北伐への貢献
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 16:50 UTC 版)
広西省を統一した李宗仁は、その後、広東方面へも国民党支援のために出兵し、広東の平定にも貢献した。1926年3月、李宗仁軍は国民革命軍第7軍に改組され、李宗仁が軍長、黄紹竑が党代表、白崇禧が参謀長となった。7月、李宗仁は北伐に自ら第7軍を率いて参戦し、湖南省・湖北省・江西省方面へ進撃して北京政府側の呉佩孚・孫伝芳などを撃破した。1927年3月、安徽省に進駐している。 4月12日、上海クーデターが発生すると、李宗仁は蔣介石を支持して中国共産党粛清に従事した。武漢と上海の国民政府の分裂(寧漢分裂)でも上海国民政府を支持している。1928年、武漢政治分会主席を兼ね、さらに第4集団軍総司令に昇進した。北伐勝利後の10月、国民政府委員兼軍事参議院院長に任じられている。
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