開拓女塾
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進んで大陸の花嫁になろうとする女性の為に、現地で必要な訓練を行う目的で開拓団におかれたのが開拓女塾である。開拓女塾は関東軍の要請で計画され、最初に設置されたのは1940年の安拝開拓団である。運営費用は日本国政府と満洲国政府が分担したほか、塾生の渡航費用も支出された。1941年には7つの開拓団で開設されて約200人が入塾。終戦時には16箇所に置かれた。 『新満洲』(1940年・第4巻12号)に掲載された視察報告によれば、塾生は女学校出身で、朝の行事以外は訓練らしいものはなく開拓団の雑用全般を手伝っていたと考えられる。塾生は高い確率で花嫁になったとされるが、その理由として親元から離れたことに加えて、塾長からの圧力や帰国旅費の自己負担などが重荷となって、花嫁になる決意を固めざるを得なかったと推測されている。『満洲開拓史』(1964年)には、累計で少なくとも405人が花嫁になったと記録されている。
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