北伐の軍功と挫折
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1926年(民国15年)7月の北伐には、薛岳は第1師副師長兼第3団団長として参加する。9月、孫伝芳軍が守る南昌を第1師と程潜率いる第6軍が攻撃したが、攻略はならなかった。このとき、第1師師長の王柏齢は恐怖を覚えて軍令違反の撤退を犯して罷免され、勇戦していた薛が第1師師長代理をつとめることになる。その後、薛率いる第1師は江西省で孫軍を度々破る軍功をあげた。11月に南昌を北伐軍が攻略すると、第1師は浙江省へと転進し、翌1927年(民国16年)2月の杭州攻略に貢献した。3月には上海に進軍し、上海総工会など労働者勢力とは協調関係を確立した。 しかし同年3月、蔣介石は中国共産党排除の動きを加速させる。薛岳の労働者に対する協調姿勢は蔣の猜疑と怒りを買うことになる。4月5日、ついに薛は第1師師長から罷免されてしまった。その1週間後には、蔣は上海クーデター(四・一二政変)を発動することになる。 その後、薛岳は第4軍軍長李済深の下に至り、広東新編第2師師長となる。9月、南昌起義を起こした軍と戦闘を繰り広げた。11月、張発奎・黄琪翔が反李反蔣クーデターを起こすと、薛もこれに加わり、第4軍教導第1師に任ぜられている。12月には張太雷・葉挺が起こした広州起義を鎮圧した。この軍功により薛は第4軍副軍長に昇格し、軍長繆培南と共に東江一帯に駐屯した。しかしまもなく、李・蔣を支持する陳銘枢・黄紹竑に挟撃されて軍の半数を喪失する大損害を被ってしまう。
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