空手生活と弓道館の広がり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 08:32 UTC 版)
1969年の特別招待された日本空手道選手権のために日本武道館で演武を行う。1971年に根拠地である那覇ボディービルセンター(今日は「那覇ジム」として知られる)をオープンし、叔父である祐直の指導の下、究道館本部道場で空手トレーニングを続けた。 1976年、伊波浩太郎主宰の琉球古武道流今会会員。 1977年、 裕直とともに沖縄究道館空手道アルゼンチン選手権大会を主宰する少林流究道館連盟(比嘉仁達主宰)招聘でアルゼンチンを訪問。この時期、比嘉友比古、仁達、オスカー比嘉、比嘉紅人とともに催した演武は、比嘉ファミリースクールの名前を広めるのに役立つことになる。
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