満洲略史とは? わかりやすく解説

満洲略史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/28 19:03 UTC 版)

満洲」の記事における「満洲略史」の解説

満洲歴史 箕子朝鮮 東胡 濊貊沃沮 粛慎遼西郡 遼東郡遼西郡 遼東郡 前漢 遼西郡 遼東郡 衛氏朝鮮 匈奴 漢四郡 夫余 後漢 遼西郡 烏桓 鮮卑 挹婁 遼東郡 高句麗 玄菟郡昌黎郡 公孫度 遼東郡 玄菟郡 西晋 平州 慕容部 宇文部 前燕 平州 前秦 平州 後燕 平州 北燕 北魏 営州 契丹室韋 東魏 営州 勿吉 北斉 営州 北周 営州柳城郡 靺鞨 燕郡 遼西郡営州 都督府楽都督府 室韋都督府 安東都護府 渤海国 黒水都督府 靺鞨 五代十国 営州 契丹 渤海国 靺鞨上京道 東女真 中京定安 東京道 金 東京路 上京路 東遼 大真国遼陽行省遼東都司 奴児干指揮使司 建州女真 海西女真 野人女真満洲 東三省 ロマノフ朝 中華民国東三省ソ連極東満洲国 中華人民共和国中国東北部ロシア連邦極東連邦管区/極東ロシア中国朝鮮関係史 Portal:中国 歴史的にこの地域は、古く遼河文明栄えその後は主にツングース系諸民族濊貊族などの北方諸民族興亡の場であった北方民族のみならず西部からはモンゴル系東部からは朝鮮系の民族勢力を張る事もあり、南部からは記録周王朝に周に属する燕が勢力伸ばし、後に遼東郡遼西郡などが置かれていた。この頃万里の長城は現在より北に位置し遼西遼東をも囲んでいた。三国時代には公孫氏地盤となり、公孫瓚群雄一人として勢力張り公孫淵自立を図るなどしている。周王朝時代から粛慎遊牧しており、時代と共に挹婁勿吉靺鞨へと古代中国側から見た名称は変遷した。 満洲南部には濊貊族が建てた夫余前1世紀から5世紀)、夫余王族建てたとされる高句麗前1世紀から7世紀)、靺鞨族の建てた渤海698年から926年)など、モンゴル系とされる鮮卑前燕後燕などや契丹の遼(916年から1125年)なども存在したチベット系氐族立てた前秦351年から394年)の支配一部及んだ事もある。12世紀には靺鞨の子とされる女真族が金を建国、遼と北宋滅ぼして中国半分をも支配するに至る。 金はモンゴル民族モンゴル帝国元朝)に滅ぼされ、この地は元朝支配下に入る。次いで元朝漢民族明朝倒され一時明朝支配下となり、明朝山海関名付けられることになった長城東端の関よりも外の土地という意味で「関外の地」、あるいは、関よりも東の土地という意味で「関東」とも呼ばれた。後に女真族等、現住氏族居住域冊封による間接統治改められたが、撫順などの拠点残されており、遼西遼東の地は万里の長城支線囲っており、明の支配下にあった17世紀女真族から名称変更した満洲族後金起こして同地統一支配した後、国号改めた清朝明朝代わり満洲地域及び中国内地全体満洲民族支配下に入る。清朝建国故地後金時代皇居瀋陽故宮)がある満洲地域特別扱いし奉天府置いて治めた。後には奉天府改め東三省総督を置き、東省または東三省奉天吉林及び黒竜江の3省)と呼んだ当初は「遼東招民開墾例」(1644年)をはじめとする勧民招墾の諸法令を公布し漢族満洲植民奨励していたが、1740年以降は封禁政策取り漢民族移入することを禁じた近代17世紀になると、ロシア帝国南下動き激しくなり、ロシア清朝との間でこの地域をめぐる紛争数度起きた清露国境紛争)。ヴァシーリー・ポヤルコフエロフェイ・ハバロフなど、ロシア人探検隊黒竜江流域南下侵入し村落焼いた捕虜とったり毛皮取り立てたりして植民地化動き見せたため、これを追い出し国境定める必要が生じた1689年ネルチンスク条約締結され国際的に満洲全域正式に清朝国土定められた。その後清朝ロシアの脅威対抗するため、兵士駐屯させる。しかし王朝末期弱体化した清朝ロシアの進出抑えきれず、1858年5月28日アイグン条約1860年11月14日北京条約2つ不平等条約によって、満洲地域黒竜江以北及びウスリー川以東いわゆる外満洲地域ロシア割譲されることとなった。そして1860年には政策転換して漢族移住認め農地開発進めて次第荒野農地変化させた。この民族移動のことを「闖関東」という。1860年満洲遼寧吉林黒龍江東三省)の人口は320-370万人ほどと見積もられており、それが、1908年には1583あるいは1734万人1931年満洲事変前に3000万人、1945年満洲国崩壊前に熱河省含めて4500万人まで増加している。清朝崩壊後満洲へは社会不安から流民となった漢民族移入急増したとも言われるが、清朝崩壊以前から人口増加率大きな違いは無い。 1900年には義和団の乱乗じてロシア満洲軍事占領した(満洲還付条約)。ロシア軍によってブラゴヴェシチェンスク清国人数千人が虐殺されアムール川事件起きる。 1904年から勃発した日露戦争日本勝利終わり上記条約によって確保されていたロマノフ王朝満洲における鉄道鉱山開発始めとする権益の内、南満洲属するものは日本引き渡された。弱体化した清朝1911年辛亥革命倒された。翌1912年成立した中華民国清朝領土継承宣言し袁世凱勢力圏であった満洲中華民国政府統治下に入った。しかし、袁世凱孫文対立から、中華民国各地域軍閥による群雄割拠の状態となり、満洲でも張作霖軍閥台頭しその支配下となる。 1905年欧米視察旅行おこなった白鳥庫吉は、日本アジア研究の遅れを痛感し後藤新平に「満洲歴史編纂の急務」と題する書簡送り、「満洲の地は漢人種と北方諸民族韓民族との会合点にあり、此の地に勢を得しもの常に四隣脅かして東亜形勢変動せしめ、韓半島其の南下の衝に当りて常に之に圧服せられ、我が国また之によって至大影響をうくというにあり」という認識にたち、満洲研究が最も緊切必要であることを説いている。 1910年から1911年満洲におけるペスト犠牲者 1920年尼港事件焼け落ちた日本領事館 北満洲におけるロシア権益保持されていたが、一次大戦ロシア革命混乱により支配力低下しロシア革命対す干渉戦争として行われたシベリア出兵により、外満洲属すウラジオストク連合軍が、北満洲及び外満洲大部分さらにはバイカル湖周辺までを日本軍占領するになった1920年には日本占領下のニコラエフスク赤軍パルチザン襲撃し破壊住民虐殺が行われ6,000余り処刑され日本人700余り殺戮された(尼港事件)。日本以外連合軍1920年に、日本1922年撤退し占領解除された。 ソビエト連邦東清鉄道経営権ロシアから継承していたが、1928年満洲実効支配する張学良政権はこの権益武力による略奪行おうとした。これに対しソ連権益地を有する北満洲に侵功、占領し中華民国軍破り中東鉄道権益確保し権益再確認する協定結んだ撤退した中東路事件)。 1931年日本大日本帝国)は自ら起し柳条湖事件契機に、権益地が含まれる南満洲のみならず満洲全域侵攻占領し、翌1932年満洲国建国した(満洲事変)。満洲国清朝最後の皇帝であった愛新覚羅溥儀元首執政、のち皇帝)とした。これは清朝最後の皇帝だった愛新覚羅溥儀退位後仕事として、日本軍から半ば強制的に割り当てられたものであった満洲国事実上日本支配下となり、傀儡政権呼ばれることになった日本南満洲鉄道満洲重工業開発通じて産業投資行い品種改良寒さに強い品種植えることで不毛の地ばかりだった満洲農地多数開墾され荒野には工場建設して開発した満洲治安良くなり、交通開け貨幣統一された。満洲国建国以前満洲では、軍閥が独自紙幣発行し奥地になるほど治安悪く農民安心して耕作ができなかった。満洲国統一した通貨発行して満洲各地流通させたことで信頼のある貨幣経済成立した奥地にまで道路鉄道建設され治安良くなる農民農作物市場出して稼ぐようになった電話線など通信網張り巡らせ奥地など満洲地方にも病院工場、また初等教育への進学率低かった対策学校設立した日本による投資受けて経済的に豊かになり、群雄割拠状態で乱れていた中華民国時代からの突然の経済発展受けて中国民国側から豊かさ求めて多く移民流入した。そのため、満洲国地域における日本人以外の人口満洲国建国以前よりも増加した背景にはインフラがほとんどなかったが投資開発受けて居住能地域が増加したこと、日本から持ち込まれ品種からも農耕作可能地域が増加したことにある。満洲国成立した1932年には約3000万人だったが終戦までには約4500万人増加した。3万人小さな町近代都市発展して、約13年間で300万人膨れ上がっている。ただし、人口増加率で見ると満洲建国前大差はない。 1945年8月第二次世界大戦終結直前ソ連軍満洲侵攻皇帝溥儀退位満州帝国廃止宣言し日本逃亡を図るが失敗終わったソ連満洲占領して中華民国への返還遅らせた東北問題)。その後中国共産党国共内戦勝利し満洲中華人民共和国領土となった暫くソ連との結びつきの強い高崗が独自の地方運営行っていたが、後に毛沢東粛清された。満洲地域満洲国時代インフラ整備開発政策成果残っていたため、共産主義体制下の中華人民共和国でも豊かな土地であった。しかし、1990年代以降改革開放政策により、上海深圳市など華東華南経済特区経済成長著しくなる一方満洲国時代インフラのままだったことで、逆に経済的に立ち遅れ地域となった中国政府インフラ設備更新や古い工場立替外資導入遼東半島を含む環渤海経済圏設定した

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