北但馬地震後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 08:07 UTC 版)
1925年(大正14年)5月23日に発生した北但馬地震(北但大震災)は、大規模な火災等、豊岡町にも大きな被害をもたらした。 1926年(大正15年)2月23日の町会で、町長となっていた伊地智三郎右衛門(任:大正13年12月~昭和5年3月)は、復興の具体的手段として「先づ都市生長発達の要件たる産業交通運輸に力を尽くすべく主として道路計画を樹立して市街の体裁を整へ物資集散の勢ひを助長」することが重要と述べ、大豊岡構想はさらに積極的に展開されることとなった 豊岡町は、震災復興再開発事業として耕地整理を名目に区画整理を進めた。 円山川の改修のほか、港村に属していた津居山港の改修も進められ、大豊岡構想は結果的に周辺の村部にも波及した。
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