開拓地で
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 12:25 UTC 版)
「土竜山事件」も参照 満洲への入植は、未利用土地開発を謳いながら、その実態は現地民の耕作地を買収であった。当時の計画には、1942年度までに買収する予定の土地は2000万ヘクタールとされ、うち350万ヘクタールが耕作地であった。こうした土地買収は満洲拓殖公社と満洲国が、強制的に行った。土地を追われた現地人は、苦力となるか、移住させられた荒地を新たに開拓した。 また、時に開拓団は中国人らに蛮行を行った。1940年に大本営陸軍部研究班が纏めた『海外地邦人の言動より観たる国民教育資料』には、「中国人に対する優越感から生じる差別、蔑視、蛮行、紛議は日本人の老若男女を問わない」「開拓民が中国人に対し殴打暴行は甚だしきは殺害するに至っており、反省を要する」などと現状を報告しており、女性入植者も現地民に対して傲慢な態度を取っていたとされる。 こうした背景から現地民の一部が武装化して開拓団を襲撃するようになった。このような武装集団を日本側は匪賊と呼んだが、その実態は抗日運動であったとする説もある。
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