ロマネスク美術とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ロマネスク美術の意味・解説 

ロマネスク

(ロマネスク美術 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/29 00:07 UTC 版)

バーゼル大聖堂のレリーフ

ロマネスク: romanesque)は、建築彫刻絵画装飾文学の様式の一つ。建築用語および美術用語としては、10世紀末から12世紀にかけて西ヨーロッパに広まった中世の様式を指す。

文芸用語としては、「ロマン: roman)」から派生し、奔放な想像力によって現実の論理・事象の枠を飛び越えた幻想的な性質を指す[1]

概要

ドイツのマリア・ラーハ修道院英語版
英南部ウィンチェスターで著されたウィンチェスター聖書英語版の「モーガン・リーフ」と呼ばれる挿絵

美術様式としてのロマネスク(英:romanesque / 仏:ロマン roman / 独:ロマーニク Romanik / 伊:ロマーニコ romanico)という名称は、コーモン(en: Arcisse de Caumont)などフランスの考古学者によって命名され、ゴシック建築に先行する10世紀末〜12世紀の中世建築様式を指す。

彼らは、この時代の建築に半円アーチや重厚な壁体、ボールトを用いるといった共通の特徴を見出した。そしてそれが尖頭アーチ英語版リブ・ボールトを用いてそびえ立つゴシック建築とは大きく異なっており、古代ローマ建築の影響を色濃く残すものだと考え、これに「ロマネスク」(ローマ風の)の名を与えた。ラテン語を起源とする西ヨーロッパ諸語はロマン語(ロマンス諸語)と呼ばれることがあるため、これにならった呼び名である[2]

この時代に広まった美術全般の研究が進むにつれて、「ロマネスク」の言葉は建築にとどまらず絵画や彫刻にも適用されるようになる。同時にその内容が古代ローマ美術の継承にとどまらず、ケルトゲルマンの芸術要素、さらにはビザンティンイスラーム、そしてエジプトシリアなど東方キリスト教美術の影響も受け継いでいることが指摘されるようになる。また地理的範囲も「ロマンス諸語」が意味するところとは大きく異なり、南フランスやイタリアのみならず、ドイツや北フランス、ノルマンディーやイギリスにも広がっていることが確認されている[3][4]

ロマネスク美術は宗教美術が中心で、宗教建築、とりわけ修道院が主導的な役割を果たした。ゴシック美術の中心が都市の大聖堂であるのに対して、ロマネスクは修道院の芸術だとしばしば言われる。代表的な建築の多くは修道院の教会堂であり、それを飾るための彫刻や絵画が制作されたほか、またエマイユ(七宝)や金工品、ステンドグラスミニアチュール(写本画、細密画)などが修道院で作られた[5][6]

大きな修道院は、当時の封建社会において大小の領主から土地を寄進された大土地所有者であり、有力な王侯貴族と密接な関係があった。とくにドイツでは、オットー朝やザリエル朝の諸帝の保護のもとに初期ロマネスク美術が形成されたため、これをオットー美術英語版としてロマネスク美術から区別する研究者もいる。

背景

ヨーロッパが成功していった時代に、高品質の芸術は、カロリング朝とオットー時代の大部分から、もはや宮廷と僧院の小円に制限されることはなかった。修道院は依然として非常に重要であった。とくに当時の拡張主義の修道会である、ヨーロッパ全域に広がったシトー会クリュニー修道会カルトジオ修道会の修道院は重要だった。しかし、街や巡礼ルート上の教会、そして小さな町や村の多くの教会には、非常に高い水準の精巧な装飾が施されている。実際に、大聖堂や街の教会が再建されるときには、よくそれらが復元され、ロマネスク様式の王宮は全く残っていない。

ヴェルダンのニコラスが大陸を越えて知られているように、(聖職者でない)俗人の芸術家の価値が認められてきた。ほとんどの石工や金細工師は俗人となり、マスター・ヒューゴ英語版のような俗人画家が多数派になっていたようだ。少なくともその時代の末期までには彼らが最高の仕事を行っていた。彼らの教会の仕事である図像は、聖職者との妥協点にたどり着いたといえる。

彫刻

絵画

ギャラリー

脚注

  1. ^ 「ロマネスク」(『日本国語大辞典』小学館);「ロマネスク」(『日本大百科全書』)
  2. ^ Eric Fernie, et al. "Romanesque." (Grove Art Online. Oxford UP, Web. 29 Nov. 2012).
  3. ^ アンリ・フォション『ロマネスク』神沢栄三ほか訳、鹿島出版会、1976
  4. ^ Lawrence Nees, Early Medieval Art (Oxford History of Art), Oxford UP, 2002.
  5. ^ エミール・マール『ロマネスクの図像学』田中仁彦ほか訳、国書刊行会、1996
  6. ^ C. R. Dodwell, Painting in Europe, 800–1200 (Pelican History of Art), Yale UP, 1993.

関連文献(日本語)

古典訳書
エッセイ集・写真解説など
  • 金沢百枝、小澤実『イタリア古寺巡礼 シチリア→ナポリ』(新潮社とんぼの本〉、2012年)ISBN 9784106022388
  • 金沢百枝、小澤実『イタリア古寺巡礼 フィレンツェ→アッシジ』(新潮社〈とんぼの本〉、2011年)ISBN 9784106022234
  • 金沢百枝、小澤実『イタリア古寺巡礼 ミラノ→ヴェネツィア』(新潮社〈とんぼの本〉、2010年)ISBN 9784106022074
  • 越宏一『ヨーロッパ中世美術講義』(岩波書店〈岩波セミナーブックス〉、2001年)ISBN 4000266020
  • 浅野和生『ヨーロッパの中世美術 : 大聖堂から写本まで』(中央公論新社〈中公新書〉、2009年)ISBN 9784121020147
  • 池田健二『スペイン・ロマネスクへの旅』(中公新書、2011年)ISBN 9784121021021
  • 池田健二『イタリア・ロマネスクへの旅』(中公新書、2009年)ISBN 9784121019943
  • 池田健二『フランス・ロマネスクへの旅』(中公新書、2008年)ISBN 9784121019387
  • 小佐井伸二『中世が見た夢 ロマネスク芸術頌』(筑摩書房、1988年)ISBN 4480854401
  • 馬杉宗夫『スペインの光と影 ロマネスク美術紀行』(日本経済新聞出版社、1992年)ISBN 4532160596
  • 木俣元一・中村好文『フランス ロマネスクを巡る旅』(新潮社〈とんぼの本〉、2004年)ISBN 9784106021206
  • 『図説 ロマネスクの教会堂』(ダーリング益代、辻本敬子、河出書房新社〈ふくろうの本〉、2003年)ISBN 4309760279
  • 『ロマネスク 光の聖堂』(写真六田知弘、解説・ダーリング益代、池上俊一淡交社、2007年)ISBN 9784473034212
  • 『ロマネスク 光と闇にひそむもの 六田知弘写真集』(解説・ダーリング益代、粟津則雄、生活の友社、2017年)ISBN 978-4908429064

関連項目

外部リンク


ロマネスク美術

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 18:17 UTC 版)

西洋美術史」の記事における「ロマネスク美術」の解説

詳細は「ロマネスク美術」を参照 9世紀から10世紀にかけて、ノルマン人サラセン人などの異教徒脅威により、カロリング朝ユーグ・カペーへその王権引き継がれフランク王国事実上解体をみた。激動する社会情勢影響強く受けた西欧美術同様に再び大きな変革迫られることとなった。ロマネスク美術は、そうした社会的変動背景として初期中世美術という基盤発展させ開花した11世紀後半から12世紀にかけての西欧美術を指す。 建築分野におけるロマネスク美術の特徴は、重厚な石壁と暗い内部空間表され古代バシリカ建築基本添えつつ、東西への方向軸を持った建造物増加した。これは、聖地巡礼を行う礼拝客の動線配慮した結果発展した形態であると考えられている。こうした形態保持する教会堂巡礼路聖堂呼びトゥールーズのサン・セルナン大聖堂英語版)などがその代表的建造物として挙げられる。この時代修道院学問美術中心的存在担っており、各会派信仰普及手段として教会堂建設推進した。その表現手段多様で、シトー会派が図像否定し質素な美術奨励したのに対しベネディクト会派は豪華な素材用いて美術荘厳化に注力した。地方によって同じロマネスク美術建築でも特徴大きく異なるのは、地域対す会派影響度違い示している。 また、後年ゴシック美術建築比較して壁面多く教会堂天井側壁には聖書聖人伝題材とした説話的な壁画描かれた。地方によって細微違いがあり、もっとも西方的な様式確立したのはフランスでその他の地域大なり小なり東方的なビザンティン美術要素取り込んだ壁画制作されている。イタリアでカロリング朝伝統継承しつつも、ビザンティン美術範例手本しながら力強い筆致描かれているのが特徴で、イタロビザンティン様式呼ばれるこうした構図壁画は、サン・クレメンテ聖堂英語版)やサン・タンジェロ・イン・フォルミス聖堂イタリア語版)などに残されている。スペインでは東方的な色彩モサラベ美術英語版)の影響によって、カタルーニャ地方に独特のロマネスク美術が開花したまた、オットー朝写本工房影響力ドイツ南部オーストリアスイス北部などではイタリア経由もたらされビザンティン美術要素融合果たしたロマネスク美術が確立されている。 工芸分野では十字架装幀板、燭台聖遺物箱、祭具といった宗教用具さかんに作成され古代浮彫彫刻技法復活させたことに大きな意義見出すことが出来る。こうした丸彫像ではコンク聖女フォワ遺物像がその先駆けとなった。その他オットー朝伝統を汲むドイツ北イタリアの諸工房では、象牙や金を素材とした工芸細工数多く制作されフランスリムーザン地方ではエマイユ工芸発達し聖遺物箱や装幀などが制作された。また、バイユーのタペストリー代表される刺繍工芸盛んになったのもロマネスク美術の特徴といえる

※この「ロマネスク美術」の解説は、「西洋美術史」の解説の一部です。
「ロマネスク美術」を含む「西洋美術史」の記事については、「西洋美術史」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ロマネスク美術」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ロマネスク美術」の関連用語

ロマネスク美術のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ロマネスク美術のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのロマネスク (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの西洋美術史 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS