ウェルギリウスの死と『アエネーイス』の編集
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 14:37 UTC 版)
「ウェルギリウス」の記事における「ウェルギリウスの死と『アエネーイス』の編集」の解説
言い伝えによると、ウェルギリウスは紀元前19年頃に『アエネーイス』を推敲するためにギリシアを旅したとされている。アテネでアウグストゥスに会い、共にローマに帰ることにしたが、メガラの町の近くで熱病にかかる。イタリアへ船で渡りはしたが熱病で弱ったウェルギリウスは、紀元前19年9月21日、ブルンディシウムの港で亡くなった。ウェルギリウスは未完に終わった『アエネーイス』を焼いてほしいと遺言したが、アウグストゥスがその執行者、ルキウス・ウァリウス・ルフスとプロティウス・トゥッカに命じてこれを無視させ、可能な限り編集の手を加えないで『アエネーイス』の出版を命じた。結果として『アエネーイス』のテキストには、後で出版する前に訂正するつもりの誤りが残った。それはダクテュロス・ヘクサメトロスの詩形になっていない明らかに不完全な数行だけである。ところが、詩人は劇的な効果を出すために、注意深く韻律の足りない詩句を残したのだという説を唱える学者もいる。他方で、不完全な箇所について学術的な議論をすることに懐疑的な学者もいる。
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