directory
「directory」とは・「directory」の意味
「directory」とは、日本語で「ディレクトリ」と訳されることが多く、コンピュータのファイルやフォルダを整理するための仕組みである。覚え方としては、英語の「directory」には「指示する」という意味があり、ディレクトリがファイルやフォルダへの道筋を指示していると捉えることができる。また、「directory」の複数形は「directories」となる。「directory」の発音・読み方
「directory」の発音は、/dəréktəri/ であり、日本語では「ディレクトリ」と読むことが一般的である。「directory」の類語
「directory」の類語としては、「folder」や「catalog」が挙げられる。これらの言葉も、コンピュータ上でファイルやフォルダを整理するための仕組みを指す。「directly」と「directory」の違い
「directly」と「directory」は、綴りや発音が似ているため、混同されやすいが、意味は異なる。「directly」は副詞で、「直接に」や「すぐに」という意味があり、一方、「directory」は名詞で、ファイルやフォルダの整理をする仕組みを指す。「directory」を含む用語・関連する用語
「directly」とは
「directly」は副詞で、「直接に」や「すぐに」という意味がある。例えば、「I will contact you directly.(直接あなたに連絡します。)」のように使われる。「Directory C」とは
「Directory C」とは、Windowsオペレーティングシステムにおいて、デフォルトでシステムファイルやプログラムファイルが保存される場所である「Cドライブ」のディレクトリを指す。「directory」の使い方・例文
1. Please create a new directory for the project files.(プロジェクトファイル用の新しいディレクトリを作成してください。) 2. The directory structure should be organized in a logical manner.(ディレクトリ構造は論理的に整理されるべきである。) 3. You can find the file in the ""Documents"" directory.(「Documents」ディレクトリにそのファイルがあります。) 4. The software will automatically create a directory for the installation.(ソフトウェアはインストール用のディレクトリを自動的に作成します。) 5. How can I move this file to another directory?(このファイルを別のディレクトリに移動する方法は?) 6. The directory contains several subdirectories.(そのディレクトリにはいくつかのサブディレクトリが含まれている。) 7. The ""Pictures"" directory stores all the image files.(「Pictures」ディレクトリにはすべての画像ファイルが保存されている。) 8. The directory path should be specified in the configuration file.(ディレクトリパスは設定ファイルで指定されるべきである。) 9. The server's root directory is not accessible to the public.(サーバーのルートディレクトリは一般にはアクセスできない。) 10. The application will scan the specified directory for any changes.(アプリケーションは指定されたディレクトリを変更があるかどうかスキャンします。)ダイレクトリー【directory】
ディレクトリー【directory】
ディレクトリ
ディレクトリとは、コンピュータ上で個々のデータを分類および整理するための、階層構造(ツリー構造)を持った場所の概念である。
オペレーティングシステム(OS)のほとんどは、個々の電子データをファイルという単位で格納することで、一つの単位として扱う。それらのファイルを、ルートと呼ばれるトップレベルの場所から、階層型に分類された下位構造の適切な場所に配置して整理するという考え方を採用している。ディレクトリは、そのような階層的に分類された場所のことである。
ディレクトリは、OS上でどのように永続的なデータを管理するかという方法を決定しているファイルシステムの要素の一部を成している。もともと、ハードディスクなどの生の装置のレベルでは、セクタという物理的な単位でデータが扱われている。しかし、アプリケーションから見た場合、これは低レベル過ぎて扱いづらい。そこで、OSはよりアプリケーションのロジックに近いデータの格納とアクセスの手段として、ファイルシステムを提供している。
どのような種類のデータをどこに置くべきかということは、OSごとに作法が決まっていることが多い。例えば、Linuxディストリビューションの一つであるCentOSなどでは、Web用の公開ファイルを置く場所は/var/www/htmlなどとなっている。この場所は、OSあるいはディストリビューションが違えば、変わることがある。またWindowsでは、インストーラからインストールされるアプリケーションの位置は、C:\Program Files以下となっている。
ディレクトリ階層の中で、ユーザーが現在参照しているディレクトリは、カレントディレクトリと呼ばれる。あるディレクトリの上のディレクトリは親ディレクトリなどと呼ばれ、下位のディレクトリが子ディレクトリあるいはサブディレクトリなどと呼ばれる。
ディレクトリの任意の場所を参照する機能として、Windowsではエクスプローラ、Mac OSではファインダーが用意されている。WindowsやMac OSはグラフィカルユーザーインターフェース(GUI)が採用されているため、アイコンをクリックする操作によって任意のディレクトリへアクセスすることができる。また、キャラクターユーザーインターフェース(CUI)のOSの場合は、コマンドライン入力で命令することによりディレクトリの移動が可能である。特に指定すれば階層を飛び越して直接アクセスすることもできる。
ディレクトリの考え方は、UNIX系OSにより普及したと言える。WindowsやMacintoshも、同様の思想で作られている。
ディレクトリと似た概念としてフォルダという概念がある。ディレクトリとフォルダの違いとしては下記の点が指摘できる。すなわち、ディレクトリがより物理的な構造に近い意味で使用されるのに対して、フォルダは、利用者に近いメタファーの一部として用いられることが多い。
ちなみに、ディレクトリサービスは、ネットワーク上の分散処理環境において、さまざまなサービスに関する情報を一元管理して提供するサービスや、あるいは、インターネット上でホームページ情報を紹介する電話帳のようなサービスを指す表現である。
| ファイルシステム: | タイムスタンプ ダイナミックディスク ディスククオータ ディレクトリ トラックアットワンス ツリー構造 VFAT |
Directory クラス
アセンブリ: mscorlib (mscorlib.dll 内)
構文
解説Directory クラスは、ディレクトリのコピー、移動、名前変更、作成、削除などの一般的な操作に使用します。Directory クラスは、ディレクトリに対する作成、アクセス、および書き込み操作についての DateTime 情報の取得および設定にも使用できます。
Directory のメソッドはすべて静的であるため、1 つの操作を実行するだけであれば、Directory のメソッドを使用する方が、対応する DirectoryInfo のインスタンス メソッドを使用するよりも効率的な場合があります。Directory のメソッドのほとんどは、操作対象のディレクトリのパスを必要とします。
Directory クラスの静的メソッドは、すべてのメソッドでセキュリティ チェックを実行します。オブジェクトを何回か再利用する場合は、このようなセキュリティ チェックが必ずしも必要ではなくなるため、これらの静的メソッドの代わりに DirectoryInfo の対応するインスタンス メソッドを使用することを検討してください。
メモ |
|---|
| 入力文字列としてパスを受け入れるメンバでは、そのパスが正しい書式である必要があります。それ以外の場合は、例外が発生します。たとえば、パスが絶対パスであっても空白で始まっている場合、そのパスはクラスのメソッドではトリムされません。このため、パスが正しい書式にならず、例外が発生します。同様に、1 つのパスまたは複数のパスの組み合わせを絶対パスとして 2 度指定することはできません。たとえば、"c:\temp c:\windows" でも、ほとんどの場合において例外が発生します。パス文字列を受け入れるメソッドを使用するときは、パスが適切な書式であることを確認します。 |
パスを受け入れるメンバでは、ファイルまたはディレクトリを参照するパスを指定できます。指定するパスは、相対パス、またはサーバーおよび共有名を示す UNC (Universal Naming Convention) パスにすることができます。たとえば、次に示すパスはすべて有効なパスです。
-
C# では "c:\\MyDir"、Visual Basic では "c:\MyDir"。
-
C# では "MyDir\\MySubdir"、Visual Basic では "MyDir\MySubDir"。
-
C# では "\\\\MyServer\\MyShare"、Visual Basic では "\\MyServer\MyShare"。
既定では、すべてのユーザーに、新しいディレクトリに対する完全な読み書きアクセス権が与えられます。パス文字列がディレクトリの区切り記号で終わるディレクトリに対するアクセス許可を要求すると、結果として、そのディレクトリに含まれるすべてのサブディレクトリに対するアクセス許可を要求することになります ("C:\Temp\" など)。特定のディレクトリに対するアクセス許可のみが必要な場合は、文字列を "." 文字で終わらせる必要があります ("C:\Temp\." など)。
その他の一般的な I/O タスクまたは関連する I/O タスクの例を次の表に示します。
| Directory.Move DirectoryInfo.MoveTo | |
| Directory.Delete DirectoryInfo.Delete | |
| CreateDirectory Directory | |
| CreateSubdirectory | |
| GetDirectories GetDirectories | |
| GetFileSystemInfos | |
| Directory | |
| GetFileSystemInfos | |
使用例指定したディレクトリが存在するかどうかを判断して、存在する場合はそれを削除し、存在しない場合はそれを作成するコード例を次に示します。この例では、この後にディレクトリを移動し、ディレクトリ内にファイルを作成し、ディレクトリ内のファイルの数をカウントします。
Imports System Imports System.IO Public Class Test Public Shared Sub Main() 'Specify the directories you want to manipulate. Dim path As String = "c:\MyDir" Dim target As String = "c:\TestDir" Try ' Determine whethers the directory exists. If Directory.Exists(path) = False Then ' Create the directory. Directory.CreateDirectory(path) End If If Directory.Exists(target) Then ' Delete the target to ensure it is not there. Directory.Delete(target, True) End If ' Move the directory. Directory.Move(path, target) 'Create a file in the directory. File.CreateText(target + "\myfile.txt") 'Count the files in the target. Console.WriteLine("The number of files in {0} is {1}", _ target, Directory.GetFiles(target).Length) Catch e As Exception Console.WriteLine("The process failed: {0}", e.ToString()) End Try End Sub End Class
using System; using System.IO; class Test { public static void Main() { // Specify the directories you want to manipulate. string path = @"c:\MyDir"; string target = @"c:\TestDir"; try { // Determine whether the directory exists. if (!Directory.Exists(path)) { // Create the directory it does not exist. Directory.CreateDirectory(path); } if (Directory.Exists(target)) { // Delete the target to ensure it is not there. Directory.Delete(target, true); } // Move the directory. Directory.Move(path, target); // Create a file in the directory. File.CreateText(target + @"\myfile.txt"); // Count the files in the target directory. Console.WriteLine("The number of files in {0} is {1}", target, Directory.GetFiles(target).Length); } catch (Exception e) { Console.WriteLine("The process failed: {0}", e.ToString()); } finally {} } }
using namespace System; using namespace System::IO; int main() { // Specify the directories you want to manipulate. String^ path = "c:\\MyDir"; String^ target = "c:\\TestDir"; try { // Determine whether the directory exists. if ( !Directory::Exists( path ) ) { // Create the directory it does not exist. Directory::CreateDirectory( path ); } if ( Directory::Exists( target ) ) { // Delete the target to ensure it is not there. Directory::Delete( target, true ); } // Move the directory. Directory::Move( path, target ); // Create a file in the directory. File::CreateText( String::Concat( target, "\\myfile.txt" ) ); // Count the files in the target directory. Console::WriteLine( "The number of files in {0} is {1}", target, Directory::GetFiles( target )->Length ); } catch ( Exception^ e ) { Console::WriteLine( "The process failed: {0}", e ); } }
import System.*; import System.IO.*; class Test { public static void main(String[] args) { // Specify the directories you want to manipulate. String path = "c:\\MyDir"; String target = "c:\\TestDir"; try { // Determine whether the directory exists. if (!(Directory.Exists(path))) { // Create the directory it does not exist. Directory.CreateDirectory(path); } if (Directory.Exists(target)) { // Delete the target to ensure it is not there. Directory.Delete(target, true); } // Move the directory. Directory.Move(path, target); // Create a file in the directory. File.CreateText(target + "\\myfile.txt"); // Count the files in the target directory. Console.WriteLine("The number of files in {0} is {1}", target, (Int32)Directory.GetFiles(target).length); } catch (System.Exception e) { Console.WriteLine("The process failed: {0}", e.ToString()); } finally { } } //main } //Test
ディレクトリのサイズを計算する方法のコード例を次に示します。
' The following example calculates the size of a directory ' and its subdirectories, if any, and displays the total size ' in bytes. Imports System Imports System.IO Imports Microsoft.VisualBasic Public Class ShowDirSize Public Shared Function DirSize(ByVal d As DirectoryInfo) As Long Dim Size As Long = 0 ' Add file sizes. Dim fis As FileInfo() = d.GetFiles() Dim fi As FileInfo For Each fi In fis Size += fi.Length Next fi ' Add subdirectory sizes. Dim dis As DirectoryInfo() = d.GetDirectories() Dim di As DirectoryInfo For Each di In dis Size += DirSize(di) Next di Return Size End Function 'DirSize Public Overloads Shared Sub Main(ByVal args() As String) If args.Length <> 1 Then Console.WriteLine("You must provide a directory argument at the command line.") Else Dim d As New DirectoryInfo(args(0)) Console.WriteLine("The size of {0} and its subdirectories is {1} bytes.", d, DirSize(d)) End If End Sub 'Main End Class 'ShowDirSize
// The following example calculates the size of a directory // and its subdirectories, if any, and displays the total size // in bytes. using System; using System.IO; public class ShowDirSize { public static long DirSize(DirectoryInfo d) { long Size = 0; // Add file sizes. FileInfo[] fis = d.GetFiles(); foreach (FileInfo fi in fis) { Size += fi.Length; } // Add subdirectory sizes. DirectoryInfo[] dis = d.GetDirectories(); foreach (DirectoryInfo di in dis) { Size += DirSize(di); } return(Size); } public static void Main(string[] args) { if (args.Length != 1) { Console.WriteLine("You must provide a directory argument at the command line."); } else { DirectoryInfo d = new DirectoryInfo(args[0]); Console.WriteLine("The size of {0} and its subdirectories is {1} bytes.", d, DirSize(d)); } } }
// The following example calculates the size of a directory // and its subdirectories, if any, and displays the total size // in bytes. using namespace System; using namespace System::IO; long DirSize( DirectoryInfo^ d ) { long Size = 0; // Add file sizes. array<FileInfo^>^fis = d->GetFiles(); System::Collections::IEnumerator^ myEnum = fis->GetEnumerator(); while ( myEnum->MoveNext() ) { FileInfo^ fi = safe_cast<FileInfo^>(myEnum->Current); Size += (long)fi->Length; } array<DirectoryInfo^>^dis = d->GetDirectories(); while ( myEnum->MoveNext() ) { DirectoryInfo^ di = safe_cast<DirectoryInfo^>(myEnum->Current); Size += DirSize( di ); } return Size; } int main() { array<String^>^args = Environment::GetCommandLineArgs(); if ( args->Length != 2 ) { Console::WriteLine( "You must provide a directory argument at the command line." ); } else { DirectoryInfo^ d = gcnew DirectoryInfo( args[ 1 ] ); Console::WriteLine( "The size of {0} and its subdirectories is {1} bytes.", d, DirSize( d ) ); } }
継承階層System.IO.Directory
スレッド セーフ
プラットフォームWindows 98, Windows 2000 SP4, Windows CE, Windows Millennium Edition, Windows Mobile for Pocket PC, Windows Mobile for Smartphone, Windows Server 2003, Windows XP Media Center Edition, Windows XP Professional x64 Edition, Windows XP SP2, Windows XP Starter Edition
開発プラットフォームの中には、.NET Framework によってサポートされていないバージョンがあります。サポートされているバージョンについては、「システム要件」を参照してください。
バージョン情報
参照Directory メソッド
パブリック メソッド
参照Directory メンバ
ディレクトリやサブディレクトリを通じて、作成、移動、および列挙するための静的メソッドを公開します。このクラスは継承できません。
Directory データ型で公開されるメンバを以下の表に示します。
パブリック メソッド
参照総裁政府
(Directory から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/03/24 13:32 UTC 版)
| 総裁政府 | |
|---|---|
| Directoire | |
| 第二次総裁政府の総裁、左からメルラン・ド・ドゥーエー、ラ・ルヴェリエール=レポー、バラス、フランソワ・ド・ヌフシャトー、ジャン=フランソワ・ルーベル |
|
| 組織の概要 | |
| 設立年月日 | 1795年11月2日 |
| 継承前組織 | |
| 解散年月日 | 1799年11月10日 |
| 継承後組織 | |
| 管轄 | 第一共和政 |
| フランスの歴史 | |||||||||
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総裁政府(そうさいせいふ、フランス語: Directoire、英語: Directory,Directorate[1])は、1795年11月2日から1799年11月10日までのフランスの行政府である。国民公会の後、統領政府の前にあたる。5人の総裁が行政を担当し、二院制の議会が立法を担当した。フランス史で総裁の時代と呼ばれるこの政権の期間は、フランス革命の最後から2番目の段階にあたる。総裁政府の後、統領政府を経て第一帝政へと続く。
ロベスピエールの失脚
1793年のフランスでは、過激な政策を掲げるジャコバン派のロベスピエールらが実権を握っていた。彼らは有力者を次々と死刑や海外に流刑するという恐怖政治を実施したが、これに追随してパリ以上に過激な政策を実施する派遣議員らの専横と腐敗がフランス全土に広がっていた。このためロベスピエールらは派遣議員をけん制しようとしたが、1794年7月27日(共和暦2年テルミドール9日、テルミドールとは共和暦で熱月の意)、ジャコバン穏健派と派遣議員ら既得権益層が反ロベスピエール派として団結し、テルミドール9日のクーデターを実行。ロベスピエール派を処刑し、権力を掌握した。このときに先鋒を務めたのがバラス、タリアン、フーシェらである。ナポレオンも、バラスの配下として活躍している[2]。
テルミドール派の政治
この時に権力を掌握した者らはテルミドール派と呼ばれる[3]。ただし、ロベスピエール派と対立する集団というだけの関係であり、政策上は必ずしも一致していなかった。これ以後のフランス政府は、革命の理想に燃える革命派と、急激な改革を嫌う王党派との2派が対立することとなる。ただし王党派と言えども必ずしも王政復古を望んでいるわけではなく、ややもすると行き過ぎることの多い革命派に対して、古い体制を否定しないという立場であった。
テルミドール派はこれまでの政治制度を大きく変えた。まず経済では1794年12月24日までにかけて、輸入自由化、統制価格の撤廃が徐々になされた。ただし、このため猛烈なインフレが起こって国債アッシニアの暴落を招き、後の総裁政府破綻の原因の一つとなる。一方で武器商人や金融業者など資本を集める者も出た[3]。1795年2月21日に聖職者民事基本法が撤廃されて、政教分離原則が取られ、信教の自由が保障された[3]。政府の祭式予算が撤廃された一方で、1795年5月30日には教会に祭祀が再び許された[4]。行政は、公安委員会の権限が軍事と外交に縮小され、保安委員会が引き続き警察権を持ち、立法委員会が大きな権限を握った。各委員会は毎年4分の1ずつ入れ替わり、再任されるには1ヶ月の間を置くこととされた[5]。
周辺国との関係
テルミドール派が政権を取ってからも、戦争はしばらく続けられた。例えば1794年9月にはオランダに向けて侵攻を始めている。しかし、内乱と財政状況の悪化で国が疲弊していたため、1795年春以降、政府は戦争状態にあった国々と講和を結んでいく。まず1795年4月5日、バーゼルの和約でプロイセン王国と比較的有利な条件で講和した。続いて5月16日にはオランダと講和を結ぶ。さらに7月22日にはスペインともフランスに有利な講和条約を結ぶ。
しかしオーストリアとの講和には失敗して戦争が続けられ、10月1日にはベルギー併合に成功する。ただしライン川を挟んだ戦いでは敗れ、12月になってようやく停戦となる[6]。しかしこれは一時的なものであり、翌年6月に戦闘は再開される。
共和暦3年憲法の制定
テルミドール派は1795年、革命色の強すぎる1793年憲法を修正して、共和暦3年憲法を制定した。2ヶ月の議論の後[7]の1795年8月22日に普通選挙制による採否を問う投票が行われ、投票数105万に対し、反対はわずか5千票だった。
憲法を受けて行われる最初の選挙ではテルミドール派よりも王党派の方が有利と予想された。そのため、テルミドール派は「退職後の議員の職が保証されていないため、新たに議員に立候補する者は少ないであろう」と主張して、国民公会から3分の2の議員を留任させる法案を提出し、憲法と合わせて採択された。
この採決を受けて9月23日、新憲法が公式に発足した。
これに対して各派、とりわけ王党派は選挙妨害があったとしてパリで集会を開いた。1795年10月5日、これがヴァンデミエールの反乱と呼ばれる暴動に発展したため、政府はポール・バラスに事態の解決を命じた。それを受けて若きナポレオン・ボナパルトが副官として2、3千の政府軍とよく訓練された大砲隊を指揮し、軍事力に劣る反乱軍を翌日には鎮圧した。
共和暦3年憲法の内容
この憲法は権力分立を旨としており、立法権、行政権、徴税権それぞれの独立が謳われた。また、条文は124条から377条にまで増やされた[8]。
選挙権に関しては、普通選挙が廃止され、一定の税を納めている者にのみ認められた[9]。これにより、成人男子700万人のうち有権者は500万人となった[8]。
立法権は五百人会と元老会(250人)の二院制とされた。これは一院制では極端な法案がすぐに通ってしまうのを防ぐのが狙いであった。両院とも毎年3分の1が改選された。五百人会議員は25歳以上、元老会議員は40歳以上かつ既婚者または寡夫(妻と死別した人)でなければならなかった。五百人会の法案に対し、元老会には修正権が無く、拒否権のみがあった[8]。
行政権は、5人の総裁に委ねられた。任期は5年とされ、毎年1人ずつ改選されることになった。総裁は五百人会が1人のポストにつき10名の候補のリストを作り、その中から元老会が選んで決められた。選任後の総裁は議会に罷免されることはないとされた。総裁の権限は行政と外交にあり、立法権は無かった[8]。また、各官庁の長官が総裁を補佐したが、長官は内閣や議会の一員ではなく、政府全体を動かす権限がなかった。
徴税権は行政権と別途に6人の経理官に委ねられた。経理官は総裁の命令を受けることはないとされた[9]。
その他、信教の自由、報道の自由、職業選択の自由が保証された。一方、集会の自由は認められなかった。ただし個人、組織のいずれにも政府への請願書提出が認められた。また、聖職者の中には、憲法と神に共に忠誠を誓うことに矛盾を感じるものも多く、憲法への宣誓を拒否する者(忌避僧侶 (en) )も多く現れた。このような忌避僧侶の人権は制限された。
共和暦3年憲法の実施
新憲法下での初めての選挙が1795年10月20日に行われ、10月26日に国民公会は解散した[10]。10月31日に総裁が選出された。
総裁に選ばれたのはルーベル、バラス、ラ・ルヴェリエール、カルノー、ル・トゥルヌールであった。
バラスは貴族の出身だが残りの4人はブルジョア階級である。ルーベル、バラス、ラ・ルヴェリエールの思想はジャコバン派に近く、急激な改革を好んだ。一方、カルノーとル・トゥルヌールは、急激な改革を好まなかった。
総裁政府の成立で、革命は終結したかに見えた。亡命中のルイ18世とアンシャン・レジームの復活を望む国民は少なく、その逆の恐怖政治も好まれず、総裁政府は中道路線として支持された。国民は革命の傷を癒すため、事態が収まることを望んでいた。
しかし、総裁政府は当初から財源不足に悩まされる。国債アッシニアの暴落は止まらず、税制改革も行われたが財政は回復しなかった。1795年12月にはラメルが財務長官となり、1796年3月18日にアッシニアが廃止され、変わって土地手形が発行された。また、議会の王党派は、忌避僧侶の許容、亡命者 (émigré) の親類に関する法の廃止、亡命者とその親類に対する寛容を要求したが、総裁政府はこれを拒否した。
1796年5月25日に土地公有化などを主張するバブーフが、政府転覆の陰謀を企てていたため逮捕され、翌年5月に処刑された。
1793年からフランス西部で続いていたヴァンデの反乱がオッシュによって鎮圧され、1796年5月26日のフランソワ・ド・シャレットの処刑によって事実上終結した。
オーストリアとの戦い
1796年3月2日、ナポレオンはイタリア方面軍最高司令官に任命され、新たに部下となったミュラ、ベルティエ、マッセナ、ピエール・オージュローを従えて戦場に赴いた。いわゆるイタリア遠征である。4月に開始され、連戦連勝の末、5月15日にはミラノに進駐する。ナポレオンはサルデーニャ王ヴィットーリオ・アメデーオ3世と1796年5月に和解し、ニースとサヴォワを獲得し、さらにピエモンテの要塞にフランス軍の駐留を認めさせた[11]。
一方、ドイツ遠征では苦戦した。1796年6月にモローはライン川を渡り、ジュールダンはケルンを占領した。しかし8月、カール大公によって各個撃破されてしまった。
フランスは8月にはスペインと第2次サン・イルデフォンソ条約を結んで同盟した。さらにナポレオン率いるイタリア遠征ではこの月にナポリも制圧した。その後ナポレオンはオーストリア軍とイタリア北部で激突、11月17日にはアルコレの戦いで勝利し、1797年1月14日に勝利を決定的にした。4月18日にはレオベーンでオーストリアと仮講和条約が結ばれた[11]。さらに10月にはオーストリアとカンポ・フォルミオ条約を結んでヴェネツィアと引き換えにイタリアロンバルディア州と南ネーデルラントを獲得した。イギリスは1797年、サン・ビセンテ岬の海戦で勝利したものの、フランスのオランダ征服を認めざるを得なかった。
これらの勝利はいくつかの意味を持った。まず、ナポレオンが英雄としてフランス国民の尊敬を集めた。また、占領地からフランスに送られた戦利品は総裁政府の財政をやや助けた。このためある意味ナポレオンに財政を握られた形となり、総裁政府はナポレオンを恐れ始めた。ナポレオンの強さはいちいち本国の訓令を待たずに即断することにもあり、その点でも総裁政府はナポレオンに不安を持った[12]。
王党派の進出
話は少し遡って1797年1月、総裁のラ・ルヴェリエールと、サン=ピエール、シェニエ、ドーヌーらはカトリック教会に対抗して、新宗教の敬神博愛教を作っている。
1797年3月と4月に行われた3回目の評議員選挙では、王党派が多数党となった。王党派の要望を受けて、ル・トゥルヌールが総裁から外され、代わりにカルノーと思想が近い著名外交官のバルテルミーが当てられた。総裁政府は、バラス派とバルテルミー派の対立の構図ができつつあった。
議会の王党派議員は革命による急すぎる改革を嫌い、制度を旧時代に少し戻した。亡命者の親類に対する政治活動制限が無効とされ、忌避僧侶にも市民権が戻された。
フリュクティドール18日のクーデター
総裁のバラス、ルーベル、ラ・ルヴェリエールらは巻き返しを図り、クーデターで政府から王党派を追い出すことにした。
そのため、まず陰謀の得意な警視総監フーシェを仲間に引き入れた。また、議会に強い人脈を持つタレーランも外務長官の地位と引き換えに仲間にした。
1797年9月4日(共和暦フリュクティドール18日)、先にヴァンデの反乱を平定したオッシュと、ナポレオンの部下ピエール・オージュローをパリに呼び寄せ、いわゆるフリュクティドール18日のクーデターを起こした。ナポレオン本人が行かなかったのは、仮にクーデターが成功したとしてもバラスの政権は長くないと見て、新政権の失敗のあおりを受けることのないようにとの配慮であった[13]。
クーデターは成功した。選挙で選ばれた198人の代議士の当選が無効とされ、多くの著名人が逮捕された[14]。総裁となったばかりのバルテルミーは南アメリカのカイエンヌに追放され、カルノーは亡命した。その後任総裁にはドゥーエーとヌフシャトーが就いた。政府要員は共和派が占め、亡命者の親類に対する法律も復活された。軍事法廷が設けられ、亡命者は有罪であるとして、フランスへの帰国を命じる判決が下された。
忌避僧侶は、再び虐げられることになった。何百人もがカイエンヌ送りとなり、あるいはレ島やオレロン島の廃墟に閉じ込められた。ラ・ルヴェリエールは自らの宗派を拡大し、多くの教会が敬神博愛教の施設に変えられた。政府は、十曜日(共和暦参照)を公的な祭礼の日として仕事を休むことを義務とし、これまで教会で行われていた日曜日の礼拝を禁じた。報道の自由は制限され、新聞は発行禁止処分、ジャーナリストは軒並み追放された。
旧貴族全員をフランスから追放することが提案された。その案は実現されなかったが、旧貴族は外国人扱いされ、市民権を得るためには帰化する必要ができた。さらに公債の利子の3分の2は無効扱いされた。
その他の政策として、まず大蔵長官のラメルが支出切り詰め、各種支払の引き下げと凍結、間接税の復活などの政策を実施した。また、内務長官のヌフシャトーは学校や政府統計などに力を注いだ[15]。
フロレアール22日のクーデター
1798年4月の選挙で、議会は規定改選数の3分の1だけでなく、フリュクティドールの革命で不足した議員の補充が必要となった。王党派は無力化しており、有権者の関心は低下するばかりだった。当選したのは現政権に批判的な共和派議員が多かった。
総裁政府は反対派を抑えるため、1798年5月11日(共和暦花月22日)、当選者154人中、政府に反対する106人の選挙結果を無効とする法律を強行採決した。これはフロレアール22日のクーデターと呼ばれる。そこまでしても、総裁政府と議会の関係はしっくりいかず、議会は総裁政府の腐敗と悪政の責任を追及した。ヌフシャトーが引退し、1798年5月15日、トレヤールが総裁となったが、議会はトレヤールを支持しなかった。
戦争継続とエジプト遠征
フランス内部が動揺する一方で、総裁政府は周辺諸国への干渉をやめなかった。1797年12月、議会は将来のドイツ侵攻に備えて、国境の都市ラシュタットを占領した。占領の成功は、フランスの世論に好影響を与えた。
総裁政府はベルン獲得のため、ギヨーム=マリ=アン・ブリューヌにスイスを侵攻させた。さらに1797年12月28日にフランス軍司令官デュフォーが殺された報復として、ルイ=アレクサンドル・ベルティエに命じてピウス6世が治める教皇領を侵攻させ、ローマ共和国を建国した。その際、ピエモンテ州を事実上フランスに併合した。これらの侵攻の際には略奪行為も数多く行われた。
一方で、ナポレオンの功名心と、総裁政府が国民に人気のあるナポレオンを遠くに追いやりたいとの思惑が一致し、共和国軍と司令官のほとんどを引き連れてのエジプト遠征が実現した。1798年5月19日に兵5万と船舶232を率いてまずは地中海の島国マルタを目指した。6月8日にはマルタを占領し、7月1日にはエジプトのアレクサンドリアについた。近代兵器を有するフランス軍は早くも7月24日にエジプトの中心都市カイロを占領した。
戦線が広がるにつれ、軍は恒久的な人手不足となり、1798年夏、近代になって初めての国民皆兵に関する法律が可決された。実施に反対して、ベルギーでは農民の反乱が起こった。この時は聖職者8000人が罪に問われて流刑されそうになったが、民衆の支援を得てほとんどが逃亡した。政府の指導力が低下しており、徴兵できた兵士は極少数であった。
このような状況の中、1798年8月1日、いわゆるナイルの海戦において、イギリスのネルソン提督がフランス海軍を大いに破った。この勝利でイギリスは地中海の制海権を決定的にし、エジプトのフランス軍は孤立した。
フランス周辺の前線
ナイルの海戦の勝利は、フランス周辺国の同盟を促進した。ナポリ王国、オーストリア、ロシア、トルコがイギリスと同盟し、フランス包囲網を構築した。いわゆる第二次対仏大同盟である。もっともナポリ王国のフェルディナンド4世(後の両シチリア王フェルディナンド1世)は、軽率にも同盟国が戦争準備を整える前にフランスを攻勢したため、逆に破られてシチリアに逃亡するはめになった。
1799年1月、フランスはナポリを占領し、パルテノペア共和国を建国した。しかし、この勝利は前線を拡大し、軍を分散させただけだった。さらに3月初旬にはドイツに向けてライン川を渡った。しかし1799年3月21日、カール大公率いるオーストリアにシュトッカッハの地で敗れた。戦争終結を目的として1798年1月19日から続いていたラシュタット会議は15ヶ月間なんの成果もなく、1799年4月にオーストリアの軽騎兵がフランス使節を殺害したことで終了した。イタリア戦線では、同盟国側はロシアの陸軍元帥(後に総司令官)のアレクサンドル・スヴォーロフにオーストリア・ロシア連合軍を指揮させた。1799年4月17日、モロー率いるフランス軍はカッサーノ・ダッダで敗れ、さらにミラノ、トリノも落とされた。そのためフランスによるイタリアの傀儡政府の権威は急落してナポリから撤退、スヴォーロフは6月17日-18日、トレッビア川の激戦で再びフランス軍を破った。フランス軍はフランス周辺の各戦線で敗北を続け、占領地が奪還されていった。
プレリアール30日のクーデター
1799年3月から4月にかけての選挙で、共和派が躍進した。これにより一時的に総裁政府の権威が上がった。5月、ルーベルが引退し、後任はエマニュエル=ジョゼフ・シエイエスになった。
シエイエスは共和暦3年憲法に反対していたが、市民の絶大な支持を受けた。彼は総裁政府の人気が低迷していることを敏感に読み取った。シエイエスは権力を望み、憲法改正して共和派の力を抑えようとした。シエイエスはバラスと手を組み、他の3人の総裁と距離を置き始めた。
6月16日、議会は総裁トレヤールの就任を無効とし、さらにドゥーエーとラ・ルヴェリエールをフロレアール22日のクーデターの張本人として解任を要求した。結局6月18日(プレリアール30日)にこれが認められた。これをプレリアール30日のクーデターと呼ぶ。後任はゴイエ、ムーランとデュコとなった。新たに総裁となった3人は失政こそなかったものの、権威もほとんどなかった。行政府の各長官も取り替えられた。
プレリアール派の政策
ドイツとイタリアの占領地が次々と奪還されていく中、フランスは内部混乱のために有効な手を打つことができなかった。まず財政は破綻していた。政府の反宗教方針によりフランス各州は反乱寸前だった。道路の破壊と盗賊の増加により、商流は滞った。この当時のフランスに政治的自由はなかったが、かといって独裁による政治的速断もほとんどなされなかった。五百人会は過激派が占め、人質法、反革命容疑者法といった極端な法律が作られた。累進課税制も採用された。ジャコバン派が再び結成され、かって不遇の死を遂げたジャック・ルネ・エベール、ジャン=ポール・マラーの再評価が行われた。
この頃、シエイエスはジョゼフ・フーシェを警察担当長官に再任した。フーシェは辣腕であり、ジャコバン派を解散させ、何人かのジャーナリストを追放した。シエイエスもまた、権力を強化するため、軍を利用しようとした。彼はジュベールを将軍に任命し、戦局を好転させるためにイタリアに派遣した。1799年8月15日、ジュベール将軍はノーヴィで同盟国軍のスヴォーロフと遭遇、ジュベール将軍は初期に戦死し、フランス軍は敗北した。
この敗戦の後、フランスはジェノヴァの生命線ともいうべきアルプス山脈南部の占領地の防衛が手薄になった。ロシア及びオーストリアはスイスからフランスを侵略することで合意した。一方、イギリスとロシアの連合軍は、オランダを攻撃した。しかし同盟国側もまた、自国の見栄と利益にこだわったため、強かったとはいえなかった。同盟国軍は1799年9月26日-27日、第二次チューリッヒの戦いでフランスのアンドレ・マッセナに敗れ、スイス侵攻が遅れた。10月にはイギリス・ロシア連合軍はオランダから撤退した。これにより、フランス周辺での当面の脅威は無くなった。
総裁政府の終焉 - ブリュメール18日のクーデター
ナポレオンはエジプトで苦戦していた。個々の戦闘では勝利を収めていたが、本国からの救援が無く、風土病に悩まされている状態では、エジプトからの撤退しかありえなかった。しかし地中海の制海権をイギリスに握られているため、簡単には撤退できなかった。
一方でフランス本国の政治は混乱を極めており、ナポレオンが政権に入り込むチャンスとなっていた。そこで、1799年10月9日、ナポレオンは総裁政府の命令を待たずに、軍をエジプトに残してフランス南部のフレジュスに帰還した。
総裁のシエイエスは法律の範囲内で事態を収めるのは不可能と判断し、ナポレオンの力を借りて一挙に政権を確立しようと考えた。1799年11月9日、クーデターは成功し、シエイエスとナポレオンは統領政府を樹立した。ここに総裁政府の時代は終わり、統領政府が建てられた。統領政府ではシエイエスを押さえてナポレオンが実権を握った。
歴代総裁
| 総裁政府 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| 1795年11月 | ルーベル | バラス | ラ・ルヴェリエール | ル・トゥルヌール | カルノー |
| 1797年5月 | バルテルミー | ||||
| 1797年9月 | ドゥーエー | ヌフシャトー | |||
| 1798年5月 | トレヤール | ||||
| 1799年5月 | シエイエス | ||||
| 1799年6月 | デュコ | ムーラン | ゴイエ | ||
脚注
出典
- ^ Britannica Editors. "Directory". Encyclopedia Britannica, 19 Sep. 2023, https://www.britannica.com/topic/Directory-French-history. Accessed 24 March 2026.
- ^ 鹿島 p.126
- ^ a b c ブリュシュ p.134
- ^ ソブール 下p.132
- ^ ソブール 下p.126
- ^ ソブール 下144-146
- ^ ソブール 下148
- ^ a b c d ブリュシュ p.136-
- ^ a b ソブール 下p.149
- ^ ソブール 下p.152
- ^ a b 鹿島p.135
- ^ 鹿島 p.137
- ^ 鹿島 p.149
- ^ ソブール p.166
- ^ ソブール p.180
参考文献
- F.ブリュシュ、S.リアル、J.テュラール著、國府田武訳『フランス革命史』、白水社、1992年、ISBN 4-560-05732-X
- アルベール・ソブール著、小場瀬卓三・渡辺惇訳『フランス革命』、岩波新書、1953年(参照したのは1980年の第28版)、上 ISBN 978-4004130215 、下 ISBN 978-4004130222
- 鹿島茂『情念戦争』、集英社、2003年、ISBN 4-7976-7080-0
関連項目
外部リンク
- Members of the Executive Directory
- Presidents of the Executive Directory
- WorldStatesmen (here Italy linked)
- 『総裁政府』 - コトバンク
- Directoryのページへのリンク
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