女子拓務訓練所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 12:25 UTC 版)
大東亜省は、女子拓殖訓練の道場として全国都府県に女子拓務訓練所の設置を奨励し、助成金を出した。訓練所はメディアなどには「大陸の花嫁学校」の異名で呼ばれた。1941年には長野・愛媛・山形・大分・茨城・島根・大分の8県での開設が決定され、最初の訓練所として設立された長野の桔梗ヶ原女子拓務訓練所がそのモデルとなった。以降は、設立契機など詳細が不明なものも多いが、相庭和彦らは1942年までに14府県19施設、杉山春は終戦までに18都府県で設置されたとしている。 初期の訓練所での訓練は施設上の利点を生かした生活訓練に重点が置かれたが、のちには開拓民としてより合理的・系統的な訓練に変容していった。訓練生は17歳以上、訓練期間は1年間の長期と、1か月の短期であった。広島県の女子拓務訓練所の記録によれば、修了生のおよそ1/3が大陸の花嫁となり、その他の手段で渡満もしくは渡満を希望する者を含めるとおよそ2/3が満洲に入植したと考えられる。
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