ロマネスク

ロマネスク(英: romanesque)は、建築、彫刻・絵画・装飾、文学の様式の一つ。建築用語および美術用語としては、10世紀末から12世紀にかけて西ヨーロッパに広まった中世の様式を指す。
文芸用語としては、「ロマン(仏: roman)」から派生し、奔放な想像力によって現実の論理・事象の枠を飛び越えた幻想的な性質を指す[1]。
概要


美術様式としてのロマネスク(英:romanesque / 仏:ロマン roman / 独:ロマーニク Romanik / 伊:ロマーニコ romanico)という名称は、コーモン(en: Arcisse de Caumont)などフランスの考古学者によって命名され、ゴシック建築に先行する10世紀末〜12世紀の中世建築様式を指す。
彼らは、この時代の建築に半円アーチや重厚な壁体、ボールトを用いるといった共通の特徴を見出した。そしてそれが尖頭アーチやリブ・ボールトを用いてそびえ立つゴシック建築とは大きく異なっており、古代ローマ建築の影響を色濃く残すものだと考え、これに「ロマネスク」(ローマ風の)の名を与えた。ラテン語を起源とする西ヨーロッパ諸語はロマン語(ロマンス諸語)と呼ばれることがあるため、これにならった呼び名である[2]。
この時代に広まった美術全般の研究が進むにつれて、「ロマネスク」の言葉は建築にとどまらず絵画や彫刻にも適用されるようになる。同時にその内容が古代ローマ美術の継承にとどまらず、ケルトやゲルマンの芸術要素、さらにはビザンティン、イスラーム、そしてエジプトやシリアなど東方キリスト教美術の影響も受け継いでいることが指摘されるようになる。また地理的範囲も「ロマンス諸語」が意味するところとは大きく異なり、南フランスやイタリアのみならず、ドイツや北フランス、ノルマンディーやイギリスにも広がっていることが確認されている[3][4]。
ロマネスク美術は宗教美術が中心で、宗教建築、とりわけ修道院が主導的な役割を果たした。ゴシック美術の中心が都市の大聖堂であるのに対して、ロマネスクは修道院の芸術だとしばしば言われる。代表的な建築の多くは修道院の教会堂であり、それを飾るための彫刻や絵画が制作されたほか、またエマイユ(七宝)や金工品、ステンドグラス、ミニアチュール(写本画、細密画)などが修道院で作られた[5][6]。
大きな修道院は、当時の封建社会において大小の領主から土地を寄進された大土地所有者であり、有力な王侯貴族と密接な関係があった。とくにドイツでは、オットー朝やザリエル朝の諸帝の保護のもとに初期ロマネスク美術が形成されたため、これをオットー美術としてロマネスク美術から区別する研究者もいる。
背景
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ヨーロッパが成功していった時代に、高品質の芸術は、カロリング朝とオットー時代の大部分から、もはや宮廷と僧院の小円に制限されることはなかった。修道院は依然として非常に重要であった。とくに当時の拡張主義の修道会である、ヨーロッパ全域に広がったシトー会、クリュニー修道会、カルトジオ修道会の修道院は重要だった。しかし、街や巡礼ルート上の教会、そして小さな町や村の多くの教会には、非常に高い水準の精巧な装飾が施されている。実際に、大聖堂や街の教会が再建されるときには、よくそれらが復元され、ロマネスク様式の王宮は全く残っていない。
ヴェルダンのニコラスが大陸を越えて知られているように、(聖職者でない)俗人の芸術家の価値が認められてきた。ほとんどの石工や金細工師は俗人となり、マスター・ヒューゴのような俗人画家が多数派になっていたようだ。少なくともその時代の末期までには彼らが最高の仕事を行っていた。彼らの教会の仕事である図像は、聖職者との妥協点にたどり着いたといえる。
彫刻
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絵画
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ギャラリー
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Stavelot Triptych(スタヴロの三連祭壇画), Mosan, Belgium, c. 1156–58. 48×66 cm with wings open, Morgan Library(モルガン・ライブラリー), New York
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The Gloucester candlestick(グロスター燭台), early 12th century
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The tympanum(ティンパヌム) of Vézelay Abbey(サント=マドレーヌ大聖堂 (ヴェズレー)), Burgundy, France, 1130s, has much decorative spiral detail in the draperies.
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仏南部(カオール大聖堂の猛獣と闘う男
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This capital of Christ washing the feet(洗足式) of his Apostles has strong narrative qualities(シャロン=アン=シャンパーニュ) in the interaction of the figures.(ノートルダム教会)
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Judas Iscariot hangs himself(縊死するイスカリオテのユダ), assisted by devils, always a favourite subject of carvers. Autun Cathedral(オータンの聖ラザロ大聖堂)
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Around the upper wall of the chancel at the Abbaye d'Arthous(ハスティニューズ), Landes, France, are small figures depicting lust, intemperance and a Barbary ape, symbol of human depravity(全的堕落の象徴).
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英西部キルペックのウロボロス
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Pórtico da Gloria(Portico of Glory), Santiago Cathedral(サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂). The colouring once common to much Romanesque sculpture has been preserved.
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ロンドン近郊セント・オールバンズ大聖堂の東方三博士
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伊北部ノバレサ修道院のフレスコ画
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Apse of Sant Climent de Taüll(タウル サント クリメント教会の後陣), a Catalan fresco by the Master of Taüll(Master of Taüll(フレスコ画家)), now in Museu Nacional d'Art de Catalunya(カタルーニャ美術館).
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スペイン北部レオンのサン・イシドロ聖堂地下室
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Stained glass, the Prophet Daniel(ダニエル) from Augsburg Cathedral(アウクスブルク大聖堂), late 11th century.
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仏北東部のストラスブール大聖堂内部
脚注
- ^ 「ロマネスク」(『日本国語大辞典』小学館);「ロマネスク」(『日本大百科全書』)
- ^ Eric Fernie, et al. "Romanesque." (Grove Art Online. Oxford UP, Web. 29 Nov. 2012).
- ^ アンリ・フォション『ロマネスク』神沢栄三ほか訳、鹿島出版会、1976
- ^ Lawrence Nees, Early Medieval Art (Oxford History of Art), Oxford UP, 2002.
- ^ エミール・マール『ロマネスクの図像学』田中仁彦ほか訳、国書刊行会、1996
- ^ C. R. Dodwell, Painting in Europe, 800–1200 (Pelican History of Art), Yale UP, 1993.
関連文献(日本語)
- 木俣元一・小池寿子『西洋美術の歴史3 中世II - ロマネスクとゴシックの宇宙』(中央公論新社、2017年)ISBN 978-4124035933
- 『西欧初期中世の美術 世界美術大全集 西洋編 第7巻』(辻佐保子編、小学館、1997年)ISBN 4096010073
- 『ロマネスク 世界美術大全集 西洋編 第8巻』(長塚安司編、小学館、1996年)ISBN 4096010081
- 池上俊一『ロマネスク世界論』(名古屋大学出版会、1999年)ISBN 4815803625
- 馬杉宗夫『ロマネスクの美術』(八坂書房、2001年)ISBN 4896944720
- 辻佐保子『ロマネスク美術とその周辺』(岩波書店、2007年)ISBN 978-4000025898
- 金沢百枝『ロマネスクの宇宙 : ジローナの「天地創造の刺繍布」を読む』(東京大学出版会、2008年)ISBN 9784130860376
- 金沢百枝『ロマネスク美術革命』(新潮社〈新潮選書〉、2015年)ISBN 978-4106037757
- 尾形希和子『教会の怪物たち ロマネスクの図像学』(講談社選書メチエ、2013年)ISBN 978-4062585682
- 酒井健『ロマネスクとは何か 石とぶどうの精神史』(筑摩書房〈ちくま新書〉、2020年)ISBN 978-4480073334
- 柳宗玄『著作選5 ロマネスク彫刻の形態学』(八坂書房、2006年)ISBN 489694755X
- 柳宗玄『著作選4 ロマネスク美術』(八坂書房、2009年)ISBN 9784896947564
- 古典訳書
- エミール・マール『ヨーロッパのキリスト教美術 12世紀から18世紀まで』(柳宗玄ほか訳、岩波文庫(上・下)、1995年)ISBN 400-3356519/ISBN 400-3356527
- エミール・マール『ロマネスクの図像学』(田中仁彦ほか訳(上・下)、国書刊行会、1996年)ISBN 4336038910/ ISBN 4336038929
- アンリ・フォシヨン『ロマネスク 西欧の芸術』(神沢栄三ほか訳(上・下)、鹿島出版会〈SD選書〉、1976年、のち新版)
- アンリ・フォション『ロマネスク彫刻 形体の歴史を求めて』(辻佐保子訳、中央公論社、1975年)
- ユルギス・バルトルシャイティス『異形のロマネスク 石に刻まれた中世の奇想』(馬杉宗夫訳、講談社、2008年)ISBN 9784062153447
- エッセイ集・写真解説など
- 金沢百枝、小澤実『イタリア古寺巡礼 シチリア→ナポリ』(新潮社〈とんぼの本〉、2012年)ISBN 9784106022388
- 金沢百枝、小澤実『イタリア古寺巡礼 フィレンツェ→アッシジ』(新潮社〈とんぼの本〉、2011年)ISBN 9784106022234
- 金沢百枝、小澤実『イタリア古寺巡礼 ミラノ→ヴェネツィア』(新潮社〈とんぼの本〉、2010年)ISBN 9784106022074
- 越宏一『ヨーロッパ中世美術講義』(岩波書店〈岩波セミナーブックス〉、2001年)ISBN 4000266020
- 浅野和生『ヨーロッパの中世美術 : 大聖堂から写本まで』(中央公論新社〈中公新書〉、2009年)ISBN 9784121020147
- 池田健二『スペイン・ロマネスクへの旅』(中公新書、2011年)ISBN 9784121021021
- 池田健二『イタリア・ロマネスクへの旅』(中公新書、2009年)ISBN 9784121019943
- 池田健二『フランス・ロマネスクへの旅』(中公新書、2008年)ISBN 9784121019387
- 小佐井伸二『中世が見た夢 ロマネスク芸術頌』(筑摩書房、1988年)ISBN 4480854401
- 馬杉宗夫『スペインの光と影 ロマネスク美術紀行』(日本経済新聞出版社、1992年)ISBN 4532160596
- 木俣元一・中村好文『フランス ロマネスクを巡る旅』(新潮社〈とんぼの本〉、2004年)ISBN 9784106021206
- 『図説 ロマネスクの教会堂』(ダーリング益代、辻本敬子、河出書房新社〈ふくろうの本〉、2003年)ISBN 4309760279
- 『ロマネスク 光の聖堂』(写真六田知弘、解説・ダーリング益代、池上俊一、淡交社、2007年)ISBN 9784473034212
- 『ロマネスク 光と闇にひそむもの 六田知弘写真集』(解説・ダーリング益代、粟津則雄、生活の友社、2017年)ISBN 978-4908429064
関連項目
外部リンク
ロマネスク美術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 18:17 UTC 版)
詳細は「ロマネスク美術」を参照 9世紀から10世紀にかけて、ノルマン人やサラセン人などの異教徒の脅威により、カロリング朝はユーグ・カペーへその王権が引き継がれ、フランク王国は事実上の解体をみた。激動する社会情勢の影響を強く受けた西欧美術も同様に再び大きな変革を迫られることとなった。ロマネスク美術は、そうした社会的変動を背景として初期中世美術という基盤を発展させ開花した、11世紀後半から12世紀にかけての西欧美術を指す。 建築分野におけるロマネスク美術の特徴は、重厚な石壁と暗い内部空間に表され、古代バシリカ式建築を基本に添えつつ、東西への方向軸を持った建造物が増加した。これは、聖地巡礼を行う礼拝客の動線を配慮した結果発展した形態であると考えられている。こうした形態を保持する教会堂を巡礼路聖堂と呼び、トゥールーズのサン・セルナン大聖堂(英語版)などがその代表的建造物として挙げられる。この時代、修道院は学問と美術の中心的存在を担っており、各会派は信仰の普及手段として教会堂の建設を推進した。その表現手段は多様で、シトー会派が図像を否定し、質素な美術を奨励したのに対し、ベネディクト会派は豪華な素材を用いて美術の荘厳化に注力した。地方によって同じロマネスク美術建築でも特徴が大きく異なるのは、地域に対する会派の影響度の違いを示している。 また、後年のゴシック美術の建築と比較して壁面が多く、教会堂の天井や側壁には聖書や聖人伝を題材とした説話的な壁画が描かれた。地方によって細微な違いがあり、もっとも西方的な様式を確立したのはフランスで、その他の地域は大なり小なり東方的なビザンティン美術の要素を取り込んだ壁画が制作されている。イタリアではカロリング朝の伝統を継承しつつも、ビザンティン美術の範例を手本としながら力強い筆致で描かれているのが特徴で、イタロ=ビザンティン様式と呼ばれるこうした大構図壁画は、サン・クレメンテ聖堂(英語版)やサン・タンジェロ・イン・フォルミス聖堂(イタリア語版)などに残されている。スペインでは東方的な色彩とモサラベ美術(英語版)の影響によって、カタルーニャ地方に独特のロマネスク美術が開花した。また、オットー朝の写本工房の影響力がドイツ南部、オーストリア、スイス北部などではイタリア経由でもたらされたビザンティン美術の要素と融合を果たしたロマネスク美術が確立されている。 工芸分野では十字架、装幀板、燭台、聖遺物箱、祭具といった宗教用具がさかんに作成され、古代の浮彫や彫刻技法を復活させたことに大きな意義を見出すことが出来る。こうした丸彫像ではコンクの聖女フォワの遺物像がその先駆けとなった。その他オットー朝の伝統を汲むドイツや北イタリアの諸工房では、象牙や金を素材とした工芸細工が数多く制作され、フランスのリムーザン地方ではエマイユ工芸が発達し、聖遺物箱や装幀などが制作された。また、バイユーのタペストリーに代表される刺繍工芸が盛んになったのもロマネスク美術の特徴といえる。
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