ウェルザー=メスト時代(1990年 - 1995年)
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「ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団」の記事における「ウェルザー=メスト時代(1990年 - 1995年)」の解説
病気のため首席指揮者の任を降りたテンシュテットに代わって、1990年に首席指揮者に選ばれたのは、当時29歳の若きオーストリアの指揮者フランツ・ウェルザー=メストだった。 カラヤン国際指揮者コンクールに19歳の若さでセミ・ファイナリストとなったこの指揮者は、短い在任期間ながらEMIレーベルにメンデルスゾーンの交響曲第3番『スコットランド』・第4番『イタリア』、ストラヴィンスキーのバレエ音楽『火の鳥』、オーストリアに演奏旅行中に収録されたブルックナーの交響曲第5番などの録音を残した。テンシュテットのレパートリーであったマーラーの交響曲第4番も録音している。珍しいところでは母国のウィンナ・ワルツ集の録音がある。 楽員との衝突が少なからずあり、リーダー(コンサートマスター)や楽員が退団してしまうなど問題が続き、1995年の日本公演終了後程なくして、辞任した。
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