空手道 空手の流派と競技形式

空手道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/27 06:24 UTC 版)

空手の流派と競技形式

歴史

講道館に統一されている柔道とは異なり、空手道には無数の流派が乱立し、流派によって教える型や鍛練法、試合ルールも全く異なる。大別すると、空手道の競技形式は伝統派空手フルコンタクト空手防具付き空手に分類することができる。

糸洲安恒によれば、空手道はもと昭林流と昭霊流の二派が中国から伝来したものが起源とされる[46]。前者は首里手となり、後者は那覇手となったとするのが一般的な解釈であるが、上記二派は中国でもその存在が確認されておらず、どの程度歴史的事実であったのかは、疑問の残るところである。そもそも「……流」という表記は日本的であり、中国では「……拳」と称するのが一般的であるとの指摘もある。

今日の空手流派は本土に伝来して以降のものである。最古の空手流派は、本部朝基が大正時代に命名した日本傳流兵法本部拳法(本部流)が、文献上確認できるものとしては最も古い[47]。船越義珍の松濤館流も実質的には同程度古いが、この流派名は戦後の通称であり、船越自身は生涯流派名を名乗らなかった[48]。昭和に入ってからは、宮城長順が昭和6年(1931年)に剛柔流を名乗っている[49]。その後は、知花朝信(小林流1933年)、摩文仁賢和(糸東流1934年)、小西良助(神道自然流1937年)、大塚博紀(神州和道流空手術・1938年)、保勇少林寺流空手道錬心舘1955年)、菊地和雄(清心流空手道・1957年)と、流派の命名が続いた。

伝統派空手

広義には、文字通り伝統的な空手の流派、すなわち、古流空手、全空連加盟等の本土空手、沖縄空手を含む。防具付き空手をこちらに分類することもある。伝統空手とも言う。狭義には、「寸止め」ルールを採用する全空連の空手およびその参加流派を指す場合が多い。下記の分類はあくまで概略的なものであり、それぞれにまたがる流派も多い。詳しくは、伝統派空手を参照。

古伝空手(古流空手)

伝統派空手のうち、競技化、スポーツ化を志向せず、古伝(古流)の空手スタイルを重視する。特徴としては、伝統的な型稽古や組手稽古、沖縄古来の鍛錬法の重視、武器術の併伝などを挙げることができる。沖縄空手とほぼ同義で使われることもあるが[50]、沖縄空手の中でも、特に糸洲安恒による空手近代化以前のスタイルを指して使われることもある[51]

古伝空手(唐手)もしくは古流空手(唐手)という用語自体は、比較的最近のものである[注 1]。1990年代以降、伝統派空手の内部から空手の近代化に批判的な論客(柳川昌弘新垣清宇城憲治など)が現れ、彼らの著作がベストセラーになるようになった。特に2000年以降、甲野善紀らによる古武術ブームの影響もあり、古伝(古流)空手への回帰論は空手言論界に大きな影響を及ぼした。こうした研究者のすべてが古伝(古流)を標榜しているわけではないが、近代空手と一線を画する論調が相互作用して一つの潮流を形成している。

古伝(古流)空手では、型の再評価や型分解の見直し、また競技化される以前の組手にあった技法――急所攻撃、取手(関節技、投げ技)等――の探究、さらには「」、丹田といった東洋的な概念の再評価が行われている。

古伝(古流)空手の流派には、湖城流本部流心道流などがある。他に沖縄本島の松林流喜舎場塾、日本本土の空手道今野塾、清心館大久保道場(全日本清心会)などの古流稽古スタイルの会派・道場がある。

狭義の伝統派空手(全空連空手、寸止め空手)

一般には本土空手を指す場合が多い。全空連に加盟し、空手道の競技化、スポーツ化に力点をおいている。全空連が寸止めルールを採用していることから、寸止め空手と呼ばれることも多い。競技空手、スポーツ空手とも呼ばれる。本土空手は、剛柔流、松濤館流、和道流、糸東流が規模の上から一般に四大流派と呼ばれ、よく知られている。

本土空手は、大学や高校を中心に発展してきた。それゆえ、より若者向けに型や組手も沖縄より全体的に力強く、ダイナミックで、見栄えがするように変化してきている。しかし、近年では生涯武道という観点から、また古伝空手ブーム等の影響もあって、競技化への反省も見られる。他に本土という土地柄、他格闘技との融合や影響が見られるのも特徴である。

近年では、勝負の判定を従来よりスポーツライクなものとしたポイント制や、拳サポーターの色分け(青と赤。従来は両者が白で、赤と白の区別は赤帯を用いていた)、細かなものでは審判の人数や立ち位置など、ルールにかなりの見直しが施されている。これらはオリンピック種目化を目指しての革新と見られるが、スポーツ化したとき見た目にはさほど違いのないテコンドーが既にオリンピック種目となっているため、実現は容易ではないと考えられていた。

2016年8月3日(日本時間4日)、リオデジャネイロで開かれた国際オリンピック委員会総会で2020年東京オリンピックの追加種目の一つとして空手道が承認された[52]

沖縄空手

沖縄に本拠をおく空手流派である。スポーツ化の傾向にある本土空手と距離をおく意味で、「沖縄空手」が本来の伝統武道空手として用いられる場合も多い。本土の流派が主導する全空連が指定形から沖縄の形を排除したことに反発して、沖縄は本土と距離を置くようになった。しかし、沖縄県空手道連盟のように全空連に加盟している組織もある。

沖縄空手の特徴としては、伝統的な型稽古や鍛錬法を重視している。組手は、本土よりも遅れていたが近年は全空連式の寸止め方式が逆輸入されて盛んになっている。以前は防具組手も行われていた。ほかに武器術や取手術の併伝などを挙げることができる。しかし、沖縄空手も糸洲安恒以降近代化しており、また本土からの影響もあって、琉球王国時代そのままというわけではない。明治以降、東恩納寛量や宮城長順による那覇手の改革、新たに中国からもたらされた上地流等の普及により、琉球王国時代の特徴をそのまま継承する流派はむしろ少数になっている。湖城流のように戦後県外に流出した古流流派も存在する。しかし、少数の道場では、今日でも古くから伝えられた技や稽古法の保存に努めている。近年では沖縄県自体も空手の発祥地を意識して、「沖縄空手」の国際的な宣伝に力を入れている。

沖縄空手の流派には、三大流派として剛柔流上地流小林流があり、他に糸東流、沖縄拳法、少林流、少林寺流、松林流、本部御殿手、沖縄剛柔流、沖縄松源流、劉衛流、金硬流などがある。本土の空手会派とは組織形態が異なり、多くの沖縄空手会派、流派は単独組織を維持し、本土より世界各国に、より数多くの支部道場を持ち、世界的な大きな広がりがある。

フルコンタクト空手

直接打撃制ルールを採用する会派。開祖となった極真空手がもっとも有名であるが、広義には以下のものも含まれる。そもそも直接打撃制ルール自体は寸止めルールよりもはるかに歴史は古い。詳しくは、フルコンタクト空手を参照。

狭義のフルコンタクト空手(極真カラテなど)

極真会館とその分派の多くに代表される「手技による顔面攻撃以外」の直接打撃制ルールを採用する会派のことを指す。しかし、近年では国際FSA拳真館極真館など一部の試合で手技による顔面への直接打撃を認める会派も増えている。また、最近は幼年部・少年部・壮年部の人口が増加しているため、上級者以外ではヘッドギアやサポーターをつけることが多くなっている。極真会館の分派以外には伝統派空手の分派や、少林寺拳法の分派である白蓮会館、日本傳拳法の流れを汲む士衛塾、国際FSA拳真館などがある。2013年(平成25年)には、新極真会緑健児JKJOの渡辺正彦の呼びかけで、全日本フルコンタクト空手道連盟(JFKO)が発足。いわゆる直接打撃制ルールを採用するフルコンタクト空手諸団体の統括組織と位置付けられている。そして2014年(平成26年)5月、直接打撃制(フルコンタクト)ルールを採用するフルコンタクト空手界で初の統一大会(JFKO主催による第1回全日本フルコンタクト空手道選手権大会)が大阪市中央体育館で開催された[53]

アメリカのフルコンタクト空手

フルコンタクト空手のもともとの意味は、アメリカで始められたキックボクシング的なプロ空手のことである[54][55][注 2]。ボクシングとの差異を計るため、1ラウンド毎に対戦相手の腰より上へのキックを8本以上蹴らなくてはならないルールが特徴的。参加選手の出身流派は、沖縄や日本の空手諸流派だけでなく、韓国のテコンドーやアメリカなど欧米諸国で誕生した新興流派の出身者も多い。現在はキックボクシングの一種として“フルコンタクト・キックボクシング”という呼び名で、競技として成熟しつつある。

総合空手(格闘空手、バーリトゥード空手)

打撃のみならず、投技や寝技なども取り入れ、いわゆる総合格闘技に近い形での試合を行う会派を指す。代表的な会派は、一切の防具着用をせず、また一部で素手の拳による顔面攻撃を認めた試合を行うため、もっとも過激なルールと言われる真武館などや、空道の分派である空手道禅道会などが挙げられる。

POINT&KOルール空手

極真空手に代表されるフルコンタクトスタイルに加えて、相手が防御できない状態で正確な蹴りが入った場合、ダメージの大きさにかかわらず技術点としてポイントを与え、技術的優劣を明確にするPOINT&KOルールで試合をする会派である。胸部への突きとローキックを主体とするスタイルを改め、伝統空手のスピードとフルコンタクト空手の破壊力を取り入れている。主な会派として佐藤塾寛水流空手などがある。

防具付き空手

防具をつけて試合をする空手競技のことである。組手競技ルールとしては元々寸止め空手やフルコンタクト空手よりも歴史が古く、空手界で最初の全国大会である全国空手道選手権大会も防具付きルールで行われていた。錬武会錬心舘など伝統派空手の一部が長年掛けてルールと防具を改良し完成させた。詳しくは、防具付き空手を参照。

伝統的な防具付き空手

防具着用の競技形式は戦前より研究され、東京大学の唐手研究会、大阪の摩文仁賢和立命館大学の山口剛玄、剛柔流宮城長順等がそれぞれで防具の使用を試みていた。また沖縄でも一時期は防具着用による試合が沖縄拳法中村茂)の名称で行われていた。その中で制度として定着したのは戦後の武道禁止令の中、剣道の防具着用による金城裕が主導した韓武舘の防具付き空手だった。韓武舘は遠山寛賢の無流派主義を受け継ぐ道場で後に全日本空手道連盟(旧)に発展。後に四大流派等とともに現在の公益財団法人全日本空手道連盟を発足させ、全空連の協力団体として防具付き空手を統括する全日本空手道連盟錬武会となった。同様に伝統的な防具付き空手団体としては全日本少林寺流空手道連盟錬心舘、千唐会等があり、いずれも広義の伝統派空手に含む場合もある。錬武会は無流派主義で全空連の防具付き空手統括団体として他流派をルーツとする団体の加盟も認めている連盟であるが、錬心舘と千唐会は一流一派の会派団体となっている。いずれも、伝統的な動作や引き手を重視する一本勝負で試合を行い、錬武会と錬心舘は「技あり」に相当な打撃強度が求められる。また、錬心舘は蹴り技に特化しており、独特の回し蹴りが発達している。

硬式空手

硬式空手は久高正之がプラスチック製の防具スーパーセーフを開発した事にはじまり、1981年(昭和56年)、錬武舘東京本部拳行館日本正武館剛武舘を中心に、錬武会から分かれて作られた競技形式である。錬武会の一本勝負と異なり、「止め」までに時間をとってその間の攻防の中で当たった技を全て加点する、連打推奨の加点方式を採用している事が最大の特徴である。また名称は当時すでに主流であった寸止めルールを「軟式」として認識し、それに対抗する形で名づけられた。現在、硬式空手を行う団体は著作権等もあり全日本硬式空手道連盟のみであるが、2派に分裂していてそれぞれ千葉派久高派と呼ばれ、両者の間には若干のルールの違いがある。連打推奨のため、伝統的な動作には錬武会や錬心舘ほど重きを置いていない。

セーフティー空手、防具空手

全日本セーフティー空手道連盟は硬式空手から分裂し、テコンドー団体と交流しながら蹴り技を主体とした組手競技を行う団体として発足した。また、同様の団体として平成に入ってから、全日本格斗打撃連盟、日本防具空手道連盟、全国防具空手道連盟などが相次いで発足した。安全性に配慮し、打撃強度は比較的軽くてもとり、当てること重視で動作も伝統派空手とは異なる。これらの団体は「防具付き空手」ではなく「防具空手」と名乗る傾向がある。キックボクシング新空手等とも交流がある。

広義の防具付き空手

全日本空手道連盟ルールにおいても、安全具としてメンホーという防具を装着する場合がある。ただし、これらはあくまで「寸止め」が前提であって直接打撃を前提とする上記の団体とは異なる。また、フルコンタクト空手団体にも、顔面に防具を着用する部門を設ける場合があるが、基本的にはフルコンタクトルールなのでダメージ制であり、手技による顔面への攻撃は認められていないことが多い。 しかし近年では、極真空手を出所とする団体間で顔、胴、脛、拳等に防具を着用し、突き(顔面への直突きのみ寸止めで認められる)・蹴り(下段蹴りは禁止)の攻撃をポイント制とするセミコンタクトルールが導入されている[56][57]


注釈

  1. ^ 中田瑞彦「本部朝基先生・語録」1978年(小沼保『琉球拳法空手術達人 本部朝基正伝』所収)に「古流唐手」の使用例がある。それ以降では、岩井作夫『古伝琉球唐手術』(愛隆堂、1992年)等に見いだされる。
  2. ^ 元・月刊空手道編集長の小島一志が、“フルコンタクト空手”という名称がアメリカ発で、それを日本で行われている極真会館に代表される直接打撃制の空手ルールに呼びやすい名前をつけるために拝借したと自身の著作、“リアルバトロジー2 新世紀格闘技論”にて告白している。
  3. ^ 英語版の記事ではそう記述されているが、日本側の文献では本部朝基に中国人の弟子がいたかどうか確認できていない。
  4. ^ 前 IOC副委員長で世界跆拳道連盟の会長であった金雲容は 「テコンドー協会長になった頃、シルムやサッカーの関係者は自分たちのスポーツが国技であると主張していた。当時のテコンドーはいろんな面で弱かったので、私は(訳者注:1971年3月20日に)、朴正煕大統領に頼んで『国技テコンドー』と親筆揮毫していただいた。そしてこれを大量にコピーして、全ての道場に掛けるように命じた。このことがきっかけになってテコンドーは国技になった。」と『mooto media、www.mooto.com、2010年2月9日』で語っている。

出典

  1. ^ 「危険に立ち向かう力が身につく。心技体を鍛えて強くなる」、2016年1月15日発行、発行者・小川雄一、14頁。
  2. ^ 船越義珍『琉球拳法唐手』3頁参照。
  3. ^ 「空手の歴史」 宮城篤正 おきなわ文庫 2014年2月12日
  4. ^ 糸洲十訓第6条を参照。
  5. ^ 「本社主催・空手座談会(二)」『琉球新報』1936年10月28日。
  6. ^ 摩文仁賢和・仲宗根源和『攻防拳法空手道入門』43頁参照。
  7. ^ 船越義珍『愛蔵版 空手道一路』榕樹書林、2004年、98頁参照。
  8. ^ 富名腰義珍『琉球拳法唐手』武侠社、1922年、2頁。
  9. ^ 本部朝基『沖縄拳法唐手術組手編』唐手術普及会、1926年、4頁。
  10. ^ a b c 『空手道:その歴史と技法』嘉手苅、小山、和田, 2020年日本武道館(ベースボールマガジン社)
  11. ^ 船越義珍『愛蔵版 空手道一路』榕樹書林、2004年、99頁参照。
  12. ^ 『創立十周年記念・空手道集成第一巻』慶応義塾体育会空手部、1936年、7、25頁参照。
  13. ^ 『創立十周年記念・空手道集成第一巻』慶応義塾体育会空手部、1936年、25頁参照。
  14. ^ 『創立十周年記念・空手道集成第一巻』慶応義塾体育会空手部、1936年、4、25頁参照。
  15. ^ 三木二三郎・高田瑞穂『拳法概説』東大唐手研究会、1929年、改訂版1930年、復刻版、榕樹書林、2002年、221頁参照。
  16. ^ 同上。
  17. ^ a b 宮城長順「唐手道概説」 1936年、参照。
  18. ^ 山内盛彬「空手随想」『月刊空手道』七・八月合併号、空手時報社、1956年、61頁参照。
  19. ^ 安里安恒談・富名腰義珍筆「沖縄の武技」(『琉球新報』1913年1月17日-19日記事)。
  20. ^ 本部朝基『私の唐手術』、岩井虎伯『本部朝基と琉球カラテ』所収、10頁。
  21. ^ a b c 本部直樹「「阿嘉直識遺言書」に見る18世紀の琉球の諸武術―示現流、柔術、からむとう―」(『日本武道学会第42回大会研究発表抄録』日本武道学会、2009年)
  22. ^ 長嶺将真『史実と伝統を守る・沖縄の空手道』50頁。
  23. ^ 『日本武道体系第8巻空手道・合気道・少林寺拳法・太極拳』 今村嘉雄編 同朋舎出版 1982年 ISBN 4810490173 P,105
  24. ^ 上里隆史『目からウロコの琉球・沖縄史』ボーダーインク、2007年、64頁参照。
  25. ^ 儀間真謹・藤原稜三『対談 近代空手道の歴史を語る』43頁参照。
  26. ^ 同上、42頁。
  27. ^ 藤原稜三『格闘技の歴史』640頁参照。
  28. ^ 船越義珍『愛蔵版 空手道一路』95頁参照。
  29. ^ 岩井虎伯『本部朝基と琉球カラテ』愛隆堂、平成14年、146頁参照。
  30. ^ 渡久地雅昭「空手の歴史、その信憑性を考察する」『JKFan』2006年10、11、12月号、2007年5、7月号、チャンプ
  31. ^ 藤原稜三『格闘技の歴史』657頁参照。
  32. ^ 『球陽』第18号、1909年、沖縄県公文書館所蔵。高宮城繁・仲本政博・新里勝彦『沖縄空手古武道事典』柏書房、2008年、736頁参照。
  33. ^ 船越義珍『愛蔵版 空手道一路』149頁参照。
  34. ^ 長嶺将真『沖縄の空手・角力名人伝』新人物往来社、昭和61年、144頁参照。
  35. ^ 「唐手実見の感想」『日布時事』1927年7月6日[1]
  36. ^ 比嘉敏雄・高宮城繁編著『武魂 -奥妙在錬心-』沖空会北谷道場、2002年、90頁参照。
  37. ^ 長嶺将真『史実と伝統を守る・沖縄の空手道』52頁参照。
  38. ^ 儀間真謹・藤原稜三『対談・近代空手道の歴史を語る』147頁参照。
  39. ^ 『空手道』収録の寄稿文、大塚博紀「明正塾前後」の55頁、ならびに小西康裕「琉球唐手術の先達者」の58、59頁を参照。
  40. ^ 月刊空手道2012年10月号 防具付空手の開拓者 一撃必殺錬武会[リンク切れ]
  41. ^ 空手道の歴史について 組手の競技化を実現した「寸止めルール」(福昌堂)[リンク切れ]
  42. ^ 『創立十周年・記念誌』沖縄県空手道連盟、1991年、19頁参照。
  43. ^ 『創立十周年・記念誌』沖縄県空手道連盟、1991年、16頁参照。
  44. ^ 長嶺将真「国体における空手道型の指定について」『創立十周年・記念誌』沖縄県空手道連盟、1991年、188頁参照。
  45. ^ 「対談・ゲスト小西康裕/聞き手池田奉秀・空手道を語る――過去と現在の武道的視点――」『対談集・空手道を語る』武道出版研究所、1977年、6頁参照。
  46. ^ 糸洲十訓参照。
  47. ^ 岩井虎伯『本部朝基と琉球カラテ』199頁参照。
  48. ^ 船越義珍『愛蔵版・空手道一路』105頁参照。
  49. ^ 外間哲弘編著『空手道歴史年表』42頁参照。
  50. ^ 時津賢児『武道の力』(大和書房、2005年)の「古流空手から中国拳法へ」(62-66頁)参照。
  51. ^ フル・コム編『公開!沖縄空手の真実』東邦出版、2009年、48頁。
  52. ^ 全日本空手道連盟. “「空手」東京2020オリンピック追加競技に決定!”. 2016年8月25日閲覧。
  53. ^ 東スポWeb. “空手五輪入りへ大きな一歩!フルコン初の統一大会大成功”. 2014年5月19日閲覧。
  54. ^ John CorcoranとEmil Farkasの著作、The Original Martial Arts Encyclopedia: Tradition, History, Pioneers を参照。
  55. ^ アメリカ空手界歴史研究家,Jerry Beasleyの著作、Mastering Karateを参照。
  56. ^ eFight【イーファイト】. “大幅ルール改正、松井館長「より実戦的な空手でクオリティの高い競技を」”. 2017年9月8日閲覧。
  57. ^ eFight【イーファイト】. “2018年6月から新ルール導入、五輪空手ルールに対応へ=下段蹴り禁止、顔面寸止め有効など”. 2017年11月4日閲覧。
  58. ^ 儀間真謹・藤原稜三『対談・近代空手道を語る』273頁参照。
  59. ^ 三木二三郎・高田瑞穂『拳法概説』184頁参照。
  60. ^ 富名腰義珍『錬胆護身 唐手術』掲載写真参照。
  61. ^ 儀間真謹・藤原稜三『対談・近代空手道を語る』104頁参照。
  62. ^ 富名腰義珍『空手道教範』大倉広文堂、昭和10年、37頁参照。
  63. ^ 『日布時事』1927年4月12日記事






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