして贈ったものだと主張している。
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