聖職者民事基本法とは? わかりやすく解説

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聖職者民事基本法

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/02 09:52 UTC 版)

聖職者民事基本法[1][注釈 1](せいしょくしゃみんじきほんほう、: Constitution civile du clergé)は、フランス革命期の1790年7月12日憲法制定議会で議決され[3]、同年8月24日に国王ルイ16世裁可により成立したフランス法律である[4]。日本語では、聖職者基本法[5]、聖職者俗事基本法[6]、聖職者公民憲章[7]、僧侶民事基本法[8]、僧侶基本法[9]、僧侶市民憲法[10]、僧侶にかんする民事基本法[11]とも訳されている。


注釈

  1. ^ 正式名は「Décret de l'Assemblée national du 12 Juillet 1790 sur la constitution civile du clergé」(聖職者民事基本法に関する1790年7月12日国民議会デクレ)という[2]。なお、当時の「デクレ」は議会により国王に提示されたもののまだ国王裁可を経ないため法律となっていないものを指すが、法令集には「デクレ」の名で掲載されるため、法律は「デクレ」の名で引用される。
  2. ^ 1795年10月1日ベルギー南ネーデルラント)併合の後は適用範囲は新設の9県にも拡大された
  3. ^ ただしこの時点ではまだ憲法は制定されていなかった
  4. ^ この当時の修道院生活は極めて厳しいものであったので、多くの者が解放を喜んだ
  5. ^ 司教職が空位のときにローマに収めるとされた特権
  6. ^ 当時は教皇庁枢機官。王党派。亡命から帰国後、ナポレオン体制でモンペリエとパリ大司教。
  7. ^ 物を用法に従って使用し、それによって収益を得る権利のこと
  8. ^ 元高等法院判事。法律家。憲法制定議会議員。国民公会議員で議長を経験。公安委員も務めた。ナポレオン法典の編纂にも関与。
  9. ^ シェイエス、タレーラン、シャンピオン・ド・シセ(ボルドー大司教/法務大臣)、ブリエンヌ(枢機卿)、ゴベル(リッダ司教/後にパリ大司教)、トマス・ランデ(元司祭/後に公安委員)、グレゴワール(司祭/後に司教および大臣)などの憲法制定議会議員は、王党派から非キリスト教運動推進者までいるが、主張こそ違え、すべてもとは聖職者であった
  10. ^ 憲法制定議会議員。国民公会議員。デュムーリエの裏切りで捕虜となり3年オーストリアに抑留。帰国後、五百人院議員。
  11. ^ ボローニャ政教条約。フランス王は司教職の世俗的支配者であると定義し、フランス国内の教会財産に対する課税や高位聖職者叙任権を認めるもの。これによりローマ教皇は名目上の宗教権威にすぎなくなった。ガリカニスムを確立させ、後のルイ14世によるフォンテーヌブロー勅令により、フランス教会は完全にローマから独立した
  12. ^ 130あるいは135とする資料もあるが、表記は上記の出典から
  13. ^ 1793年9月18日、カンボンの提案で司教の俸給はさらに6,000リーブルに削られ、助任司祭は1,200リーブルの年金とひきかえに廃止された。1794年9月には聖職者への俸給は全面的に停止される。[18]
  14. ^ 民事基本法が議論されていた1790年5月にちょうど国民議会議長に選ばれたラボー・サン=テティエンヌ (Jean-Paul Rabaut Saint-Étienneはプロテスタント(カルヴァン派)の牧師だった。かつてはプロテスタントは公職から追放されていたが、1787年のルイ16世の寛容令によって解除されていた。
  15. ^ ピウス6世は、タレーランが教会財産国有化令の成立に貢献し、率先して宣誓聖職者となったことを非難して、彼を破門した。しかしタレーラン本人は既に還俗しており、これをむしろ喜んだとされる
  16. ^ 「Society of 1789」のこと。ラファイエット、シェイエス、ムーニエ、ラ・ロシュフーコー=リアンクール公などが主なメンバー。タレーランなどもしばしばこの会合に出席した
  17. ^ 新旧両教執行規約のこと。カトリックとプロテスタントの両方の宗派が同一の寺院で儀式を行えるという協定。
  18. ^ 連盟祭、6月20日祭、8月4日祭、自由殉教者祭、デジール祭、ヴォルテール移葬記念パンテオン祭、シモノー記念祭等々
  19. ^ 競売で売却された国有地、教会財産を農民は手にすることはできず、かつての地主であった聖職者の寛大な方針と違って、新しい地主の営利的方針は農民を激怒させた
  20. ^ 共和派の反対があったので、フランス国内での制定は1802年4月8日、公布は同18日にずれ込んだ

出典

  1. ^ 河野 1989, p.232半田元夫; 今野國雄『キリスト教史』山川出版社、1977年、314p頁。 フュレ & オズーフ 1999, p.243などの訳語による。
  2. ^ フランス国民議会ウェブサイト
  3. ^ 僧侶民事基本法(そうりょみんじきほんほう)とは”. コトバンク. 2020年7月12日閲覧。
  4. ^ 長谷川(2007)pp.247-248
  5. ^ 小林世彰「フランス革命と大貴族―タレイラン公爵、ラ・ロシュフーコー公爵、リヤンクール公爵、ポリ ニャック公爵、ブルツイユ男爵、コンデ大公」同志社商学39巻6号(1988年)26頁
  6. ^ G.デンツラー編著(相沢好則監訳)『教会と国家』(新教出版社、1985年)149頁
  7. ^ エメ=ジョルジュ・マルティモール(朝倉剛=羽賀賢二訳)『ガリカニスム―フランスにおける国家と教会』(白水社、1987 年)137頁
  8. ^ ソブール & 小場瀬卓三 1953, p.141
  9. ^ 小林 1969, p.275、小林・前掲論文26頁
  10. ^ マチエ, 市原 & ねづ 1989, p.221
  11. ^ ミシュレ & 桑原武夫 1979, p.129
  12. ^ 井田洋子「フランスにおける国家と宗教―特にコンコルダ(政教条約)制度を対象として」経営と経済68巻4号(1989年)199頁
  13. ^ フュレ & オズーフ 1999, p.244
  14. ^ マチエ, 市原 & ねづ 1989, pp.206-212
  15. ^ ミシュレ & 桑原武夫 1979, pp.128-130
  16. ^ ミシュレ & 桑原武夫 1979, p.140
  17. ^ 小林 1969, p.275
  18. ^ 小林 1969, pp.275-276
  19. ^ ミシュレ & 桑原武夫 1979, pp.165-167
  20. ^ フュレ & オズーフ 1999, pp.252-253
  21. ^ マチエ, 市原 & ねづ 1989, p.215


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