訪中調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/21 09:29 UTC 版)
1980年、山本たちは中国現地で調査を行なうべく、「孤児慰問」と称して訪中調査を行なった。吉林省では約30人の孤児らと出逢い、彼らの肉親を捜せずにいることを謝罪し、彼らの親を最後の1人まで捜すことを誓った。この孤児たちは政府の認可のおりた者たちだが、ほかにも許可を得られなかった約300人の孤児たちが大勢、座り込んでいた。中には数百キロメートルの距離を歩いてやって来た者もいた。それを見た山本は役人の制止を振り切って飛び出し、日本語で「彼らを見捨てて日本に帰ることはできない。わかってくれ」と叫んだ。もはや役人は山本を制止できなかった。このときの山本の聞き取り調査は300人におよび、大きな反響を呼んだ。 このとき参加した孤児の1人の協力により、山本の長女の消息も判明した。1982年(昭和57年)に2回目の訪中調査が行われ、山本は黒龍江省でついに長女に念願の対面を果たした。長女には中国に長年ともに暮した家族がいるためにすぐに帰国はできなかったが、後に永住帰国を果たした。その後も山本らによる訪中調査は続けられ、1986年まで9回におよんだ。
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