世界遺産に登録された日本の稼働遺産
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「稼働遺産」の記事における「世界遺産に登録された日本の稼働遺産」の解説
この項目は、法分野に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:法学/PJ法学)。 名称対象構造物特徴・稼働状況・所有者・注意事項インテグリティ=法的保護根拠(要約)八幡製鉄所旧本事務所 1899年(明治32年)に建設された左右対称のレンガ積み二階建て。玄関正面にバルコニーが付いた車寄せの張り出しがあり、屋根は瓦葺きで中央部にドームを冠する。33m×15m、軒高10.38m。玄関は洞海湾(新日鉄八幡泊地)側に向いており、その前をくろがね線が横切る。1922年(大正11年)まで所長室やお雇い外国人技師室が置かれ、その後は研究所や検査棟となった。日本製鉄八幡製鉄所の構内にあり、所定の見学路から80m先の外観遠景のみ参観可(撮影可)。内部は非公開。 景観法の景観重要建造物に指定。港湾法も適用されている。第三十九条(分区の指定)の三「工業港区-工場その他工業用施設を設置させることを目的とする区域」として、第一条「秩序ある整備と適正な運営を図るとともに、保全することを目的とする」、第三条の二「利用及び保全並びに開発に関する基本方針を定めなければならない」とその2. 基本方針の五「経済的、自然的又は社会的な観点の確保」、第四十条(分区内の規制)「区域内において、建築物その他の構築物を改築し、又はその用途を変更してはならない」などの条項による。 修繕工場 1900年(明治33年)に建設された現存する国内最古の鉄骨建築物。バシリカ状の構造で、明かりを取り込むための高窓が設けられ、鉄板葺きの屋根を支えるトラス組み構造。50m×30m、桁行140m。以前は鉄道軌道が引き込まれていた。1905年(明治38年)、1908年(明治41年)、1917年(大正6年)に増築。製鉄所で使用する機械の修繕、部材の製作加工、組み立て等を行う工場として天井クレーンを含め現在も使われている。八幡製鉄所の構内にあり、現在も稼働中のため非公開。 景観法の景観重要建造物指定および同上の港湾法が適用されている。 旧鍛冶工場 1900年(明治33年)に建設された鉄骨造り二階建て、かまぼこ型の形状に越屋根付きで、外壁はレンガ積み。55m×15m、軒高7.4m。製鉄所建設に必要な鍛造品を製造した。当初は現在地の北側に建てられたが、製鉄所設備が整った1917年(大正6年)に移設し製品試験所として使用された。現在は創業時の文書・図面・写真・製品(レールなど)の資料約4万点を保管する史料室として使われている。八幡製鉄所の構内にあり、収蔵資料も含め非公開。 同上 遠賀川水源地ポンプ室 1910年(明治43年)の製鉄所拡張工事に伴い工業用水の水源及び送水施設として建設。赤レンガを主体に一部に鉱滓レンガを使用した、切妻屋根でポンプ室と連結するボイラー室の二棟合わせ平屋。38m×22.5m、軒高7.4m。ポンプ室側の内部はアーチ柱構造。当初は4基の蒸気ポンプと8基の石炭ボイラーが設置されていたが、1951年(昭和26年)に6基の電気ポンプに取り替えられ、現在でも1日に5万~6万トン、八幡製鉄所が使う約3割の工業用水を埋設鋳鉄管で送水している。ポンプ送水施設としては国内最古。関連施設として川の中州に同年建設の取水塔があり、こちらも稼働しているが世界遺産ではない。新日鐵住金の所有地内にあり、安全上からも非公開。敷地外から外観のみ眺望できる。 景観法の景観重要建造物に指定。遠賀川との接点部は河川法と水防法、送水管は工業用水道事業法の範疇にある(工業用水法ではない)。 三池炭鉱三池港 三井三池炭鉱から産出した石炭を搬出するため、1908年(明治41年)に開港。本来は切石積みだが、現在はコンクリートに覆われている部分もある。沖から順に、有明海からの砂泥流入を阻止する砂防堤に守られた航路(1830m)、潮待ち内港(50万㎡)、観音開き式閘門(長さ37.5m、水路幅20m)と左右各5門の補助水門(スルースゲート)、船渠(13万㎡、係船岸壁は延べ421m)で構成され、港湾全体がハチドリの形状をしている。船渠は閘門を閉じると干潮時でも水位8.5mを確保し、1万トン級の船舶が停泊できる。閘門はレンガ積みコンクリート製可動橋で、開閉用の水流ポンプも開港時のもの(日本機械学会の機械遺産認定)。門扉は鋼鉄製(1枚の長さ12.17m×高さ8.84m×厚さ1.2m、重さ91.3トン)だったが、1983年(昭和58年)にゴムとステンレス製に付け替えられた。扉は水面下にあり、天端の鉄骨組板張り犬走りが目視できるのみ。補助水門はレンガ石組門柱と機械巻きの引き上げ戸。1971年(昭和46年)に福岡県が港湾管理者となったが、閘門と機械室の管理運用は旧三井鉱山系の三池港物流(株)が委託され社用地扱いのため港湾地区は立ち入り禁止、但し船渠の東岸のみ見学可。 公有水面埋立法と景観法の景観重要建造物が適用されている。港湾法の重要港湾(国際海上輸送網又は国内海上輸送網の拠点となる港湾その他の国の利害に重大な関係を有する港湾で政令で定めるもの)に指定。第二条の5「港湾施設」一:水域施設-泊地及び船だまり、二:外郭施設-防波堤・防潮堤・導流堤・水門・護岸・堤防、三:係留施設-岸壁・係船くい・桟橋・物揚場も適用。 長崎造船所第三船渠(第三ドック) 1905年(明治38年)に三菱合資会社が築いた大型船舶修理用乾船渠。長崎港に面した崖を切り崩し海を埋め立て、岩盤に石を積み上げた構造。1943年(昭和18年)、1957年(昭和32年)、1960年(昭和35年)に拡張され、長さ276.6m、幅38.8m、深さ12.3mで、9万5千トン級の船を収庫可。当初から設置されている排水ポンプも現役。今後老朽化が進んだ際には自治体がドック代替用地を確保し、保存する案も検討されている。三菱重工業の敷地内にあり、現在も機能しているため立ち入り禁止。特に自衛艦入渠時は、防衛機密の観点から特定秘密の保護に関する法律に抵触する。 県道236号に面した三菱重工の塀の直下に位置するが、自撮り棒などでの覗き込みは盗撮になる。対岸の鍋冠山から眺望可。 景観法の景観重要建造物に指定。港湾法第二条の5「港湾施設」八の二:船舶役務用施設-船舶修理施設並びに船舶保管施設を適用。 旧鋳物工場併設木型工場 1898年(明治31年)に鋳物(エンジンなど)鋳造用の木製鋳型を作る工場として建設。木骨レンガ造り、トラス構造の二階建て。ハルデスレンガが用いられている。一階が工場で、二階は木材倉庫だった。建物中央に荷揚げ用の吹き抜けとクレーンがある。1915年(大正4年)に増築。1982年(昭和57年)に新しい木型場が完成したため、1985年(昭和60年)より長崎造船所史料館となり、一階部分のみ一般公開されている。展示物の竪削盤 - 文化遺産オンライン(文化庁)は国内最古の工作機械。 景観法の景観重要建造物指定および八幡製鉄所同様の港湾法が適用されている。 ハンマーヘッド型起重機(ジャイアント・カンチレバークレーン) 1910年(明治43年)に造船所の設備電化に伴い設置された鉄骨製片持ち梁式電動クレーン。高さ62m、ジブ73m、吊り上げ能力150トン。原爆投下で被爆したが、骨格部材の大半とワイヤー・ブレーキ・操作盤などはオリジナルのまま。大型の同型クレーンは20世紀初頭に世界中で48基作られたとされ、現存するのは11基だが稼働例は少ない。1961年(昭和36年)に現在の水の浦岸壁へ移設が行われた。三菱重工業の敷地内にあり、埠頭を含め現在も機能しているため立ち入り禁止。対岸の大波止や水辺の森公園から眺望可。 文化財保護法の登録有形文化財。景観法の景観重要建造物指定および港湾法第二条の5「港湾施設」六:荷さばき施設-固定式荷役機械を適用。 占勝閣 1904年(明治37年)に第三ドックを見下ろす身投岬に造船所所長の邸宅として建てられた瓦葺き木造二階建て洋館(地下階厨房付随)。結局、邸宅にはならず迎賓館となり、東伏見宮依仁親王が宿泊した際に「風光景勝を占める」として命名、邸内扁額の「占勝閣」揮毫は孫文による。現在も進水式などの祝賀会の際に貴賓の接待に使われているため非公開。身投岬を尾根とする立神山の中腹域からわずかに眺望可。 景観法の景観重要建造物指定および港湾法第二条の5「港湾施設」十:港湾厚生施設、第三十九条(分区の指定)の九「修景厚生港区-その景観を整備するとともに、港湾関係者の厚生の増進を図ることを目的とする区域」を適用。 橋野高炉跡及び関連施設橋野鉄鉱山(採掘場と運搬路) 橋野高炉跡から南へ2.6kmの大峰山麓北西谷間(標高900m)に鉄鉱石採掘場跡(青ノ木坑)がある。北緯39度19分15秒 東経141度40分30秒 / 北緯39.32083度 東経141.67500度 / 39.32083; 141.67500 (橋野鉄鉱山)(釜石市橋野町第2地割46番)。鉱山周辺の餅鉄は古くから知られていたが本格的開発は江戸時代で、『遠野古事記』に「元禄の中頃、橋野鉄山運上願上鉄を為掘、鋳匠を呼抱置、鋳物を為鋳売申候(部分抜粋)」とあり、南部藩請負の小野組による。1873年(明治6年)に明治政府工部省により官営化。長らく露天掘りが行われ採掘場跡はクレーター状を成すが、高炉の廃止に伴い閉山。昭和初期に再開し青ノ木から大峰山直下を貫通横断する複数の坑道が開削、1982年(昭和57年)に閉山。鉱業権は 日鉄鉱業 の釜石鉱山の所有地になっており、安全上から採掘場は非公開だが、Google マップのストリートビューで周囲を見ることができる。Googleマップストリートビュー 橋野鉄鉱山・高炉跡(運搬路) 景観法の景観形成重点地区に指定。大峰山一帯はブナ原生林が広がり、国有林野の管理経営に関する法律に基づく国有林・保護林(郷土の森)にもなっている。 旧集成館関吉の疎水溝 島津斉彬による集成館の溶鉱炉水車鞴の動力源として、1691年(元禄4年)に仙巌園の泉水用に稲荷川(棈木川)から並走するように約8㎞を掘削した用水路(吉野疎水)を、1852年(嘉永5年)に改修したもの。1915年(大正4年)の集成館事業終了まで使われ、現在では途中で途切れているが農業用水路として利用されている。流域間の高低差は約8mしかなく(勾配は最小0.07度とほぼ水平)、測量・土木技術の高さを示す。取水口は自然の岩盤に切石を組み込んだもので、1913年(大正2年)に改修をうけている。世界遺産に登録されたのは、厳洞の滝とも呼ばれる取水口がある周囲の約50m前後。 Googleマップのストリートビューで周囲を見ることができる。Googleマップストリートビュー 関吉の疎水溝 文化財保護法に基づく史跡(旧集成館 附)指定を受けている。緩衝地帯には河川法・都市計画法・宅地造成等規制法が適用されている。疎水溝全体は農業用水化しているため法定外公共物と見做され法的保護根拠がなく、鹿児島市と農協および流域の利用農家が管理している。 アイコンがあるものは、通常見られる範囲での撮影画像(望遠レンズ撮影含む)を下記ギャラリーに掲載した。*橋野鉄鉱山の画像は釜石市が主催した見学会の際に撮影したもので、常時見られるものではない。 八幡製鉄所旧本事務所 遠賀川水源地ポンプ室 三池港(閘門) 第三船渠(第三ドック) 旧木型場 ハンマーヘッドクレーン 占勝閣 橋野鉄鉱山/運搬路 橋野鉄鉱山/採掘場 関吉の疎水溝
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