訪れた著名人
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数多くの著名人が清輝楼を訪れている。清輝楼には彼らの書や絵画作品などが館内に多数展示されており、館主はその様子を「小さなちいさな美術館」と表現している。大広間や客室など建物全体に作品が展示されているが、主に2階と3階には江戸時代の作品が、主に1階には明治時代以降の作品が展示されている。 野口雨情 - 詩人。大正時代に二度、昭和時代に一度清輝楼に滞在した。二匹の蛙を描いた色紙が残っている。 菊池寛 - 小説家。1932年(昭和7年)から1942年(昭和17年)の間にしばしば清輝楼に滞在した。「岩見の間」を好んだ。 河東碧梧桐 - 俳人。与謝蕪村の研究をするために宮津を訪れた際に清輝楼に宿泊した。宮津市小川町にある一心山見性寺には、河東碧悟桐作の与謝蕪村の詩碑がある。 吉田茂 - 政治家。内閣総理大臣。清輝楼に書が残っている。 吉川英治 - 小説家。吉川は天橋立で「天橋立大学」の講師を務めており、1943年(昭和18年)に清輝楼に滞在した。 稲垣稔次郎 - 染色作家。清輝楼の浴衣やマッチのデザインを手掛けている。絵画が残っている。 上村松園 - 日本画家。作品が残っている。 鈴木百年 - 日本画家。12枚のふすま絵が残っている。 前大峰 - 漆芸家。作品が残っている。 芦田均 - 政治家。色紙が残っている。 吉澤義則 - 国文学者。色紙が残っている。 沢辺北溟 - 宮津藩の儒学者。大広間のふすまに数多くの書が残っている。 池松時和 - 政治家。京都府知事。書が残っている。
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訪れた著名人
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仲里依紗長崎県出身の女優。2010年3月20日、『時をかける少女』封切時の舞台挨拶で、同作の谷口正晃監督と共に来館。仲曰く、「自分の小遣いで友達と初めて映画を観に行った場所」だったとのこと。 岡野雄一漫画『ペコロスの母に会いに行く』原作者。2013年11月9日、同作を原作とする映画が長崎県内で先行公開された時の舞台挨拶で来館している。
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