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しょうかいせき しやう― 【蒋介石】
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蒋介石
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/31 11:58 UTC 版)
蒋 介石(しょう かいせき、蔣介石、1887年10月31日 - 1975年4月5日)は中華民国の政治家、軍人。第3代・第5代国民政府主席、初代中華民国総統。国民革命軍・中華民国国軍における最終階級は特級上将(大元帥に相当)。孫文の後継者として北伐を完遂し、中華民国の統一を果たして同国の最高指導者となる。1928年から1931年と、1943年から1975年に死去するまで国家元首の地位にあった。しかし、国共内戦で毛沢東率いる中国共産党に敗れて1949年より台湾に移り、大陸支配を回復することなく没した。
名は中正で、介石は字[1]。譜名(族譜上の名)は周泰、原名(幼名)は瑞元。学校では志清とも呼ばれた[2]。日本では蒋介石の呼び名で知られているが、台湾一帯では蒋中正(チアン・チョンチェン、蔣中正)の名称が一般的。欧米のメディアからは大元帥を意味するGeneralissimoとも呼ばれていた。英語表記ではChiang Kai-shek(チアン・カイシェック)。
- ^ 京大東洋史辞典編纂会『新編東洋史辞典』(東京創元社、1980年)、407ページ、「蒋介石」の項目。保阪(1999年)、11ページ。菊池(2005年)、386ページ。
- ^ 保阪(1999年)、11ページ。
- ^ 保阪(1999年)、13 - 14ページ。
- ^ 保阪(1999年)、19ページ。
- ^ 石川(2010年)、15ページ。
- ^ 保阪(1999年)、24ページ。
- ^ 保阪(1999年)、26ページ。
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- ^ 保阪(1999年)、34 - 35ページ。
- ^ 保阪(1999年)、35 - 36ページ。
- ^ 横山(1997年)、37ページ。
- ^ 横山(1997年)、53ページ。
- ^ 保阪(1999年)、46ページ。
- ^ 石川(2010年)、15ページ。
- ^ 保阪(1999年)、50ページ。
- ^ 保阪(1999年)、50ページ。
- ^ 保阪(1999年)、50ページ。
- ^ 保阪(1999年)、58ページ。なお、保阪によれば、日本で昭和10年代に著された蒋介石に関する記述では、蒋と青幇との交流が必要以上に誇張されているという。
- ^ 横山(1997年)、67ページ。
- ^ 保阪(1999年)、57ページ。
- ^ 横山(1997年)、67ページ。
- ^ 保阪(1999年)、59ページ。
- ^ 保阪(1999年)、59ページ。
- ^ 保阪(1999年)、62ページ。
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- ^ 保阪(1999年)、66ページ。
- ^ 保阪(1999年)、67ページ。
- ^ 保阪(1999年)、71ページ。
- ^ 保阪(1999年)、73ページ。
- ^ 川島(2010年)、208ページ。
- ^ 保阪(1999年)、76ページ。
- ^ 横山(1997年)、139ページ。
- ^ 保阪(1999年)、79 - 80ページ。
- ^ 保阪(1999年)、81ページ。
- ^ 保阪(1999年)、82ページ。
- ^ 横山(1997年)、130ページ。
- ^ 石川(2010年)、15ページ。
- ^ 横山(1997年)、139ページ。
- ^ 川島(2010年)、211ページ。
- ^ 保阪(1999年)、85ページ。
- ^ 川島(2010年)、211ページ。
- ^ 孫文は1923年11月にこの政策を決定していた。川島(2010年)、211ページ。
- ^ 横山(1997年)、130 - 131ページ。
- ^ 保阪(1999年)、88ページ。保阪正康は、昭和10年代に何度か蒋介石に単独インタビューを行った朝日新聞外報部記者である宮崎世龍の回想録を元にこの性格を説明している
- ^ 川島(2010年)、212ページ。
- ^ 石川(2010年)、15 - 16ページ。
- ^ 菊池(2005年)、244 - 245ページ。
- ^ 川島(2010年)、212ページ。
- ^ 川島(2010年)、211 - 212ページ。
- ^ 横山(1997年)、136 - 137ページ。
- ^ 保阪(1999年)、94 - 95ページ。
- ^ 保阪(1999年)、95ページ。
- ^ 保阪(1999年)、99ページ。
- ^ 保阪(1999年)、100ページ。
- ^ 川島(2010年)、213ページ。
- ^ 横山(1997年)、138 - 139ページ。
- ^ 石川(2010年)、14ページ。
- ^ 保阪(1999年)、105ページ。
- ^ 石川(2010年)、14ページ。
- ^ 石川(2010年)、16ページ。
- ^ 横山(1997年)、141ページ。
- ^ 石川(2010年)、16ページ。
- ^ 横山(1997年)、141ページ。
- ^ 石川(2010年)、16 - 17ページ。
- ^ 横山(1997年)、140 - 141ページ。
- ^ 横山(1997年)、137 - 138ページ。
- ^ 横山(1997年)、141ページ。石川(2010年)、20ページ。
- ^ 保阪(1999年)、113ページ。
- ^ 石川(2010年)、21 - 22ページ
- ^ 石川(2010年)、22ページ
- ^ 保阪(1999年)、114ページ。
- ^ 保阪(1999年)、115ページ。
- ^ 石川(2010年)、22ページ
- ^ 石川(2010年)、24ページ
- ^ 横山(1997年)、143ページ。
- ^ 石川(2010年)、24ページ。
- ^ 石川(2010年)、24ページ。
- ^ 宋美齢の両親を喜ばせるために、蒋介石はまず彼の最初の妻及び愛人たちと別れ、結局キリスト教に改宗することを約束しなくてはならなかった。1929年に、蒋介石はメソジストの教会で洗礼を受けている。
- ^ 米スタンフォード大フーバー研究所に公開された蒋介石の日記には、旧日本軍への激しい怒りが記述されていた。
- ^ 黄文雄著 『蒋介石神話の嘘』
- ^ 黄文雄著 『蒋介石神話の嘘』、倉前盛道著 『悪の論理』 ほか
- ^ 蒋の方が位は下であった。
- ^ 上海に上陸した際、行われた記者会見で「われわれは、満州における日本の政治的、経済的な利益を無視し得ない。また、日露戦争における日本国民の驚くべき精神の発揚を認識している。孫先生もこれを認めていたし、満州における日本の特殊的な地位に対し、考慮を払うことを保証していた」と語っている。(前掲「知性」山浦貫一述『森格』)
- ^ 膨大な故宮博物院の所蔵品もこの際に潜水艦で運ばれた。
- ^ 当時の台湾人は日本語の文献を通じて世界の最先端知識を学んでいた。
- ^ 後にソ連公館から張学良軍が押収した文書等から判断すると中国共産党の扇動の可能性が強い。
- ^ カイロ会談において、日本の分割統治計画があった。
- ^ 許國雄著 『台湾と日本がアジアを救う-光は東方より』 明成社ほか
- ^ 拉孟では32倍・騰越では25倍。
- ^ 相良俊輔著『菊と龍』光人社ほか
- ^ 終戦時に張家口でソ連の大軍を迎撃撃破し、在留邦人を無事避難させたことで知られている。
- ^ 中村祐悦著『白団ー台湾軍を作った日本軍将校たち』芙蓉書房ほか
固有名詞の分類
「蒋介石」の用例一覧
カイロ宣言 (Wikisource)
カイロ宣言 - Wikisource カイロ宣言 提供: Wikisource 移動: ナビゲーション , 検索 カイロ宣言 (日本国に関する英、米、華三国宣言) 「ローズヴェルト」大統領、蒋介石...
ja.wikisource.org/wiki/カイロ宣言
佐藤垢石 呉清源 (青空文庫)
呉清源を訪ねたのは、病気を見舞ふのを第一の目的としてゐたけれど、ほかに一つの目的があつたのである。それはその当時、七月の中旬に日華事変がはじまつたばかりで中国軍は連戦連敗、蒋介石は奥へ奥へと逃げ込んで行く、哀れ...
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中里介山 大菩薩峠 椰子林の巻 (青空文庫)
して後、呼吸を合わせる程度のものではなかったのです。昭和現代の支那事変のつい近ごろ、日本で、ある映画会社がフィルムに製造すべく、かの憎むべき 蒋介石 ( しょうかいせき ) のモデルを、一般...
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- 蒋介石の島から「一中一台」へ25today
蒋介石に関連した本
- 蒋介石と南京国民政府―中国国民党の権力浸透に関する分析 家近 亮子 慶應義塾大学出版会
- 蒋介石神話の嘘―中国と台湾を支配した独裁者の虚像と実像 黄 文雄 明成社
- 蒋介石に棄てられた女―陳潔如回想録 陳 潔如 草思社
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