国連総会議長の選出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 16:10 UTC 版)
「1946年の国際連合事務総長の選出」の記事における「国連総会議長の選出」の解説
事務総長の選出は当初、総会議長選出の影に隠れていた。総会議長の有力候補は、ノルウェーのトリグブ・リーとベルギーのポール=アンリ・スパークだった。アメリカとソ連はリーを支持していたが、他の常任理事国はスパークを支持していた。アメリカ国務長官ジェームズ・F・バーンズは、アメリカ代表のアドレー・スティーブンソンがリーを選んだことを知って、ノルウェーとソ連の大使に支持を打診したため、両政府との信頼関係が壊れるのを避けるために、アメリカはリーに投票しなければならないと判断した。バーンズはリーの当選は絶望的だと考えていたが、ラテンアメリカのいくつかの国は、アメリカに合わせてリーに投票することに切り替えた。 1946年1月10日に開かれた総会では、ソ連がリーを指名し、満場一致でリーを選出しようとしていた。この方針は却下され、総会は無記名投票に移った。その際、スパークの支持国が正式な指名を忘れていたにも関わらず、28対23でスパークが総会議長に選出された。
※この「国連総会議長の選出」の解説は、「1946年の国際連合事務総長の選出」の解説の一部です。
「国連総会議長の選出」を含む「1946年の国際連合事務総長の選出」の記事については、「1946年の国際連合事務総長の選出」の概要を参照ください。
- 国連総会議長の選出のページへのリンク