国連総会議長とは? わかりやすく解説

国際連合総会議長

(国連総会議長 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/09 06:29 UTC 版)

国際連合
総会議長
President of the United Nations General Assembly
Président de l'Assemblée générale des Nations unies
国際連合紋章
現職者
フィレモン・ヤン英語版(第79回)
Philemon Yang

就任日 2024年9月10日
任命国際連合総会
任期1年
初代就任 ポール=アンリ・スパーク
創設1946年
ウェブサイト国際連合総会議長の一覧(英語)

国際連合総会議長(こくさいれんごうそうかいぎちょう、: President of the United Nations General Assembly: Président de l'Assemblée générale des Nations unies)は、国際連合総会代表である。

国連総会の投票によって、加盟国から毎年6月ごろに選出される。国連総会議長、あるいは単に総会議長と略して呼ばれることも多い。

選考

総会議長を輩出した国を緑で示した地図

地域の偏りを防ぐため、5つの地域グループアフリカグループアジア太平洋グループ西ヨーロッパ・その他グループラテンアメリカ・カリブ海グループ東ヨーロッパグループ)から持ち回りで議長国を選出する[1]。1956年より、同じグループから連続で議長国となった例はない。

国際連合事務総長と同様に、国際連合安全保障理事会常任理事国(通称: P5)の出身者から議長が選ばれたことはない。その他、列強・大国とされる国からも選出が避けられる傾向がある。例外としては大国とされ常任理事国入りを主張しているブラジルインドから議長が選ばれたことがあるが、これはいずれも国際連合総会が始まって間もないころのことである(1947年と1953年)。

議長国を複数回務めた国はこれまでにアルゼンチンのみで、第3回(1948年)と第43回(1988年)の2度務めている。

女性が議長を務めたことはこれまでに3度のみである。1953年、インドのヴィジャヤ・ラクシュミ・パンディット英語版が初の女性議長となった。

歴代議長

選出年 画像 国連総会議長[2] 議長国 地域
グループ
会期
1946 ポール=アンリ・スパーク ベルギー WES 第1回
1947 オズヴァウド・アラニャ ブラジル LAS 第1回特別
第2回
1948 ホセ・アルセ アルゼンチン LAS 第2回特別
1948 ハーバート・エバット オーストラリア COS 第3回
1949 カルロス・P・ロムロ フィリピン EAS 第4回
1950 ナスラッラー・エンテザーム イラン EAS 第5回
1951 ルイス・パディージャ・ネルボ メキシコ LAS 第6回
1952 レスター・B・ピアソン カナダ COS 第7回
1953 ヴィジャヤ・ラクシュミ・パンディット英語版 インド COS 第8回
1954 エールコ・ファン・クレフェンス オランダ WES 第9回
1955 ホセ・マーサ・フェルナンデス  チリ LAS 第10回
1956 ルデシンド・オルテガ・マソン  チリ LAS 第1回緊急特別
第2回緊急特別
1956 ナラーティップポンプラパン タイ EAS 第11回
1957 レズリー・マンロー ニュージーランド COS 第12回
第3回緊急特別
1958 チャールズ・マリク レバノン MES 第13回
1959 ビクトル・アンドレス・ベラウンデ ペルー LAS 第14回
第4回緊急特別
1960 フレデリック・ボランド アイルランド WES 第15回
第3回特別
1961 モンギ・スリム チュニジア MES 第16回
1962 ムハンマド・ザファルッラー・カーン パキスタン COS 第17回
第4回特別
1963 カルロス・ソーサ・ロドリゲス ベネズエラ LAS 第18回
1964 アレックス・カイゾン=サッキー ガーナ COS 第19回
1965 アミントレ・ファンファーニ イタリア WES 第20回
1966 アブドゥル・ラフマン・パジワーク アフガニスタン王国 Asia 第21回
第5回特別
第5回緊急特別
1967 コルネリウ・マネスク ルーマニア EEG 第22回
1968 エミリオ・アレナレス・カタラン グアテマラ GRULAC 第23回
1969 アンジー・ブロックス リベリア Africa 第24回
1970 エドヴァルド・ハンブロ  ノルウェー WEOG 第25回
1971 アダム・マリク インドネシア Asia 第26回
1972 スタニスワフ・トレプチニスキ ポーランド EEG 第27回
1973 レオポルド・ベニテス エクアドル GRULAC 第28回
第6回特別
1974 アブデルアジズ・ブーテフリカ アルジェリア Africa 第29回
第7回特別
1975 ガストン・トルン ルクセンブルク WEOG 第30回
1976 ハミルトン・シャーリー・アメラシンゲ スリランカ Asia 第31回
1977 ラザル・モイソフ ユーゴスラビア EEG 第32回
第8回特別
第9回特別
第10回特別
1978 インダレシオ・リエバノ  コロンビア GRULAC 第33回
1979 サリム・アフメド・サリム タンザニア Africa 第34回
第6回緊急特別
第7回緊急特別
第11回特別
1980 リュディガー・フォン・ヴェヒマー 西ドイツ WEOG 第35回
第8回緊急特別
1981 イスマト・T・キタニ イラク Asia 第36回
第7回緊急特別
第9回緊急特別
第12回特別
1982 ホッライ・イムレ ハンガリー EEG 第37回
1983 ホルヘ・イジュエカ パナマ GRULAC 第38回
1984 ポール・J・F・ルサカ ザンビア Africa 第39回
1985 ハイメ・デ・ピニエス スペイン WEOG 第40回
第13回特別
1986 フマユン・ラシード・チョウドリー バングラデシュ Asia 第41回
第14回特別
1987 ペーター・フローリン 東ドイツ EEG 第42回
第15回特別
1988 ダンテ・カプト アルゼンチン GRULAC 第43回
1989 ジョゼフ・ナンヴェン・ガーバ ナイジェリア Africa 第44回
第16回特別
第17回特別
第18回特別
1990 グイド・デ・マルコ マルタ WEOG 第45回
1991 サミール・シハービー サウジアラビア Asia 第46回
1992 ストヤン・ガネフ  ブルガリア EEG 第47回
1993 ルディ・インサナリー ガイアナ GRULAC 第48回
1994 アマラ・エシー英語版 コートジボワール Africa 第49回
1995 ディオゴ・フレイタス・ド・アマラル ポルトガル WEOG 第50回
1996 ラザリ・イスマイル マレーシア Asia 第51回
第10回緊急特別
第19回特別
1997 ヘンナディー・ウドベンコ  ウクライナ EEG 第52回
第10回緊急特別
第20回特別
1998 ディディエル・オペルッティ ウルグアイ GRULAC 第53回
第10回緊急特別
第21回特別
1999 テオ=ベン・グリラブ ナミビア Africa 第54回
第22回特別
第23回特別
第24回特別
2000 ハッリ・ホルケリ  フィンランド WEOG 第55回
第10回緊急特別
第25回特別
第26回特別
2001 韓昇洙 韓国 Asia 第56回
第10回緊急特別
2002 ヤン・カヴァン  チェコ EEG 第57回
第10回緊急特別
2003 ジュリアン・ハント セントルシア GRULAC 第58回
第10回緊急特別
2004 ジャン・ピン ガボン Africa 第59回
2005 ヤン・エリアソン  スウェーデン WEOG 第60回
2006 ハヤ・ラシード・アル=ハリファ バーレーン Asia 第61回
第10回緊急特別
2007 スルジャン・ケリム 北マケドニア EEG 第62回
2008 ミゲル・デスコト・ブロックマン ニカラグア GRULAC 第63回
2009 アリー・トレキ リビア Africa 第64回
2010 ジョゼフ・ダイス スイス WEOG 第65回
2011 ナーシル・アル=ナーセル カタール Asia-Pacific 第66回
2012 ヴク・イェレミッチ セルビア EEG 第67回
2013 ジョン・ウィリアム・アッシュ アンティグア・バーブーダ GRULAC 第68回
2014 サム・クテサ ウガンダ Africa 第69回
2015 モーウンス・レカチャフト  デンマーク WEOG 第70回
2016 ピーター・トムソン フィジー Asia-Pacific 第71回
2017 ミロスラヴ・ライチャーク スロバキア EEG 第72回
第10回緊急特別
2018 マリア・フェルナンダ・エスピノサ・ガルセス エクアドル GRULAC 第73回
2019 ティジャニ・ムハンマド=バンデ英語版 ナイジェリア Africa 第74回
2020 ヴォルカン・ボズクル英語版 トルコ WEOG 第75回
2021 アブドッラ・シャーヒド モルディブ Asia-Pacific 第76回
第11回緊急特別
2022 チャバ・ケーレシ  ハンガリー EEG 第77回
2023 デニス・フランシス英語版 トリニダード・トバゴ GRULAC 第78回
2024 フィレモン・ヤン英語版 カメルーン Africa 第79回

地域グループの凡例:

1966年以前
1966年以後

脚注

出典

  1. ^ UN: About the General Assembly”. 2018年2月12日閲覧。
  2. ^ Presidents of the General Assembly of the United Nations. Un.org. Retrieved on 2013-12-06.
  3. ^ "Asian Group of nations at UN changes its name to Asia-Pacific Group", Radio New Zealand International, 31 August 2011.

関連項目

外部リンク


国連総会議長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 01:10 UTC 版)

ヴク・イェレミッチ」の記事における「国連総会議長」の解説

2012年9月開会される第67回国連総会では、国連加盟国5つ地域グループのひとつである東欧出身者議長務めることになっていた。イェレミッチはリトアニアのダリウス・チェクオリスに対抗して立候補し総会における加盟国投票9985単純多数得て議長選出された。議長選任にあたって投票が行われたのは、1991年以来初めてのことであった。イェレミッチは国連史上最年少総会議長となった受諾演説でイェレミッチは、紛争不安定に伴う諸問題取り組むうえで、国際社会団結する必要性強調した私たち共同努力が、人類がその苦痛静め、その恐怖拭い去る日に近づく一助になることを、そしてその際将来世代戦争の惨禍から守るという国際連合人々切なる願い推進することを望む。神の意志により、次期総会が平和の総会として歴史刻まれますように。 イェレミッチの在任中の2012年11月29日には、138対9の賛成多数により、パレスチナ総会オブザーバー資格与えられた。2013年4月2日には、総会通常兵器国際取引規制目的とした武器貿易条約採択することを促した。同条約154対3北朝鮮シリアイラン)の賛成多数採択された。 2013年7月12日には、パキスタン活動家マララ・ユスフザイ16歳誕生日記念して国連ユース集会招集した。この集会ユスフザイは、タリバン襲撃されてから初めて、公の場発言行った。イェレミッチの在任中にはまた、4月6日開発と平和のための国際スポーツの日宣言する総会決議67/296が全会一致採択された。この宣言は、イェレミッチと国際オリンピック委員会 (IOC) のジャック・ロゲ会長主導したものであった総会の期間中にはロゲユニセフ親善大使ノヴァク・ジョコヴィッチ特別ゲストとして出席しそれぞれIOC世界アスリート代表して演説行った。イェレミッチは2013年9月17日議長退任しアンティグア・バーブーダのジョン・ウィリアム・アッシュにその役職を引きついだ。

※この「国連総会議長」の解説は、「ヴク・イェレミッチ」の解説の一部です。
「国連総会議長」を含む「ヴク・イェレミッチ」の記事については、「ヴク・イェレミッチ」の概要を参照ください。

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