聚義庁に名札を持たない梁山泊の人物
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「大水滸シリーズの登場人物」の記事における「聚義庁に名札を持たない梁山泊の人物」の解説
公淑(公母) (水滸伝)洪水により目の前で夫・劉定と息子・劉良を喪い発狂、李俊に保護されていた女性。旅の途中の宋江と武松に出会い、精神の平衡を取り戻す。李俊の梁山泊入りに従い、二竜山で出会った幼き楊令に深い愛情を注いだ。後に秦明と再婚し一児・秦容をもうける。 (楊令伝)花飛麟・秦容と共に残党狩りを逃れて王進の下へ身を寄せる。後に王進と再婚し、亡き王母に代わって子午山での生活を支える。武松が預けた蔡豹を秦容とわけ隔てなく育て、公母と呼ばれ親しまれる。 (岳飛伝)子午山で暮らしていたが、病に伏せるようになる。周囲の看病を受けるも衰弱が進み蔡豹、王清、郝嬌らに想いを伝え、皆に看取られて穏やかな最期を迎える。王進とは言葉を交わさずとも強い結びつきがあった。 秦容(狼牙) (水滸伝)秦明と公淑の息子。二竜山陥落時に、母に伴われ脱出。 (楊令伝)青蓮寺の残党狩りをかいくぐり、母と共に王進の下へ逃れるが、その途中で護衛を務めた花飛麟の過失で賞金稼ぎに襲われ、その際顔と胸を負傷、治癒後も傷跡が残る。王進に鍛え上げられ、小型の狼牙棒を武器にする。王進を訪ねた童貫と立ち合うも気迫で打ち負かされ、彼から狼牙の綽名を付けられる。 童貫戦後に公孫勝の訪問を受けて子午山を降りる。西夏で韓成の護衛を務めた後に梁山泊に入山、志願して郭盛軍の一兵卒となる。岳家軍や金軍との戦闘で活躍、騎馬隊隊長として一軍を率いる。さらに三万の軍の指揮官へ昇格。愛馬の千里風は亡き林冲の愛馬だった百里風の血を引いている。武術の腕は卓抜したものがあり、史進・楊令らを驚嘆させるほど。暢気な口調で喋るため、人によっては不快に思われることがある。岳家軍・金軍との戦いでは狼牙棍の凄まじさを見せつけ、奮戦する。 (岳飛伝)再編成により呼延凌と同じく一万五千の軍を指揮する。前作のような余裕は無くしており、苦悩の中にある。兀朮の首を奪ることで楊令の敵を討とうと考えていたが戦いの中で考えに変化が生じ、思案の末に軍を退役。数十名と共に南方に移り住み、開墾をはじめる。苦心の末に甘蔗および甘蔗糖の栽培・精製を軌道に乗せることに成功。梁山泊の主要な交易品の一つとなる。 開拓地の規模が拡大していく中で儀応が提出した計画書をきっかけに十万人規模の都市、『小梁山(しょうりょうざん)』の建設を実行に移す。南宋の南方侵攻が開始されてからは軍の編成や岳家軍を立て直した岳飛と連携する。 郝瑾(斑貓王→叩頭蟲) (水滸伝)郝思文の息子。家族で梁山泊入りし、二竜山の兵士となる。下級将校に推薦されたが父の猛反対に遭う。だが将校へ昇進した際に父の真意と愛情を知り号泣した。趙安戦で龔旺を助けて死線をさまようが、彼の命懸けの言葉で一命をとりとめる。最終決戦では入山直後の楊令の副官となり、禁軍と戦う。後に、宋江隊の陶宗旺の副官となる。 (楊令伝)楊令の副官。幻王軍の一隊の指揮官も務める。梁山泊陥落直後にただひとり楊令と合流、遼の地で幻王を名乗った彼と共に戦っていた。関勝や秦明の副官を務めて戦い抜いた父を尊敬しているが、陥落する二竜山に残したことを悔やんでもいる。父を助けられなかった分、楊令を守ろうとする思いは人一倍強い。また、死んだ龔旺が自分の中で生きていると感じていた。 連載時の綽名は斑猫王(はんみょうおう)だったが、いつも楊令に従順な姿から、単行本では叩頭蟲(こうとうちゅう)という別の綽名に変更された。童貫軍との決戦でわずかに突出したところを童貫に討たれ、梁山泊の二世メンバーで最初の戦死者となる。燕青には郭盛・張平と共に楊令にとっての兄弟分だったと評された。童貫戦の後、楊令は郝瑾の母親である陳娥に死なせたことを涙を流して詫びた。また『岳飛伝』では子午山で暮らす妹の郝嬌が、病に伏せている公淑に兄との思い出を語っている。 張敬(波濤児) (水滸伝)張横の長男、張平の兄。屈折した弟と異なり実直な性格で、叔父・張順の潜水部隊に所属。最終決戦時に瀕死の危機に陥るが、命を投げ出した張順によって救出される。 (楊令伝)潜水部隊隊長。亡き張順の遺志を受け継ぎ、彼に匹敵するほどの潜水技術を駆使して活躍する。韓家軍に捕らえられた阮小二を救出するため単身で潜入。彼を逃がし、拿捕された大型船を沈めようとした際に負傷、狄成に助けられるが阮小二の腕の中で息絶えた。張順の綽名をもじっただけの浪裏赤跳と呼ばれることを嫌い、波濤児の綽名を気に入っていた。『岳飛伝』では遺児の張光が登場、秦容の南方開拓に参加する。 侯真(一撞鬼) (水滸伝)侯健の息子。父の方針で東京開封府を離れ、顧大嫂の元で働く。 (楊令伝)父の死後、顧大嫂に育てられていたが武松・燕青と共に楊令探索の旅へ出る。体術の素質を秘めており、旅の間で二人に厳しく鍛え上げられる。楊令伝では、第二世代の中で最初に視点が登場するなど、楊令伝の初期から活躍する。黒騎兵を経た後に、公孫勝から致死軍総隊長職を引き継ぐ。就任後は致死軍を従来のような影の組織ではなく、表立った組織として運用・指揮する。ただ、部隊運用についての対立や亡父を侮辱されたことから、戴宗との関係は最悪だった(殺意を抱くが公孫勝に禁じられ断念)。 間諜の徐絢と愛し合い、求婚したが目の前で死なれてしまう。李媛らの救出任務の際に青蓮寺の軍に追い込まれるが、載宗に命と引き換えにして助けられる。李富の死で青蓮寺が秦檜の下に取り込まれたため、岳家軍・金軍との決戦に参加。致死軍を率いて金軍の兵站を絶った。 (岳飛伝)致死軍の指揮を続けるが諜報が主任務となる。前作で死んだ載宗に対しては敗北感のような感情を抱き、事あるごとに酒を飲むようになるなど、彼に似た部分が出てくる。羅辰とは国家観の相違から別行動をとる方針を採用、梁山泊から北の諜報を担当する。梁山泊の人間として最初に蕭炫材と接触、互いに利用しあう関係となる。岳飛伝最後の場面には、史進を訪う。 費保(赤鬚竜) (水滸伝)古くからの李俊の子分。「替天行道」を読み込んだので読み書きができる。李俊の梁山泊加入時は闇塩の道を任されたため直接参加しなかったが、『楊令伝』で梁山泊壊滅時には手勢を率いて駆けつけ、将兵の撤退を助けたと語られた。尚、同じく李俊弟分である上青・倪雲・狄成も、ごく僅かだが水滸伝にも登場している。 (楊令伝)新生梁山泊に正式に加入し、水軍の指揮や交易に従事する。 (岳飛伝)李俊の決定による水軍の再編により、倪雲と共に船団の指揮を執る。 上青(太湖鮫) (水滸伝)李俊の子分で費保・倪雲・狄成の三人とは兄弟分。李俊が梁山泊に入山してからも三人の兄弟分と共に李俊の闇商売を続けていた。 (楊令伝)江南の太湖にある島、洞庭山を梁山泊再起の拠点として整備し、自身は太湖沿岸に構えた楡柳荘(ゆりゅうそう)で人や物の流れを管理する。大人風だが、四人の中では最も気性が荒い。童貫戦後に西域へ常駐、交易に携わる。 (岳飛伝)年老いたが引き続き西域に構えた楡柳館で交易品の集積・管理を担当する。梁山泊の商隊だけでなく盛栄の交易にも関わっている。 倪雲(捲毛虎) (水滸伝)上青達の兄弟分で、同じく李俊とは古い付き合い。 (楊令伝)梁山泊水軍の指揮官。狄成と同様に、読み書きはできないが操船などの海戦に関する技量に長ける。 (岳飛伝)李俊の決定による水軍の再編により、費保と共に船団の指揮を執る。 狄成(痩臉熊) (水滸伝)上青・費保・倪雲の弟分で、四人の中では最年少。 (楊令伝)梁山泊に参加してからは、水軍の切り込み部隊・赤手隊(せきしゅたい)を指揮する。暴れ者だが大兄貴と慕う李俊や他の兄貴分の前では大人しい。ただし興奮すると周りが見えないことと酔って泣き上戸になるのが欠点。子供に慕われ、幼い張朔や宣凱に剣を教える。剣と鉞を得物としていたが、楊令に板斧を使うように言われ、亡き李逵のように石を斬って刃を研ぐまでに腕を上げる。 (岳飛伝)年は取ったが性格は相変わらずで、兄貴分たちや張朔に対して天真爛漫な面を見せる。自分で何も決めず李俊に全てを任せて生きてきたため、張朔には自分で進む道を決めるよう助言した。水軍の再編による李俊の命で船団の指揮を執り、南方や日本へ交易に向かう張朔の護衛を担当する。部下として張朔を支えることを自らに課し、断酒や隙の無い動きを執るなど人間的に変化を見せる。 董進 (水滸伝)史進遊撃隊の兵士。呼延灼戦において戦友の死を目の当たりにし、ショックで戦えなくなるが、副官として赴任してきた杜興のおかげで立ち直る。ただし、この時点ではまだ名前が付けられておらず、楊令伝で初めて名前が明らかにされた。 (楊令伝)引き続き史進の元で働き、上級将校に昇格。過去の経験もあり、兵の心情を思いやることに長けている。後に花飛麟の隊に異動、ベテランの将校として花飛麟を補佐する。恩人の杜興が死んだときは遺骸の側で悲しんだ。 (岳飛伝)再編により秦容の軍へ異動、騎馬隊の指揮を担当する。古株の将校ということもあり、秦容からは敬称を付けて呼ばれる。高齢だが退役を拒んでおり、軍に残り続けることを決意している。金国との講和が成立した後に調練担当へ異動する。 趙林(急単舸) (水滸伝)官軍の造船所で働く少年だが、戦場に駆り出され仲間から取り残されたところを阮小二に拾われ、その弟子となる。やがて造船だけでなく舟の漕ぎ方にも長けるようになる。 (楊令伝)阮小二の右腕として造船部隊で活躍。阮小二を父のように尊敬しているが、船にしか興味の無い彼の思いつきに振り回されることも。阮家の鍋のほかに太湖料理も作ることができる。中型船の設計・建造を担当し、阮小二から後釜として認められる。阮小二の死を白勝らと看取ったのち、造船部隊の長となる。 (岳飛伝)引き続き造船部隊の隊長を努める。洞庭山を放棄してからは南方の開拓地へ異動し、象の河の沿岸に建設した造船所で新型船の建造を担当する。 黄鉞(獅殺将) (水滸伝)張清の部下で、下級将校。原典同様に、世直しを掲げる田虎の一党に属していたが、田虎が倒された際に張清に従い梁山泊入りした。水滸伝では名前のみの登場。 (楊令伝)長い間張清の軍で下級将校を務めた後、山士奇と共に上級将校に昇格する。童貫戦の後は呼延凌の指揮下へ入る。 (岳飛伝)引き続き呼延凌の下で将校を務めるが、五十を迎えて老いが見え始める。金国との講和が成立した後に退役を勧告されたため、秦容が行う南方開拓に参加する。開拓地では甘蔗の栽培など様々なものに興味を示すようになる。若い者と伍するだけの体力は維持しており、非常時には甘蔗園を守るために戦う。 山士奇(魑刺将) (水滸伝)張清の部下で、下級将校。黄鉞と同じく、水滸伝では名前のみの登場。 (楊令伝)黄鉞と共に張清の下で戦い続け、上級将校に昇格。粘り強く兵と接する忍耐力の持ち主。歩兵の状態を把握するために戦では馬を降りて戦う。童貫戦の後は郭盛の指揮下に入る。体は大きいが普段の喋り方はぼそぼそとしている。相撲が特技。 (岳飛伝)呉用の命により歩兵を指揮して領内に溜まった水を抜くための工事に従事。本人は力量がないと拒んでいたが再編により旧郭盛軍を率いることとなる。先任の指揮官である呼延凌・秦容に従い出撃、金軍との戦いに臨む。四万の大軍を指揮する将軍格だが、以前と変わらず兵たちと粘り強く接している。のちに女と所帯を持ち、人知れず道路のゴミ拾いを行うようになる。 鄔梨 (水滸伝)威勝の商人。身寄りを亡くした瓊英を娘として育てる。田虎の盟友で彼の叛乱に協力するが、魯達と致死軍の工作で仲違いし、田虎に両目を潰され全盲となる。田虎が倒され瓊英が張清と結婚すると、娘と共に梁山泊の統治に協力する。原典では敵役だったが、北方版では味方として活躍する数少ない人物。 (楊令伝)揚州の商人。娘婿というべき張清の相談役や李俊・楊令らの交易のアドバイザーを務める。美食家で、阮小二達にドリアンのような南国の食材を使った料理を振舞ったこともある。高齢ゆえ体が衰弱していくが、江南の経済発展を予測するなど商人としての眼力は衰えなかった。義孫の張朔には計算や物の捉え方など様々なことを教え、彼の価値観に少なからぬ影響を与える。 瓊英 (水滸伝)鄔梨の養女。傭兵だった張清が惚れこみ、彼女を守るために梁山泊と敵対したほどの美人で、商才にも長けている。梁山泊に田虎が倒された後に張清と結婚。最終決戦前に、鄔梨や非戦闘員と共に揚州へ移り、男児を出産する。原典と異なり、飛礫などの武術は遣えない。 (楊令伝)揚州の商人。張清との間に生まれた息子・張朔を育てながら、日本など諸外国との交易を執り行う。張清から護身用に飛礫を習っており、張朔にも教えている。童貫との決戦で夫を失うも気丈に働き続ける。安東一族や奥州藤原氏からの信用を得て、十三湊に館を構えて昆布など物資の調達を行う。 (岳飛伝)日本に常駐し、昆布を中心とした交易に携わる。李俊とは男女として通じ合うものもあるが、表に出すことはしなかった。 盛栄(紡鵺) (水滸伝)柴進・李立の部下。兵站を得意とするが、本人は兵士として戦う事を希望している。手癖が悪いのが欠点。賄賂を取っていたことが露見し、李立に片手を切り落とされ、出奔する。 (楊令伝)利益を求める闇商人となって再登場、自分の手を切り落とした李立と再会する。厳密には梁山泊の一員ではないが、過去の因縁抜きで梁山泊に協力し、金との交易を続ける。非常に広い視野を持ち、また宋に対し深い憎悪を抱いている。後に武松が西夏から連れてきた牛直を押し付けられ、部下とする。交易で富む梁山泊が周囲に疎まれていることを見抜いており、梁山泊が潰れた場合も考えて商いを行う。 (岳飛伝)楡柳館を拠点に交易を続ける。河水の大洪水による物流の道が途絶したことを憂慮しており、商隊の指揮を執る王貴に状況を打開するよう挑発する。病を得て余命わずかとなるが、最後の仕事として梁山泊が蓄えた砂金で膨大な量の銀を購入。その後、自分の生涯に満足して死去した。盛栄が購入した銀は宣凱が考案した金国中の穀物を買占め、物流面で干上がらせる戦術に用いられる。 文祥(小華佗) (水滸伝)流花寨、後に梁山泊本隊の医師。安道全の一番弟子。最も早く医師として独立したが、当初はまだ腕が未熟で阮小五の治療に失敗したこともあった。 (楊令伝)引き続き、医師を務める。安道全から鍼治療など医術の全てを教え込まれている。安道全に及ばない自らの腕や助けられない患者に歯痒さを感じつつも、兄弟弟子の白勝・毛定や自分の弟子、蘇良と共に医療活動に従事する。 (岳飛伝)梁山泊の医療面を取り仕切っているが、医師としての姿勢から毛定や蘇良と対立、彼らがそれぞれの道を選択することになる。 毛定 (水滸伝)双頭山の医師。安道全の三番弟子。文祥・白勝に続き医師として活動。 (楊令伝)引き続き、医師を務める。洞庭山から梁山泊へ移り、民衆相手の診療所を担当する。 (岳飛伝)文祥との関係が悪化したため出奔。梁興と出会い漢陽で診療所を営む。義足作りと怪我の手当ては得意だが病気の診断は苦手(出奔の原因でもある)。あるトラブルを張朔に助けてもらい、彼と梁興が出会うきっかけを作る。後に梁興の薦めで岳家軍の医師となり、孫範の義足や岳飛の義手を作成する。怪我の治療に関しては安道全に並んだと自負している。南方で再興された岳家軍にも合流、医師を務める。 馬雲 (水滸伝)薛永の弟子。師の薬草学全てを伝授される。最終決戦時、別れ際に薛永が研究した薬草学の全てを記した冊子を託された。 (楊令伝)引き続き薬師を務め、白勝・文祥らと共に梁山泊の医療面を支える。童貫戦の後は弟子や軍を退いた兵たちを使って、洞宮山で交易品用の薬草栽培を手がける。薛永の冊子を元に薬作りに励むが、その全てを作成するには至っていない。河水の大洪水の前後には疫病の流行に備えて薬の生産に打ちこんでいた。弟子の育成のほかに薛永の冊子を書き写し、毛定ら医師たちに渡している。 鄧礼華 (水滸伝)柴進の間諜。宋江の元へ向かう途中で、宋清と知り合って恋に落ちる。表向きは宋江の妾となっているが、宋江の間を誤解して嫉妬した閻婆借に殺される。 金翠蓮 (水滸伝)宣賛の妻。その美貌ゆえ、義父・金潤に陵辱され美人局の片棒も担がされていた娘。魯達達に助けられ、その際に醜い面貌を晒してまで守ってくれた宣賛を慕って妻になる。 (楊令伝)宣賛との間に一子・宣凱をもうけた後、新生梁山泊の聚義庁で、保育所の管理を行う。童貫戦では文祥らの手伝いとして負傷兵の看護にも当たった。 (岳飛伝)宣賛が遺した人生の記録ともいえる書付けを整理し、宣凱に読ませる。宣凱が朱杏と結婚後に陳蛾と共に子午山へ移住する。 白寿 (水滸伝)恩州の妓楼で働く元遊技、王英の愛人。後に扈三娘に引き取られて、王英との子供を出産する。 (楊令伝)息子・王清を聞煥章に拉致されるが、扈三娘の働きによって取り戻す。扈三娘の戦死後は、洞宮山で王英と扈三娘の息子・王貴も育てる。
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