ウェルシュ・ウイスキーの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/12 14:00 UTC 版)
「ウェルシュ・ウイスキー」の記事における「ウェルシュ・ウイスキーの歴史」の解説
ウェールズでの醸造酒の生産の歴史は古く、いつ頃から醸造酒が生産されていたのかはよく判らない。これに対して蒸留酒の生産は、醸造酒の生産よりも歴史が短いことは判っている。記録に残っている中で、ウェールズにおける最初の蒸留酒の生産は、356年にバージー島(英語版)の「Reaullt Hir」という人物が、「chwisgi」と言う蒸留酒を作ったというものである。 しかし、このReaulltという名前は、ウェールズの人々の名前ではなく、アングロノルマン語(フランス語系の言語)の名前、つまり、外来の名前である。 さらに、この「chwisgi」という語もウェールズ語ではなく、スコットランド・ゲール語の「uisge beatha」または「uisce beatha」に由来する、やはり外来語なのである。ともあれ、これがウェールズにおいて、初めての蒸留酒が製造されたという記録である。その後、いわゆる中世にはウィスキーと呼べる蒸留酒(ウェルシュ・ウイスキー)が、ウェールズでは製造されて続けていた。ところが、19世紀に入ってからは、禁酒運動のあおりを受けて、ウェルシュ・ウイスキーの生産は減少傾向となり、ついに19世紀末にはウェルシュ・ウイスキーの新酒が作られなくなってしまった。蒸留したてのウィスキーの原酒をニューポットと呼ぶが、このニューポットが確実に作られたという記録は、Welsh Whisky Distillery CompanyのR. J. Lloyd Priceが、1887年にニューポットを生産したというものである。そして、遅くとも1894年には、蒸留が行われなくなったとされる。 以降、ニューポットの生産は完全に途絶えたものと考えられている。そして、Welsh Whisky Distillery Companyは、製品のウィスキーも、1900年には売ることができなくなってしまった。なお、このWelsh Whisky Distillery Companyは、結局1910年に倒産してしまう。 こうしてウェルシュ・ウイスキーは姿を消した。その後、1990年代に入るとウェルシュ・ウイスキーを復活させようという計画が持ち上がった。ただし、当初は複数銘柄のスコッチ・ウィスキーをウェールズで混ぜて、それをウェールズで瓶に詰めただけのものを「ウェルシュ・ウイスキー」と標榜しようとしていた。しかし、このような事業は認められないと訴訟が起こされ、結局この事業は中止させられた。 それでも、2000年にThe Welsh Whisky Companyが設立されることが公表された。The Welsh Whisky Companyは、ウェールズのペンデリン(Penderyn)にウィスキーの蒸留所を建設し、ここでニューポットの生産を開始した。これにより、ウェルシュ・ウイスキーの生産が再開されたことになる。ただし、ウィスキーの製造工程には熟成が必要であるため、すぐに出荷するわけにはゆかない。The Welsh Whisky Companyによるウィスキーが商業ベースで販売されたのは、2004年のことである。 この時を以って、ウェルシュ・ウイスキー(ウェールズで作られるウィスキー)は復活した。なお、このペンデリン(Penderyn)にある蒸留所は、2009年現在も稼動を続けている。
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