ジャンボリー作戦とは? わかりやすく解説

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ジャンボリー作戦

(Operation Jamboree から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/01 03:52 UTC 版)

ジャンボリー作戦(ジャンボリーさくせん、英語: Operation Jamboree)は、太平洋戦争末期の1945年2月にアメリカ海軍空母機動部隊関東地方周辺の日本軍航空基地及び航空機工場を標的として行った航空攻撃作戦である。硫黄島の戦いの援護及び日本軍航空戦力の減殺を目的として実行され、日本軍航空隊と工場設備に相当の被害を与えた。ドーリットル空襲や島嶼部の事例を除けば、初めての空母による日本本土空襲であった。


注釈

  1. ^ ただし、日本の内地のうち島嶼部に対する機動部隊による空襲は、本作戦以前にも1943年9月1日・1944年5月20日など小笠原諸島に対して数回行われているほか[6]、1944年10月の南西諸島に対する十・十空襲がある。
  2. ^ 1944年2月14日、横須賀鎮守府は特設監視艇隊の潜水艦による被害続出に対抗してS21作戦を発令し、第九〇三海軍航空隊(第903空)大湊派遣隊・串本派遣隊の各一部と横須賀海軍航空隊増援兵力が館山に集結していた[11]
  3. ^ 2月16日、館山飛行場・香取飛行場・茂原飛行場(現茂原市)・神ノ池飛行場(現鹿嶋市)・木更津飛行場・八丈島飛行場の各海軍基地が、アメリカ軍機により低空からの機銃掃射を受けて、彗星艦爆7機・銀河陸爆1機・天山艦攻4機・零式輸送機1機・九九艦爆1機・陸攻18機・零戦12機・その他小型機6機が地上で炎上した[13]
  4. ^ 2月16日、伊豆諸島に向けて輸送任務中の補助監視船「第一若丸」、八丈島哨戒線に配備の特設監視艇「第二長周丸」(尾藤竹三:60総トン)、「第五盛秋丸」(山本芳松:99総トン)、「安波丸」(加澤一造:92総トン)が空襲により沈没した[17]。また、15日に鳥島南東沖で特設監視艇「第三朝洋丸」(西大洋漁業:74総トン)が消息を絶っており、日本側はこれも空襲により沈められたものと記録した。
  5. ^ 戦史叢書』によると、空襲により、神津島東方を哨戒中の補助監視船「第十一号正栄丸」(四宮爲藏:53総トン)と八丈島哨戒線の特設監視艇「第二栄福丸」(小野田八郎右衞門:99総トン)が沈没、特設監視艇「第三松福丸」(鳥守岩松:66総トン)が小破した。また、八丈島哨戒線の特設監視艇「栄福丸」(澤助司:98総トン)と「第五宝栄丸」(内山政次郎:90総トン)が機動部隊との水上戦闘で撃沈された。ただし、アメリカ海軍の『公式作戦年誌[21]』では、2月17日にアレン・M・サムナー級駆逐艦「ヘインズワース」(en)が特設駆潜艇「和風丸」(日本側記録では空襲による沈没)と特設監視艇「第三十六南進丸」(日本側記録では2月18日沈没)を撃沈したとしている。
  6. ^ 戦史叢書』によると、八丈島哨戒線で特設監視艇「第三十六南進丸」(西大洋漁業:86総トン)、「第十七長運丸」(山田博吉:95総トン)、「第三共和丸」(加藤文吉:154総トン)が沈没している[17]。ただし、アメリカ海軍の『公式作戦年誌[21]』及び『モリソン海戦史[15]』によると、2月17-18日の夜に駆逐艦「バートン」(en)、「イングラハム」、「モール」が特設監視艇「第三十五南進丸」(西大洋漁業:86総トン)、「第三共和丸」、「第五福一丸」(昭和漁業:150総トン)を撃沈、駆逐艦「ドーチ」、「ウォルドロン」(en)が特設駆潜艇「鮎川丸」(極洋捕鯨:198総トン)を撃沈したが、「ウォルドロン」は体当たりをした際に損傷、「ドーチ」も3インチ砲で反撃されて3人戦死としている。また、「鮎川丸」は実際には14日に台湾方面にて座礁し放棄された[22]
  7. ^ 第5艦隊司令長官のレイモンド・スプルーアンス大将座乗[3]

出典

  1. ^ 防衛研修所(1975年)、308頁。
  2. ^ Morison (1960) , p. 20
  3. ^ a b c d e f Morison (1960) , p. 21
  4. ^ a b c d Carter, Worrall Reed. Beans, Bullets, and Black Oil - The Story Of Fleet Logistics Afloat In The Pacific During World War, Washington DC : Department of the Navy, 1953, pp. 283-284.
  5. ^ 防衛研修所(1975年)、317頁。
  6. ^ 防衛研修所(1975年)、165、191頁。
  7. ^ 防衛研修所(1975年)、268-269頁。
  8. ^ 防衛研修所(1975年)、270-271頁。
  9. ^ 防衛研修所(1975年)、325頁。
  10. ^ a b c 防衛研修所(1975年)、331-333頁。
  11. ^ a b 防衛研修所(1975年)、279頁。
  12. ^ a b c d e f Morison (1960) , p. 22
  13. ^ a b c d e f g h i 防衛研修所(1975年)、319-323頁。
  14. ^ a b c d 防衛研修所(1968年)、477頁。
  15. ^ a b c d e Morison (1960) , p. 25
  16. ^ a b 防衛研修所(1968年)、478頁。
  17. ^ a b c d e f g h 防衛研修所(1975年)、281-283頁。
  18. ^ a b c d e Morison (1960) , p. 24
  19. ^ a b c 船舶運営会 『戦時喪失船舶一覧表』 アジア歴史資料センター(JACAR) Ref.C08050010100、画像38枚目。
  20. ^ a b c d e 防衛研修所(1968年)、480頁。
  21. ^ a b Cressman, Robert, The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II, Annapolis MD: Naval Institute Press, 1999, pp. 623-626.
  22. ^ 鮎川丸
  23. ^ サミュエル・モリソン 『モリソンの太平洋海戦史』 光人社、2003年、399頁。


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