北伐軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 05:09 UTC 版)
詳細は「北伐 (太平天国)」を参照 1853年5月には、李開芳・林鳳祥を将とする北伐軍が出発したが、査文経の計略によって太平軍は北京に直進せずに山西省から迂回する経路をとることになり大いに消耗した。そのために、10月末には天津まで迫ったものの、進軍途上にある懐慶府・保定府そして天津という要衝をいずれも落とせずに南に転戦せざるを得なくなる事態に陥った。 清朝は、モンゴル人の猛将センゲリンチン(僧格林沁)を起用して猛攻を加え、1855年3月に北伐軍を全滅させた。北伐軍の失敗によって、太平天国が北京を速やかに攻略できる可能性は限りなく低くなり、戦線は膠着した。 この失敗の原因については諸説あるが、最大のものは上の節で解説したように兵力の分散と目的の不統一、緩慢な進撃であり、他に強いて挙げるなら、太平天国軍の主体が南方出身者であったため、華北での気候風土の違い(過酷な寒さや主食の違い)にとまどい体調を崩すなどして士気が上がらなかったことが挙げられる。
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