北伝仏教の美術と東方への影響とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 北伝仏教の美術と東方への影響の意味・解説 

北伝仏教の美術と東方への影響

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 12:57 UTC 版)

仏教美術」の記事における「北伝仏教の美術と東方への影響」の解説

アジアにおける風神像の変遷 左:ヘレニズム風神2世紀ハッダにて、ガンダーラ美術の下で作られた像。風を蓄えた袋を背負っている。中:キジル石窟風神7世紀タリム盆地造営され仏教石窟寺院壁画見られる風神の図。風袋背負ってはいるが、ここではよりアジア的な、インド文化の影響色濃い精霊の姿に変わっている。 右:日本の風神17世紀日本絵師俵屋宗達描いた風神図(風神雷神図屏風右隻の部分)。風袋背負様式踏襲しながらも、姿は大きく変容し、青い鬼になっている。 「古代ギリシアの彫刻」および「:en:Persian art」も参照 シルクロード通じた仏教布教活動には、芸術方面での影響伴っていた。それらは、現代新疆ウイグル自治区にあたるタリム盆地2世紀から11世紀にかけて栄えた東トルキスタン美術に見ることができる。シルクロード美術は、多く場合ガンダーラ地方で、インドギリシャローマ影響を受けつつ成立したギリシャ仏教美術起源をもつ。また、ヘレニズム仏教美術は、大乗仏教教え伝えたのみならず古代ギリシャローマペルシャ北西インド文化風俗身体表現装飾伝え役割をも担い近く南インド遠く日本にまで今日まで至る文化的な影響のこした。それらは、建築紋様宝相華文連珠文)や聖像仏画仏像神道水天鬼子母神)に見ることができる。 図像的なディーテールにおいても、ヘレニズム文化から仏教美術への影響及ぼされた。翻波式衣文といった衣紋表現や、フリーズにおける植物幾何学パターンにおいて顕著であるが、聖像表現においてもそれは例外ではなかった。例えば、尊格装束においてはディアデーマがある。ディアデーマ(希:διάδημα)とは、ペルシャヘレニズム国家の王が身につけた冠であり、王権象徴でもある。ディアデーマは仏教美術そのまま尊格表現として採り込まれると、中国莫高窟壁画日本来迎図などに登場する菩薩飛天表現様式とともに定着したまた、ガンダーラおよび中央アジアにおいて仏教彫刻成立していくなかで、ギリシャ神話神々ゾロアスター教の神々、そして他のインド神々取り込まれていった。これらの地域制作され仏教彫刻にのみ作例がのこるアトラース神やトーリトーン神、アフロディーテー神、ポセイドーンのような神格もあれば、美術様式一端となって東アジアまで伝わったミスラ神と習合しヘーリオス神、クベーラ習合しディオニューソス神、ニュクス神、エロース神などの神格後代には天部として仏教において信仰対象になったヘーラクレース神(執金剛神)やスーリヤ日天)、ハリーティー神と習合しテュケー神(鬼子母神)、クベーラ習合して食厨の神としての大黒天形作ったファッロ―神(後述)などがいた。20世紀入ってからの美術史における研究で、仏教美術取り込まれ神格が、本来ギリシャ源流を持つことが明らかになった例もある。ガンダーラ敦煌にも作例が残る風神雷神は、本来はギリシャ神話ボレアース神に図像的な起源を持つことが研究によって指摘された。さらに、日本の宗教美術史家である田辺勝美は、「武装した毘沙門天」という図像成立過程に関する研究通じて天部のひとつである毘沙門天が、ギリシャヘルメースローマメルクリウス源流をもつ、クシャーナ人に信仰され福神ファッロ―(バクトリア語:Pharro、アヴェスター語:クワルナフ英語版))を基に成立したことを明らかにした。 アッシリア王ティグラト・ピレセル3世レリーフ 紀元前8世紀ごろ クシャーナ朝王族(フヴィシュカ(英語版)が仏陀布施する様子描いた彫刻一部か) 2世紀後半 ガンダーラ出土 後頭部には、頭に巻き付けたディアデマがたなびいている。 合掌する菩薩たち 莫高窟2856世紀北魏時代 帯状冠のリボン浮遊感演出する飛天 日本法界寺阿弥陀堂壁画 11世紀平安時代末期蓮花を囲むヘレニズム風の数珠紀元前115年サーンチーストゥーパ第2塔 奈良出土寺院の瓦 7世紀 東京国立博物館平成館 パーンチカハーリティー浮彫 パキスタンタフテ・バヒー出土 片岩 クシャーナ朝 2世紀 大英博物館蔵 男女神が対になった彫刻同時代によく見られるが、仏教遺跡から出土したことから極楽表現であった考えられる。ハリーティーは後に中国訶梨帝母となった男神ファッロ―、女神豊穣神アルドクショー(英語版)とも。 国宝 絹本著色訶梨帝母像 京都醍醐寺収蔵 平安時代から鎌倉時代 ガンダーラ地方邪神として恐れられていたパーンチカは、研究者によっては天然痘擬人化した存在とも見られている。数世紀ののち、仏教善神として取り入れられ西域経て唐代中国奈良時代日本へと広まっていった。 ギリシャ仏教美術の展開と伝播年代北東アジア&西域中央アジアガンダーラインド東南アジア紀元前5世紀 仏教誕生 紀元前4世紀 アレクサンドロス大王による支配紀元前330年紀元前3世紀から2世紀 セレウコス朝(紀元前300-250年) ---------- グレコ・バクトリア王国 (紀元前250-125年) (ヘレニズム文化) マウリヤ帝国紀元前321-185年) (Aniconic art) ミャンマー仏教拡がる 紀元前2世紀から1世紀中国前漢西域における仏教仏像についての言及 (紀元前120年) インド・グリーク朝(前200年-後80年) 仏教拡がりシンボル確立 自立シュンガ朝(紀元前185-73年) 紀元前1世紀月氏遊牧民族であったギリシャ化し、仏教改宗した インド・スキタイ王国(前80年-後20年) 1世紀中国における仏教公伝 インド・パルティア王国 マトゥラー美術 1世紀から3世紀確認されている中国最古仏像後漢200年頃)---------- ミーラン遺跡 ガンダーラハッダ遺跡):クシャーナ朝 北インドクシャーナ朝10年-350年南インドサータヴァーハナ朝(-3世紀初頭4世紀から6世紀タリム盆地東トルキスタン南北朝時代 キジル石窟莫高窟 ---------- 朝鮮日本への仏教伝来 エフタル グプタ朝(320年-550年) 大乗仏教現在のタイカンボジアベトナムに伝わる 7世紀から13世紀 吐蕃チベット)への仏教伝来(8世紀頃) ---------- 日本 ウマイヤ朝 イスラーム教勢力による支配 パーラ朝11世紀インドシナ半島 11世紀スリランカから上座部仏教が拡まる

※この「北伝仏教の美術と東方への影響」の解説は、「仏教美術」の解説の一部です。
「北伝仏教の美術と東方への影響」を含む「仏教美術」の記事については、「仏教美術」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「北伝仏教の美術と東方への影響」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「北伝仏教の美術と東方への影響」の関連用語

北伝仏教の美術と東方への影響のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



北伝仏教の美術と東方への影響のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの仏教美術 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS