テラジイスカ・テラサ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/03/01 14:56 UTC 版)
テラジイスカ・テラサ(Теразијска тераса / Terazijska Terasa)、あるいはテラジイェ・テラスは、117メートルの高低差を持つ、テラジイェの丘から、サヴァ川右岸に至るまでの尾根である。歴史上、様々な名前で呼ばれてきたこの坂は、ザパドニ・ヴラチャル(Zapadni Vračar)やサヴァマラ(Savamala)地区にかけて広がっており、現在も続いている川による浸食作用の結果できたものである。この急峻な坂は、カレメグダンの丘からはじまり、テラジイェ、ミラン王通りを経て、バルカンスカ通りとプリズレンスカ通りの間の小さな公園に至るまでの、ゼレニ・ヴェナツ(Zeleni Venac)、サヴァマラ、バラ・ヴェネツィヤ(Bara Venecija)地区が含まれる。この坂そのものも、300メートルの高低差をもつサヴァ丘陵の一部をなしている。 高台の上からはサヴァ川渓谷一帯を見渡すことができ、ノヴィ・ベオグラードの先に広がるスレム(Syrmia)地方まで見ることができる。この傾斜地の開発をめぐっては19世紀から一般大衆や学術的な議論の対象となってきた。1912年にフランスの建築家・アルバン・シャマン(Alban Chamond)によって策定された都市計画では、その美しいパノラマの眺めを損なわぬよう、この傾斜地には噴水と花壇を備えた台形の小さな庭を階段状に並べる考えを思い描いた。1923年にも展望台を設ける計画が持ち上がった。1929年には、セルビアの建築家ニコラ・ドブロヴィッチ(Nikola Dobrović)の計画が承認された。この計画では、傾斜地の両端に2つの高いビジネス・ビルディングを建て、その間の高台には小さなビジネス施設やレジャー施設を設け、傾斜地には階段状に庭や池、噴水などを設置する計画となっていた。1990年代にはドブロヴィッチの計画は再始動されたが、公園の設置は見送られた。2006年にはテラジイスカ・テラサを変える新しい建築案が出ているが、詳細は未定のままとなっている。しかし、傾斜地の南端にあたるバルカンスカ通りでは、大型のビジネス・ビルディングの建造が進められている
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