ジャン・フランソワ・カルトー
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ジャン・バティスト・フランソワ・カルトー(仏: Jean Baptiste François Carteaux, 1751年1月31日 - 1813年4月12日)は、一介の画家からフランス革命を機に将軍になった人物である。南仏の反乱に際してマルセイユの鎮圧に活躍し、1793年のトゥーロン攻囲戦において、若き日のナポレオーネ・ブオナパルテ大尉[1]の上官であったことで知られる。
- ^ カルトーとナポレオンが最初に出会った当時の階級。ナポレオンはトゥーロン攻囲戦の途中に少佐から旅団長まで昇進した
- ^ この絵画は、現在、ヴェルサイユ宮殿に収蔵・展示されている。カルトーが画いた当時の報酬は6,000リーヴルであったという
- ^ 臨時に南方軍と命名されたが、後にイタリア方面軍に編入
- ^ 師団長の意味。革命フランスでは将軍に等級はない
- ^ ジャン・フランソワ・ド・ラポワプ。姓はラポワプまたはラ・ポワプ。元侯爵で、前の軍司令官ブリュネ将軍の参謀長であった。そのブリュネはバラスとフレロンの讒言によって逮捕・処刑された。そういう経緯から、政治的理由で昇進したカルトーを嫌って協力せず、終始、別行動を取った。カルトーの後に一時的にイタリア軍司令官を務め、デュゴミエ将軍とはもともと同僚の間柄。(Jean François Cornu de La Poype)
- ^ 先遣隊のみ。部隊が全部到着したのは9月7日
- ^ エスキュード、フレロン、バラス、ガスパラン、ルボー、アルビットの6名
- ^ コルシカ出身の国民公会議員。ジョゼフ・ボナパルトはこの頃、彼の秘書を務めていた。しばしば意見が合わなかったので、ナポレオンとの関係は必ずしも良好ではなかったが、トゥーロン攻囲戦の時には後ろ盾となった
- ^ 「Loterie nationale française」
- 1 ジャン・フランソワ・カルトーとは
- 2 ジャン・フランソワ・カルトーの概要
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