北伐参加と、チベット攻略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/22 08:48 UTC 版)
北伐に際しては征戍将軍に任じられ、襄・漢の兵を率いて南陽(河南省南陽市)以北の未占領地を攻略した。唐州(河南省駐馬店市泌陽県)・南陽に進攻、逃げる元軍を瓦店(河南省南陽市宛城区瓦店鎮)で破り、史国公ら26人を捕らえた。さらに東北に軍を進め、随・葉(河南省平頂山市葉県)・舞陽(河南省漯河市舞陽県)・魯山(河南省平頂山市魯山県)を占領した。牛心・光石・洪山の敵拠点を攻め、均州・房州・金州・商州の地を占領した(1369年、元は中華の地を捨てて北方に逃れ、以後北元と呼ばれるようになる)。1370年、大将軍徐達と共に征虜左副将軍として定西(甘粛省定西市)攻略に従軍し、ココ・テムルを敗走させる。さらに別働隊を率いて河州(甘粛省臨夏回族自治州臨夏県)を占領、チベット(吐蕃)の諸酋長を降伏させた。さらに黄河上流を西に進み、黒松林で敵を破る。さらに河州西方の朶甘(チベット自治区チャムト東部)・烏斯蔵の諸部族を従わせた。甘粛西北数千里を行軍して帰還した。後にその功により、開国輔運推誠宣力武臣・栄禄大夫・右柱国・衛国公・参軍国事に任じされ、禄3千石を与えられた。
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