ホセ・マーサ・フェルナンデスとは? わかりやすく解説

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ホセ・マーサ・フェルナンデス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 01:06 UTC 版)

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ホセ・マーサ・フェルナンデス(1925年)

ホセ・マーサ・フェルナンデスJosé Maza Fernández, 1889年10月13日 - 1964年5月6日)は、チリの弁護士、政治家。自由党スペイン語版の党員で、内務大臣スペイン語版法務大臣スペイン語版を歴任したほか、1925年憲法スペイン語版起草委員会の議長を務めた。また、1955年の第10回国際連合総会では総会議長を務めた。

1899年、ロス・アンヘレスにて父アルマンド・デ・ラ・マーサ・ラモス(Armando de la Maza Ramos)と母ソイラ・ロサ・フェルナンデス・アンギータ(Zoila Rosa Fernández Anguita)の息子として生を受ける。リセオ・デ・アプリカシオンスペイン語版で中等教育を終え、バルディビア師範学校(Escuela Normal de Valdivia)に進学する。その後、チリ大学で法学を学び、1913年には弁護士となった。

1920年代、ラハスペイン語版(1921年 - 1924年)およびムルチェンスペイン語版(1924年)から下院議員(diputado)に選出される。その後、第9連合区(バルディビアジャンキーウエスペイン語版チロエー群島スペイン語版マガジャーネススペイン語版)から上院議員(Senador)に選出され、1926年から1932年、1933年から1937年、1937年から1945年、1945年から1953年までの4期務めた。また、1936年から1937年までは上院議長(Presidente del Senado)を務めている。

1924年2月、アルトゥーロ・アレッサンドリスペイン語版大統領によって内務大臣に任命され、1925年1月から9月まで法務・教育大臣スペイン語版を務めた。この期間には1925年憲法スペイン語版起草委員会の長も務めている。

脚注

外部リンク

公職
先代:
ペドロ・アギーレ・セルダスペイン語版
チリ共和国内務大臣スペイン語版
1924年2月1日 - 1924年2月20日
次代:
コルネリオ・サーベドラ・モントスペイン語版
先代:
ホセ・ベルナレス・ナバーロスペイン語版
チリ共和国法務大臣スペイン語版
1925年1月29日 - 1925年9月1日
次代:
オスカル・フェンネル・マリンスペイン語版
外交職
先代:
エールコ・ヴァン・クレフェンス
国際連合総会議長
1955年 - 1956年
次代:
ルデシンド・オルテガ



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