満洲移民事業と花嫁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 12:25 UTC 版)
「満蒙開拓移民」も参照 1932年に3月に満洲国が建国されると、その秋には日本から武装移民と呼ばれる第1次移民団が渡満する。第1次移民団は団員約500人のうち、妻帯者は30人に満たなかった。入植先は生活環境が悪く娯楽もなかったために、団員は不満をもって現地民に対して事件を起こす者が現れ、その解決策として家庭を持つことをが望まれるようになった。特に関東軍の東宮鉄男は花嫁招致に心を砕き、1933年には花嫁募集のポスターを作成し、内地の役所に送って協力を要請した。また、自ら『新日本の少女よ大陸へ嫁げ』を作詞し花嫁送出の機運を高めようとした。最初の花嫁が入植したのは1934年の4月で、この頃の斡旋は縁故や開拓団の出身地での写真見合いが主であった。また、内地では満洲についての理解も浅く、花嫁探しは容易ではなかった。 1936年に『二十カ年百万戸送出計画』が成立すると、満洲移民が国策となる。これにより一般人からも開拓民が募集されるようになるが、第5次・6次の団員の大部分は未婚で花嫁1万人を求めており、その他あわせて差し当たり2万人の花嫁が必要とされた。その頃から花嫁送出について拓務省が推進するようになり、また花嫁を単に送り出すだけでなく、満洲建国の意義や現地の気候風土などの教育を施して送り出されるようになってきた。花嫁養成訓練は府県が主催する形で女子拓殖講習会が実施され、これに従事する女子拓殖指導者の養成も行われた。こうした花嫁養成は拓務省(後に大東亜省)と農林省・文部省・都府県自治体・関係団体が協力して行った。 1938年から義勇隊開拓団が送られるようになると、花嫁需要はさらに増す。『女子拓殖指導者提要』(1942年)によれば、21歳から25歳の独身率は75.8%、26歳から30歳までは26.5%と記されている。1939年1月には、拓務省・農林省・文部省が協力して『花嫁百万人大陸送出計画』を策定し、同年12月に閣議決定された『満洲開拓政策基本要綱』にも花嫁育成が記されるなど、「大陸進出の成否は花嫁送出に掛かっている(第74回帝国議会衆議院に提出された建議書)」とまで認識されるようになった。一方で、送り出す花嫁の養成訓練は、講習会程度では不十分と認識され、さらに力を入れるようになる。1940年には、現地に開拓女塾が開設され、翌年には7つの開拓団に開拓女塾が開設された。また、内地でも1941年に女子拓務訓練所が全国8か所に設置された。こうした養成機関の提要では、花嫁は開拓民配偶者と記され、以下のような役割を果たすよう指導が行われた。 1.開拓政策遂行の一翼として イ 民族資源確保のために先ず開拓民の定着性を増強すること ロ 民族資源の量的確保と共に大和民族の純血を保持すること ハ 日本婦人道を大陸に移植し満洲新文化を創建すること ニ 民族協和の達成上女子の協力を必要とする部面の多いこと 2.農村共同体に於ける女性として イ 衣食住問題を解決し開拓地家庭文化を創造すること 3.開拓農家に於ける主婦として イ 開拓農民の良き助耕者であること ロ 開拓家庭の良き慰安者であること ハ 第二世の良き保育者であること — 『女子拓殖指導者提要』(1942年) 以上のような開拓団への花嫁の募集・訓練・斡旋・送出を、国は「女子拓殖事業」と呼んだ。 その一方で、花嫁養成訓練を受けた女性でも、実際に花嫁となって渡満する人は少なかった。『女性拓殖指導者提要』(1942年)によれば、1937年から1940年までで講習会を受講した者のうち、大陸の花嫁となった女性は全体の10.1%と記されている。その理由は、日本国内の人手不足である。戦争が長期化し、働き手として女性が求められるようになり慢性的に都市部での人手が不足していた。また、満洲へのネガティブなイメージがあり、渡満に親が反対したケースも多かったとされる。こうした世情を変えるべく「大陸の花嫁」のキャッチコピーと共に花嫁送出を宣伝したのが、新聞・ニュース映画・婦人雑誌などのメディアや、小説・映画・歌謡・落語などの娯楽であった。 こうして大陸の花嫁として渡満した女性の総数、あるいはその後の惨状ついて、日本政府は把握していない。考察の頼りとなるのは開拓団を送り出した各地に残される記録だが、名簿を作成している開拓団も限られ、また性別や婚姻関係も不確かな事が多い。1941年に行われた40箇所の開拓団に居る母親868人への調査によると、入植した時期について結婚と同時が192人と最も多く、結婚後1か月が179人と続いており、入植のきっかけが婚姻であった女性が大多数であったと考えられる。花嫁の送出は終戦間近まで続けられた。『石川県満蒙開拓史』(1982年)では、終戦の2日前に開拓地に着いた花嫁がいたと報告されている。
※この「満洲移民事業と花嫁」の解説は、「大陸の花嫁」の解説の一部です。
「満洲移民事業と花嫁」を含む「大陸の花嫁」の記事については、「大陸の花嫁」の概要を参照ください。
- 満洲移民事業と花嫁のページへのリンク