カトリーヌ=ドミニク・ド・ペリニョンとは? わかりやすく解説

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カトリーヌ=ドミニク・ド・ペリニョン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/10 08:18 UTC 版)

カトリーヌ=ドミニク・ド・ペリニョン
Catherine-Dominique de Pérignon
生誕 (1754-05-31) 1754年5月31日
フランス王国ラングドック、グルナード
死没 (1818-12-25) 1818年12月25日(64歳没)
フランス王国(復古王政)パリ
最終階級 元帥
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カトリーヌ=ドミニク・ド・ペリニョン(Catherine-Dominique de Pérignon、1754年5月31日 - 1818年12月25日)は、フランス革命戦争期に活躍したフランスの軍人・元帥1807年にペリニョン帝国伯爵、1817年にペリニョン侯爵。ラングドックのグルナード生まれ。1804年にナポレオンによって任命された4人の名誉元帥のうち一人(他の3人はケレルマンセリュリエルフェーヴル)である。

生涯

フランス革命戦争においてピレネー戦線(対スペイン戦)で活躍し、その後五百人会議員に選出され、スペイン大使に就任した。1799年にノヴィの戦いに参加し、負傷して捕虜となった後フランスに召還された。

元老院議員となり、最初の元帥のひとりとなった後に、1806年にパルマ・ピアチェンツァの両州の総督(知事)に任命され、1808年にはナポリ総督としてナポリ王ジョアッキーノ1世(ミュラ)のもとにナポリ方面軍を指揮するなど重職を歴任する一方で、軍人としてはノヴィの戦い以降に活躍していない。

徐々にブルボン王家に接近し、ついにはその旗の下に走ってしまう。そのためナポレオンの激怒を買い、百日天下においてはワーテルローの戦いの直前に将官名簿から削除され、階級を剥奪された。

第二次王政復古の後、ルイ18世によって1816年に元帥杖を授けられ元帥に復帰した。1817年には侯爵に昇叙されている。

ナポレオンの元帥としては戦場での活躍ではなく、過去の名声と政治的な配慮によって任命された存在であり、非常に影の薄い元帥の一人と言える。

参考文献

  • 『歴史群像シリーズ48 ナポレオン戦争編』学研 [ISBN 4-05-601362-4]
  • 『ナポレオンの元帥たち』エミール・ブガーリ 新紀元社 [ISBN 4-88317-886-2]




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