訪れた著名人とその平和へのメッセージ
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「広島平和記念資料館」の記事における「訪れた著名人とその平和へのメッセージ」の解説
開館以来、多くの著名人も来館し、平和へのメッセージを記帳している。エルネスト・ゲバラ(1959年)、ヨハネ・パウロ2世(1981年)、ジミー・カーター(1984年)、マザー・テレサ(1984年)、ダライ・ラマ14世(1995年)の他、各国の元首・政治家、ノーベル平和賞受賞者を含む平和活動家などが来館している。恒例となっている内閣総理大臣の広島平和記念式典の出席も、1971年(昭和46年)8月6日に、原爆投下後26年目にして初めて出席した佐藤栄作に続くものである。 多くの来館者がメッセージを残しており、1980年頃からの各国の元首などによるものを「国家元首級の芳名録」と呼んでいる。この他にも世界各地・各分野の第一線で活動している人々による芳名録も2021年時点で70冊、総記帳数約2200人に上っている。 以下に著名来館者と彼・彼女らの残した「平和へのメッセージ」の一覧を示す。メッセージの全文は、MFP (Message for Peace)で閲覧可能(注:以下のリストは主に同資料館のサイトの情報より掲載しているが、1980年以前と2007年以降のデータは1971年の佐藤栄作以外は、資料館のウェブサイトには出ていない)。 来館した著名人の抜粋 来館日氏名国籍公職注1備考、「平和へのメッセージ」等1959-7-26 エルネスト・ゲバラ アルゼンチン キューバの特命大使 資料館のサイトには出ていない。記帳記録無し。訪日の顛末はゲバラの頁に記述あり。参考1 参考2参考3 参考4 1971-8-6 佐藤栄作 日本 首相 初の日本国首相注2の式典出席、非核三原則の提唱、1974ノーベル平和賞 MFP 1971-9-27 レッド・ツェッペリン イギリス ロックバンド 初来日でSold Outの広島公演の全売上を広島市へ寄付。市長より感謝状および、広島名誉市民章のメダルを授与。 1981-2-25 ヨハネ・パウロ2世 バチカン市国 ローマ教皇 「『私の思いは平和の思いであって、 苦痛の思いではない』 と神はいわれる。」MFP 1981-4-24 マルグレーテ2世 デンマーク 女王 MFP 1981-12-8 オロフ・パルメ スウェーデン 首相 「この地球上にヒロシマの名に無感覚でいることのできる人はいないでしょう。このことが決して再び起こってはなりません。」 MFP 1982-3-13 アレッサンドロ・ペルティーニ イタリア 大統領 「私の心は不安に満ちています。被爆者の方々に同情いたします。これは私たちにとって大いなる警告です。世界の人々がともに(以下略)」 MFP 1982-8-26 ハビエル・ペレス・デ・クエヤル ペルー 国連事務総長 「人類への永遠の教訓であるこの資料館を訪れて、とても厳粛な気持ちです。その教訓とは、平和と理解が重要であるということです。(以下略)」 MFP 1983-12-7 アブ・サイード・チョードリー バングラデシュ 元大統領 「兵器が思慮がなく破壊的に使用されたことによりこの地で命を失った多くの男性、女性そして子供たちに哀悼の意を表します。(以下略)」 MFP 1984-3-16 丸木位里・丸木俊 日本 原爆の図の共同製作者 MFP 1984-5-25 ジミー・カーター アメリカ合衆国 前大統領 「この記念館は、すべての人々が平和とより良い理解に向けて努力することを絶えることなく(以下略)」 MFP 2002年ノーベル平和賞 1984-7-8 サン・ユ ビルマ 大統領 「1945年8月この都市に起こった悲劇が人類に多大な影響をもたらしたことにビルマは同情いたします。私はこの悲劇が(以下略)」 MFP 1984-8-5 フロイド・シュモー アメリカ合衆国 平和主義者、作家、広島市特別名誉市民、被曝後の広島の復興に尽力 MFP 1984-8-5 es:Mary McMillan アメリカ合衆国 AWPTA(現en:American Physical Therapy Association)の創設者 「皆様とはたらきたいです」 MFP 1984-9-15 en:Rodrigo Carazo Odio コスタリカ 前大統領 「世界の苦しみと、教訓に学ぶことができますように。」 MFP 1984-11-10 en:Kalevi Sorsa フィンランド 首相 「私たちは皆、世界の都市が決して火葬場にならないように、本来の役割である人類が身を寄せることができる、(以下略)」 MFP 1984-11-23 マザー・テレサ アルバニア 修道女 インド市民, 修道会「神の愛の宣教者会」の創立者、1979ノーベル平和賞、「神が私たち一人ひとりを愛する(以下略)」 MFP 1985-8-5 レナード・バーンスタイン アメリカ合衆国 作曲家・指揮者 「すでに言葉だけが多すぎる―行動が不足しているのに!」 MFP 1986-7-11 en:Bernard Lown, en:Eugueni Chazov アメリカ合衆国 IPPNW会長 1985ノーベル平和賞受賞団体「私たちIPPNWの医師はこの過ちが決して繰り返されないことを誓います。(以下略)」 MFP 1986-9-16 en:Maung Maung Kha ミャンマー 首相 MFP 1986-12-4 ミゲル・デ・ラ・マドリ・ウルタード メキシコ 大統領 「世界のすべての人々が、ヒロシマを繰り返さぬよう取り組まなければなりません。さもなければ、(以下略)」 MFP 1987-2-26 en:Humayun Rashid Chowdhury バングラデシュ 国連総会議長 「この訪問は、私にとって、非常に感動的かつ崇高な経験でした。もし、人類が確固たる意志を持って、(以下略)」MFP 1987-9-16 en:Ati George Sokomanu バヌアツ 大統領 「私は妻と共に、1945年のヒロシマの惨事に深く哀悼の意を表します。また、壊滅した地域が(以下略)」MFP 1988-11-12 アドルフォ・ペレス・エスキベル アルゼンチン 建築家、彫刻家、平和運動家 1980ノーベル平和賞「日本の人々との連帯を表明します。ヒロシマは、このような悲劇を(以下略)」MFP 1989-9-14 フリオ・マリア・サンギネッティ ウルグアイ 大統領 MFP 1989-11-4 アンドレイ・サハロフ ソビエト連邦 物理学者 1975ノーベル平和賞「悲しみが私の胸をしめつけます。(以下略)」MFP 1990-3-17 フローレンス・グリフィス=ジョイナー アメリカ合衆国 陸上選手 1988年ソウルオリンピック陸上・金メダリスト、「広島の人々へ できるならば(以下略)」MFP 1990-9-14 ハッサン・グレド・アプティドン ジブチ 大統領 「広島で起きた忌まわしいできごとは、この街の罪のない人々の中から多くの犠牲を出すものとなり、(以下略)」MFP 1990-10-6 オスカル・アリアス・サンチェス コスタリカ 大統領 1987ノーベル平和賞「このような惨事が決して繰り返されることのないよう、世界中の人々が(以下略)」MFP 1990-11-2 マイレッド・コリガン・マグワイア 北アイルランド Community of Peace People設立者 1976ノーベル平和賞「戦争の思想や武器はすべて遠ざけましょう。いかなる紛争を解決するにも非暴力(以下略)」MFP 1990-11-10 en:Rafael Leonardo Callejas ホンジュラス 大統領 「非常に多くを物語る教訓です!平和を維持するために、世界中の人々がさらに固い決意をもって核兵器の拡散防止に(以下略)」MFP 1991-4-23 ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ スリランカ 元大統領 「1945年8月のあの日より私は原子爆弾のことそしてその投下が親愛なる広島にもたらした結果について聞いて(以下略)」MFP 1992-4-17 ミハイル・ゴルバチョフ ソビエト連邦 元大統領 「歳月がヒロシマの悲劇の痛みを和らげることはできませんでした。(以下略)」MFP 1992-8-5 en:Pengiran Yusof ブルネイ 元首相 1945年、留学先の広島で被曝「広島そして世界中の人々へ、もはやこれ以上戦争が(以下略)」MFP 1993-4-5 en:Martin Harwit アメリカ合衆国 スミソニアン国立航空宇宙博物館館長 「文明は人間が歴史から学ぶことによってのみ残ることができます。平和記念資料館と(以下略)」MFP 1993-11-4 en:Azlan Shah マレーシア ペラ州スルタン MFP 1993-11-24 黒沼ユリ子 日本 バイオリニスト 「自分が人類の一員として生まれてきたことを恥じなければならない証しを見る思いが(以下略)」MFP 1994-4-22 イングヴァール・カールソン スウェーデン 元首相 「私たちは過去を忘れてはなりません。そして将来への希望を創りだしましょう」MFP 1994-5-7 毛利衛 日本 宇宙飛行士 「両刃の剣である科学技術を使用する人間の哲学が問われていることが認識される」MFP 1994-10-5 フアン・アントニオ・サマランチ スペイン IOC会長 「今日ヒロシマは『平和都市』である。オリンピック活動も、また、世界平和を推進するものである。」MFP 1995-2-25 メアリー・ロビンソン アイルランド 大統領 「この記念すべき年にヒロシマは原子爆弾の恐るべき非人道性を思い出させてくれます。(以下略)」MFP 1995-3-30 ダライ・ラマ14世 チベット ダライ・ラマ 1989ノーベル平和賞 「言葉に表せない、想像を絶する破壊力を持つ兵器をこの地上から廃絶することは、(以下略)」MFP 1995-7-30 ジョセフ・ロートブラット イギリス パグウォッシュ会議会長 1995ノーベル平和賞「ヒロシマ、ナガサキの悲劇がいかなる国においても繰り返されることのないよう、(以下略)」MFP 1995-8-8 リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー ドイツ 前大統領 「ヒロシマを訪れたことのある人々は、以後生きている限り、世界に平和のメッセージを伝えることだろう。」MFP 1995-9-16 アルベルト・フジモリ ペルー 大統領 「私は、広島の人々の希望を分かちあいます。皆様は核実験停止と平和を希求しておられ、核実験は(以下略)」MFP 1995-11-1 ヘルムート・シュミット ドイツ 前首相 「二度とあってはならないことだ」MFP 1995-12-6 ヴァーツラフ・ハヴェル チェコ 大統領 「広島は決して忘れないように、世界もまたそのあらゆる悲惨な出来事を忘れないことを、そして、(以下略)」MFP 1995-12-6 コチェリル・ラーマン・ナラヤナン インド 副大統領 「ヒロシマの悲劇的な体験は人間性への強烈な警告です。核兵器をこれ以上許してはなりません。(以下略)」MFP 1995-12-6 大江健三郎 日本 作家 1994ノーベル文学賞「私はたびたびこの記念館にまいりました。今日世界のすぐれた、責任ある知性たちと(以下略)」MFP 1995-12-6 エリ・ヴィーゼル アメリカ合衆国 作家 1986ノーベル平和賞「記憶しよう。記憶しなくてはならない。我々の記憶の中にこそ、(以下略)」MFP 1996-8-28 ベティ・ウィリアムズ 北アイルランド Community of Peace People共同創設者 1976ノーベル平和賞「この美しい都市の悲劇を決して忘れないように。皆が二度と(以下略)」MFP 1997-7-28 フレデリック・ウィレム・デクラーク 南アフリカ 前大統領 1993ノーベル平和賞「私は深く感動いたしました。このようなことは二度とおきてはなりません!今こそ平和を(以下略)」MFP 1997-11-12 シモン・ペレス イスラエル 前首相 1994ノーベル平和賞「これは、人類の歴史の中で戦争反対を最も強く宣言し、恐ろしい核兵器(以下略)」MFP 1998-4-18 オスカル・ルイージ・スカルファロ イタリア 大統領 「この死の資料館を訪れると驚愕するばかりである。言葉にならないほど驚愕する。何人も(以下略)」MFP 1998-6-12 クニオ・ナカムラ パラオ 大統領 「私は、世界平和を推進する広島市役所と広島の人々のたゆまぬ努力に感謝したいと思います。(以下略)」MFP 1998-7-27 de:Kazimierz Smoleń ポーランド オシフィエンチム博物館館長 アウシュビッツ元被収容者「広島の資料館を見学中、戦争への嘆きが絶えることなく(以下略)」MFP 1998-7-3 en:Milorad Dodik スルプスカ共和国 首相 「これは全世界に核爆弾反対を訴える重大なメッセージです。」MFP 1998-11-6 ギリジャ・プラサド・コイララ ネパール 首相 「私は、いつか広島を訪れて、1945年8月6日最初の原子爆弾の炸裂によりかけがえのない命(以下略)」MFP 1998-12-9 シェイマス・ヒーニー 北アイルランド 詩人・作家 1995ノーベル文学賞「平和記念資料館は暗闇に啓蒙を与えます。(以下略)」MFP 1999-4-15 モハメド・エルバラダイ エジプト 2005ノーベル平和賞「ヒロシマの悲劇を胸にきざみ、核兵器とすべての大量破壊兵器の廃絶を(以下略)」MFP 1999-7-31 en:Vasco Rocha Vieira マカオ マカオ総督 「この資料館と公園内の平和の記念碑は、私たちにいつまでも思い出させてくれます。(以下略)」MFP 2000-3-12 en:Abdallah Baali アルジェリア 核不拡散条約再検討会議議長 「恐ろしい場面と写真を見て圧倒されました。人間が人間…兄弟に対してこのような行為を(以下略)」MFP 2000-5-12 José Arnoldo Alemán Lacayo ニカラグア 大統領 「平和を訴えるため、今日の模範として世界のために殉教した都市に敬意と賞賛を表します。(以下略)」MFP 2000-8-3 井上ひさし 日本 作家 「記憶せよ 抗議せよ そして生きのびよ。「抗議せよ、そして生きのびよ」は英国の(以下略)」MFP 2000-9-19 カルロス・フィリペ・シメネス・ベロ 東ティモール 司教 1996ノーベル平和賞「市長並びに資料館長の共感と連帯に感謝いたします。(以下略)」MFP 2001-2-7 アブドゥルサラミ・アブバカール ナイジェリア 元国家元首 「大変心を動かされる訪問でした。世界に平和が(以下略)」MFP 2001-2-22 en:Teburoro Tito キリバス 大統領 「私は、この地球の無力な普通の人々を苦しめる核兵器や諸悪に終止符を(以下略)」MFP 2001-4-15 ヘレン・クラーク ニュージーランド 首相 「ヒロシマの被爆の犠牲者を追悼します。このことが決してまた起きてはなりません。」MFP 2002-2-8 Aftab Seth インド 特命全権大使 「40年が過ぎ、この神聖な地に帰って来ましたが、40年が過ぎたというのに、(以下略)」MFP 2002-8-3 en:Barbara Lee アメリカ合衆国 下院議員 「2002年8月3日私の悲しみと罪悪感を言葉で表わすことができません。(以下略)」MFP 2002-11-21 en:Grace Naledi Mandisa Pandor 南アフリカ 評議会議長 「人類の苦悩にふさわしい慰霊─これを忘れず、このような残虐な(以下略)」MFP 2003-3-3 フィデル・カストロ キューバ 評議会議長 「このような残虐行為が、決してまた起こりませんように。」MFP 2003-6-7 en:Ranil Wickremasinghe スリランカ 首相 「ヒロシマの苦しみを目のあたりにし、深く心を動かされました。(以下略)」MFP 2004-1-29 ハワード・H・ベーカー・ジュニア アメリカ合衆国 大使 「心からの弔意と悲しみをもって」MFP 2004-5-21 ジャン・ピン ガボン 国連総会議長 「深い恐怖と悲しみを感じます。」MFP 2004-8-5 アレクサンドル・ロシュコフ ロシア 特命全権大使 「ここは有益で啓蒙的な複合施設です。私は非常に衝撃を(以下略)」MFP 2004-11-4 ベルトラン・ドラノエ フランス パリ市長 「広島の苦悩は我々の苦悩。広島の歴史は我々の歴史、人類の歴史。(以下略)」MFP 2004-11-4 ムワイ・キバキ ケニア 大統領 「世界中の人々が、被爆の惨禍を決して繰り返さないと決意することを願います。(以下略)」MFP 2005-7-23 ヴィクトル・ユシチェンコ ウクライナ 大統領 「資料館の展示はあらゆる人々に日本人が経験した傷みの記憶、すなわち文明の(以下略)」MFP 2006-3-15 ビング・ワ・ムタリカ マラウイ 大統領 「この記念公園は人類が憎しみによって自滅しようとしている(以下略) 」MFP 2008-5-15 アレイダ・ゲバラ キューバ 親善大使 ゲバラの娘、小児科医、「今日は一番下の娘の18歳の誕生日、まさかこれほどの痛みを(以下略)」MFP 2008-9-2 ナンシー・ペロシ アメリカ合衆国 下院議長 アメリカの現職最高位(大統領、副大統領につぐ第3位)として 2008-9-2 ボリス・グルイズロフ ロシア 下院議長 2009-10-18 en:Lesao Lehohla レソト 副首相 2009-10-20 en:Sven Alkalaj ボスニア・ヘルツェゴビナ 特命全権大使 2014-04-11 ジョン・フォーブス・ケリー アメリカ合衆国 国務長官 「(中略)世界中すべての人が、この資料館の持つ力を見て感じるべきである。」 2016-04-10 ホセ・ムヒカ ウルグアイ 前大統領 倫理がない科学は、考えられないような悪の道具になる。歴史は、人間が同じ石でつまずく唯一の動物と教えている。私たちはそれを学んだだろうか 2016-05-27 バラク・オバマ アメリカ合衆国 大統領 初の現職アメリカ合衆国大統領の訪問、2009年ノーベル平和賞、「私たちは戦争の苦しみを経験しました。共に、平和を広め(以下略)」 2016-11-09 ヌルスルタン・ナザルバエフ カザフスタン 大統領 「原爆の被害を自分の目で見て心を動かされた。核兵器なき世界に向け、世界の人々が共に行動しなければならない。手をつなぎ一緒に前に向かっていきたい」 注1 公職は注釈がない限り訪問時のもの。注2 佐藤栄作以降、恒例となった日本国首相の訪問は割愛する。
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