北伝仏教の美術と東方への影響
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「仏教美術」の記事における「北伝仏教の美術と東方への影響」の解説
アジアにおける風神像の変遷 左:ヘレニズムの風神/2世紀のハッダにて、ガンダーラ美術の下で作られた像。風を蓄えた袋を背負っている。中:キジル石窟の風神/7世紀のタリム盆地で造営された仏教石窟寺院の壁画に見られる風神の図。風袋を背負ってはいるが、ここではよりアジア的な、インド文化の影響の色濃い精霊の姿に変わっている。 右:日本の風神/17世紀日本の絵師・俵屋宗達が描いた風神図(風神雷神図屏風右隻の部分)。風袋を背負う様式を踏襲しながらも、姿は大きく変容し、青い鬼神になっている。 「古代ギリシアの彫刻」および「:en:Persian art」も参照 シルクロードを通じた仏教の布教活動には、芸術方面での影響を伴っていた。それらは、現代の新疆ウイグル自治区にあたるタリム盆地で2世紀から11世紀にかけて栄えた東トルキスタンの美術に見ることができる。シルクロード美術は、多くの場合ガンダーラ地方で、インドやギリシャ、ローマの影響を受けつつ成立したギリシャ式仏教美術に起源をもつ。また、ヘレニズム仏教美術は、大乗仏教の教えを伝えたのみならず、古代ギリシャやローマ、ペルシャ、北西インドの文化・風俗・身体表現・装飾を伝える役割をも担い、近くは南インド、遠くは日本にまで今日まで至る文化的な影響をのこした。それらは、建築の紋様(宝相華文や連珠文)や聖像、仏画、仏像、神道(水天や鬼子母神)に見ることができる。 図像的なディーテールにおいても、ヘレニズム文化から仏教美術への影響が及ぼされた。翻波式衣文といった衣紋の表現や、フリーズにおける植物や幾何学パターンにおいて顕著であるが、聖像表現においてもそれは例外ではなかった。例えば、尊格の装束においてはディアデーマがある。ディアデーマ(希:διάδημα)とは、ペルシャやヘレニズム国家の王が身につけた冠であり、王権の象徴でもある。ディアデーマは仏教美術にそのまま尊格の表現として採り込まれると、中国の莫高窟の壁画や日本の来迎図などに登場する菩薩や飛天の表現様式とともに定着した。 また、ガンダーラおよび中央アジアにおいて仏教彫刻が成立していくなかで、ギリシャ神話の神々やゾロアスター教の神々、そして他のインドの神々が取り込まれていった。これらの地域で制作された仏教彫刻にのみ作例がのこるアトラース神やトーリトーン神、アフロディーテー神、ポセイドーン神のような神格もあれば、美術様式の一端となって東アジアまで伝わった、ミスラ神と習合したヘーリオス神、クベーラと習合したディオニューソス神、ニュクス神、エロース神などの神格、後代には天部として仏教において信仰対象になったヘーラクレース神(執金剛神)やスーリヤ(日天)、ハリーティー神と習合したテュケー神(鬼子母神)、クベーラと習合して食厨の神としての大黒天を形作ったファッロ―神(後述)などがいた。20世紀に入ってからの美術史における研究で、仏教美術に取り込まれた神格が、本来ギリシャに源流を持つことが明らかになった例もある。ガンダーラ、敦煌にも作例が残る風神と雷神は、本来はギリシャ神話のボレアース神に図像的な起源を持つことが研究によって指摘された。さらに、日本の宗教美術史家である田辺勝美は、「武装した毘沙門天」という図像の成立過程に関する研究を通じて、天部のひとつである毘沙門天が、ギリシャのヘルメース、ローマのメルクリウスに源流をもつ、クシャーナ人に信仰された福神、ファッロ―(バクトリア語:Pharro、アヴェスター語:クワルナフ(英語版))を基に成立したことを明らかにした。 アッシリア王ティグラト・ピレセル3世のレリーフ 紀元前8世紀ごろ クシャーナ朝の王族(フヴィシュカ(英語版)が仏陀に布施する様子を描いた彫刻の一部か) 2世紀後半 ガンダーラ出土 後頭部には、頭に巻き付けたディアデマがたなびいている。 合掌する菩薩たち 莫高窟第285窟 6世紀、北魏時代 帯状冠のリボンが浮遊感を演出する。 飛天 日本、法界寺阿弥陀堂壁画 11世紀(平安時代末期) 蓮花を囲むヘレニズム風の数珠紋 紀元前115年頃 サーンチー、ストゥーパ第2塔 奈良出土の寺院の瓦 7世紀 東京国立博物館平成館 パーンチカとハーリティー像浮彫 パキスタン、タフテ・バヒー出土 片岩 クシャーナ朝 2世紀 大英博物館蔵 男女神が対になった彫刻は同時代によく見られるが、仏教遺跡から出土したことから極楽の表現であったと考えられる。ハリーティーは後に中国で訶梨帝母となった。男神がファッロ―、女神は豊穣神アルドクショー(英語版)とも。 国宝 絹本著色訶梨帝母像 京都、醍醐寺収蔵 平安時代から鎌倉時代 ガンダーラ地方で邪神として恐れられていたパーンチカは、研究者によっては天然痘を擬人化した存在とも見られている。数世紀ののち、仏教に善神として取り入れられ、西域を経て、唐代の中国、奈良時代の日本へと広まっていった。 ギリシャ仏教美術の展開と伝播年代北東アジア&西域中央アジアガンダーラインド東南アジア紀元前5世紀 仏教の誕生 紀元前4世紀 アレクサンドロス大王による支配(紀元前330年) 紀元前3世紀から2世紀 セレウコス朝(紀元前300-250年) ---------- グレコ・バクトリア王国 (紀元前250-125年) (ヘレニズム文化) マウリヤ帝国(紀元前321-185年) (Aniconic art) ミャンマーに仏教が拡がる 紀元前2世紀から1世紀中国、前漢西域における仏教と仏像についての言及 (紀元前120年) インド・グリーク朝(前200年-後80年) 仏教の拡がりとシンボルの確立 自立仏 シュンガ朝(紀元前185-73年) 紀元前1世紀月氏遊牧民族であったがギリシャ化し、仏教に改宗した インド・スキタイ王国(前80年-後20年) 1世紀中国における仏教公伝 インド・パルティア王国 マトゥラーの美術 1世紀から3世紀確認されている中国最古の仏像 (後漢、200年頃)---------- ミーラン遺跡 ガンダーラ(ハッダ遺跡):クシャーナ朝 北インド:クシャーナ朝(10年-350年) 南インド:サータヴァーハナ朝(-3世紀初頭) 4世紀から6世紀タリム盆地(東トルキスタン) 南北朝時代 キジル石窟、莫高窟 ---------- 朝鮮、日本への仏教伝来 エフタル グプタ朝(320年-550年) 大乗仏教が現在のタイやカンボジア、 ベトナムに伝わる 7世紀から13世紀 吐蕃(チベット)への仏教伝来(8世紀頃) ---------- 日本 ウマイヤ朝 イスラーム教勢力による支配 パーラ朝(11世紀) インドシナ半島 11世紀、スリランカから上座部仏教が拡まる
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