国連調停への抵抗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 00:11 UTC 版)
「モハメッド・ファッラ・アイディード」の記事における「国連調停への抵抗」の解説
1993年6月5日、停戦合意に基づく武装解除の過程で、パキスタン兵24人が殺害された。国連安保理はこの事件を引き起こした「責任者」(具体名は提示せず)を逮捕するとする国際連合安全保障理事会決議837を全会一致で可決し、12日後に国連事務総長特別代表ジョナサン・ハウ(英語版)(元アメリカ海軍提督)がアイディード逮捕に2万5千ドルの報奨金を出した。7月、UNOSOM IIもアイディードに逮捕状を出した。 1993年10月3日、アメリカ軍はアイディードの部下を逮捕するための作戦を開始するが、アメリカ軍が使用したヘリコプターMH-60 ブラックホークの撃墜をきっかけに18名の兵士が死亡した(モガディシュの戦闘)。アメリカ合衆国はこの事件を契機に、ソマリアからの全面撤退を検討。 1994年3月、アイディードとアリ大統領が一旦は停戦合意。11月にUNOSOM IIの終了が決定され、1995年3月に撤退。 その後、アイディードの軍閥SNAからオスマン・アリ・アト(英語版)の一派が分裂し、アリ元大統領の勢力に合流した。
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