開拓時代と命名の由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 08:17 UTC 版)
17世紀初頭、ヘンリー・ハドソンがニューヨーク湾を“発見”した。1625年にオランダ人はマンハッタン島にニューアムステルダムを拓いたが、アン女王戦争の結果イギリスの領地となり、ニューヨークと改名された。 その頃のエリス島(及びリバティ島とブラック・トム島)は「オイスター諸島」(Oyster Islands)と呼ばれていた。特に、リバティ島はグレート・オイスター島、エリス島はリトル・オイスター島と呼ばれた。その名前の通り、ニューヨークの住民は19世紀まで、この島の沿岸で牡蠣を採り、港周辺の宿で提供していた。1674年から1679年の間に、オイスター諸島はニューヨーク植民地知事エドマンド・アンドロスによってウィリアム・ダイアー(William Dyreとメアリ・ダイアーの息子、のちのニューヨーク市長)に譲渡され、「ダイアーズ島」と呼ばれるようになった。その後、バッキング島 (Bucking Island) およびギベット島 (Gibbet Island、絞首台の意味:1760年代、この島の木で何人かの海賊が絞首刑にされたため)と呼ばれた時期もあった。 1774年にこの島はニューヨークの商人であるサミュエル・エリス(Samuel Ellis)に売却され、それ以来この島は「エリス島」と呼ばれるようになった。サミュエルは島を売ろうとしたが、買い手が見つからないまま死去した。1794年にニューヨーク州はこの島をリースし、1795年から軍事要塞の建設に着工した。ニューヨーク州が所有権を主張したが、権利関係の争いの末、最終的には1808年に連邦政府が所有することになった。 19世紀になると、エリス島はニューヨーク湾を守る戦略的な要衝に当たると考えられるようになった。1808年から1814年までは政府の武器庫として利用された。また、米英戦争の終わり頃、政府はこの島にギブソン砦 (Fort Gibson) を築いた。この時マンハッタン島にはクリントン砦 (Fort Clinton) が築かれた。以降約80年間は1892年に開業した移民局の建設地として決定されるまで軍事施設として利用されていた。
※この「開拓時代と命名の由来」の解説は、「エリス島」の解説の一部です。
「開拓時代と命名の由来」を含む「エリス島」の記事については、「エリス島」の概要を参照ください。
- 開拓時代と命名の由来のページへのリンク