廖了以
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 02:40 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動廖了以 | |
---|---|
![]() | |
プロフィール | |
出生: | 1947年10月29日(74歳) |
出身地: |
![]() |
職業: | 政治家 |
各種表記 | |
繁体字: | 廖了以 |
簡体字: | 廖了以 |
拼音: | Liào Liăoyĭ |
和名表記: | りょう りょうい |
発音転記: | リャオ リャオイー |
廖 了以(りょう りょうい)は台湾の政治家。前亜東関係協会会長[1]。逢甲大学統計学部卒。国民党に属し、元豊原市長や、台中県長、内政部長、総統府秘書長、2009年9月から2012年1月31日まで国民党秘書長。 台湾政治に付き物である地方派閥のうち、台中市紅派のボス。地盤は豊原区。
母親は日本人であり、外祖父に日本統治時代に台中庁長を務めた佐藤謙太郎がいる。日本語は「読むのは苦手だが話すのは可能」と語っており、日本人との会話には日本語を使用する[2]。
脚注
- ^ “亜東関係協会会長に李嘉進氏を選出”. 台湾週報 (台北駐日経済文化代表処). (2013年6月13日) 2013年5月6日閲覧。
- ^ “台湾の対日窓口トップに廖氏 母は日本人”. 朝日新聞 (朝日新聞デジタル). (2012年2月10日) 2012年2月10日閲覧。
![]()
|
---|
固有名詞の分類
- 廖了以のページへのリンク