ものべ‐がわ〔‐がは〕【物部川】
物部川
物部川は、高知県の白髪山(標高1,770m)にその源を発し、中・上流域にかけて山地に囲まれた峡谷をほぼ南西に流れ、土佐山田町で山地を離れたのち香長平野を南流して土佐湾に注いでいます。高知県においては四万十川、仁淀川に次ぐ流路延長71km、流域面積508km2の第3の河川です。 |
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物部川を河口から望む |
河川概要 |
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1.物部川の歴史 |
"物部川流域下流部に広がる香長平野には、早くから人が住み、弥生時代には既に稲作が行われていたと言われています。 荒れ川であった物部川は、野中兼山(1615~1663)の時代になって山田堰や灌漑水路が整備され、高知県最大の穀倉地帯、また流通経路として発達してきました。" |
物部川流域下流部に広がる香長平野には、早くから人が住み、弥生時代(紀元前3世紀頃から後3世紀頃まで)には既に稲作が行われていた(田村遺跡)と言われ、古くから物部川を水源とした灌漑用水の受益地であると同時に物部川の氾濫域でもあります。古代の土佐国府は物部川流域におかれ、平安初期には歌人として知られる紀貫之が国司としてこの地に留まり、香長平野は土佐の政治、文化の中心地となりました。
物部川がその姿を整え始めたのは、江戸時代前期の土佐藩家老、野中兼山(1615~1663)の時代になってからです。兼山が手がけた灌漑水路は、舟入川によって浦戸湾まで続く大運河となり上流の山林資源や海辺の魚介類が運ばれ、上下流のみならず物部川流域圏外との交流を深める流通経路としても発達してきました。
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2.地域の中の物部川 |
"物部川はアユに代表される多くの魚や鳥など多くの生き物のすみかであり、ふるさとの景色を形づくっています。河口ではサーフィンが盛んで、家族やカップルの憩いの場としても親しまれています。 流域では伝統的な大凧上げ大会など様々なイベントが催されています。 また、物部川ふるさとの川整備事業として良好な水辺空間の形成をはかっています。" |
物部川はアユに代表される多くの魚や、四季折々に姿を見せる鳥など多くの生き物のすみかであり、水の流れや川岸の樹木はふるさとの景色を形づくっています。 また、流域を構成する市町村は1市4町2村にわたり、近年、下流の市町村を中心に県と高知市のベッドタウンとして都市化の進展が見られ、当地域には高知龍馬空港が位置し、高知県の玄関としても重要な地域です。
高知龍馬空港が隣接する物部川河口部右岸側は、飛行機の離着陸を観覧できる絶好のロケーションとなっており、多くの家族やカップルの憩いの場となっています。左岸側には桜づつみや天然色劇場が整備され、野外ライブや港まつりなど様々なイベントが催されています。また、物部川河口はサーフスポットとして有名であり、多くの愛好家が楽しんでいます。 河口から4km上流の野市町河川敷では、旧正月に江戸時代から伝わる土佐凧保存のため凧揚げ大会が行われ、大きさ約100畳、重さ約270kgもの大凧が「よっしゃいくぞ」のかけ声とともに宙に舞い上がります。
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3.物部川の自然環境 |
"物部川は高知県中央部に位置し、高知平野を潤したのち土佐湾に注ぐ急流河川で、流域の年間降雨量は約3,000mmにも達します。河口部一帯は、シギ・チドリ類をはじめとする多くの渡り鳥の移動時における中継地点となっています。" |
物部川流域は、全国有数の多雨地帯南四国のほぼ中央に位置し、流域内の年平均降水量は約3,200mm程度に達します。
流域面積(508km2)のうち山地が約9割を占め、平地は38km2に過ぎない典型的な山地河川です。上流から中流域にかけては急峻な山地に囲まれたV字型の渓谷を呈し、下流部においても山間部から急激に開けた扇状地平野を流路が蛇行する中流河川の様相を呈しています。急流河川である物部川は、下流部(直轄管理区間)においても河床勾配が急勾配(約1/290)のまま海に至っているため、感潮域は河口から僅か0.7km程度と非常に短くなっています。 水質は、直轄区間3地点のBOD平均値でみると、2002年が0.8mg/Lと良好な水質を維持しています。 物部川源流域は剣山国定公園に指定され、ブナ林やモミ・ツガ林等の天然林が分布し、クマタカ、オオダイガハラサンショウウオや国の特別天然記念物であるニホンカモシカ等が生息しています。
魚類はこれまでに76種が確認され、代表的な魚種はボラ、オイカワ、ウグイ、アユ等で、カマキリやボウズハゼ等の特定種も確認されています。
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4.物部川の主な災害 |
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(注:この情報は2008年2月現在のものです)
物部川
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/28 14:10 UTC 版)
物部川 | |
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物部川(新在所橋から下流側)
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水系 | 一級水系 物部川 |
種別 | 一級河川 |
延長 | 71 km |
平均流量 | 24.6 m3/s (深渕観測所 2000年) |
流域面積 | 508 km2 |
水源 | 白髪山(高知県) |
水源の標高 | 1,769.7 m |
河口・合流先 | 土佐湾(高知県) |
流域 | ![]() |
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物部川(ものべがわ)は、高知県香美市の白髪山を水源とし、大小の支流34の河川を合わせつつ土佐湾に注ぐ一級河川。高知県中部を流域として、南国市、香南市、香美市をまたぐ流域面積508平方キロメートルの河川であり、山地が流域の約88%を占める[1]。物部川の上流域は奥物部県立自然公園に指定されており、その北部は剣山国定公園に接している[2]。流域内では高知龍馬空港や高知市への国道等が整備されており、交通の要衝となっているほか、高知県最大の穀倉地帯である香長平野を含むため、野菜を中心とする施設園芸や稲作も盛んに行われている[1]。河川延長は幹河71km、支河219kmの290km、流域内人口は約4万人[1]。
地理
高知県香美市物部町久保影の剣山地・白髪山(しらがやま、標高1769,7m)の東面に源を発し南流。香美市物部町別府で南西に向きを変え、高知平野東部を流れ香南市吉川町吉原で土佐湾に注ぐ。
名称の由来
古くは「鏡川」と言われたが、五代藩主・山内豊房が現在の高知市を流れる川に鏡川を名付けたから、本川は「物部川」へ改められた。「鏡川」の由来となる「鏡野」は「香美郡」の別名で、土御門上皇が流刑先の畑(幡多郡)から阿波国へ移った途中に、物部川を見て現地の人に「ここはどこか」と尋ねたら、「かがみの」と答えたからだと思われる[3]。
「物部川」の「物部」は飛鳥時代の物部氏の勢力の名残に由来すると言われる[4]。『和名類聚抄』によると、香美郡南部、物部川下流右岸の地には「物部郷」があり、旧三島村一帯(現南国市物部付近)が郷域であると見られる[5]。
自然

地形
物部川は標高1,770mの白髪山をその源としており、永瀬ダムまでの上流地域は標高500mを超える急峻な起伏山地に囲まれているため、V字の渓谷を形成している[6]。永瀬ダムより下流は物部川の特長とも言える河岸段丘地形が続き、杉田ダムより下流は広い扇状地が形成され、香長平野と呼ばれる平野部広がっている[6]。特に右岸側は扇状地性低地が形成されているため、想定氾濫区域としては流域外にまで拡がっている[7]。また、全国有数の急流河川であるため、洪水時は短時間で急激に水の流出量が増加する傾向がある[7]。砂礫供給によって河口付近の海岸線では発達した浜堤が形成されている[6]。
地質
物部川は本川上流部の流路に沿って仏像構造線が走っているため、地質特性は本川左岸側の四万十帯と本川右岸側の秩父帯に区分される[8]。四万十帯は中生代の砂岩がち互層から構成されているのに対し、秩父帯では古生代から中生代の泥岩、砂岩がち互層や凝灰岩層等が帯状に分布している[8]。また、下流部の扇状地では氾濫によって運ばれた砂礫が層を形成しており、河口付近ではかつて浜堤によって水流が遮断され、潟湖が形成されていたため、軟弱地盤となっている[8]。
気候
太平洋岸式気候に属し、年間平均気温17度程度の温暖な気候となっている[9]。6月から9月にかけて集中して降雨するため、流域内の年間平均降水量は山間部で2,800mm、平野部で2,400mmを越える多雨地域でもある[9]。
植生分布
上流から中流にかけてスギ、ヒノキが分布し、最上流部には加えてブナやシイノキが分布する[10]。源流部の白髪谷は清澄な水質が維持され、天然記念物であるニホンカモシカをはじめとした哺乳類やムカシトンボ、カワセミなどが豊かに生息している[11]。また、標高800m以上の渓流ではオオダイガハラサンショウウオやハコネサンショウウオ等の生物が生息している[11]。永瀬ダムまでの上流区間では清水性種のアマゴやタカハヤなどが確認されている[11]。
永瀬ダムを下るとヒヨドリ、ニホンザル、オオムラサキ等が生息する落葉樹林地帯が広がり、河道沿いには棚田が広がっている[12]。吉野ダム、杉田ダムといったダム区間では水位変動の影響により水生生物の種類は少ない[12]。この区間では遊魚用にアユやコイなどの放流が行われているほか、カワムツ、オイカワ、ウグイ、アマゴなどが生息している[12]。下流域では土砂の堆積により自然裸地が減少し、ツルヨシ等の草地やアカメヤナギやエノキ等の高木林が発達している[13]。林冠・林縁・林床などの多様な環境に多種の昆虫類がすみ分けて生息し、人目に触れにくいことからタヌキやサギ、ホオジロ、アオジ等の生物が確認されている[13]。
交互砂州が形成されている地域ではヒバリやスズメなどの小鳥が生息しており、特に戸板島橋の橋梁はイワツバメの集団繁殖地として県下でも知られている[14]。魚類ではアユやヌマチチブなどの両側回遊魚が遡上して生息している[15]。河口付近の砂礫地ではコアジサシやコチドリ等の集団繁殖地が確認されている他、水域ではボラ、マハゼ等の汽水魚が生息する[15]。
河川景観
急峻な地形が織り成す渓谷や江戸時代初期に野中兼山が築いた山田堰によって形成された平野部など、物部川は特徴的な河川景観が複数存在する。紅葉の名所としても知られる原流域に位置する清流と奇岩が連続する別府峡谷では屏風岩、アイノウ釜、紅香橋、ネジレ滝などが名所として知られている[16]。また、三嶺や白髪山登山の入り口となる上韮生川上流にある西熊渓谷は四季折々の渓谷を見ることが出来る[16]。日比原川の渓谷にある轟の滝は落差82mの三段に流れ落ちる瀑布で、紅葉の景勝地として知られており、県の天然記念物及び名勝指定がなされている他、「日本の滝100選」にも選ばれている[16]。
その他、下流の6堰を統合して1966年に作られた町田堰は、夏場にバーベキューやキャンプ等で賑わいを見せ、土佐藩家老・野中兼山が開いた用水路である兼山の三又は、昔ながらの石積みを残しており、散歩やハイキングコースとして利用されている[17]。1995年に完成した桜づつみ公園は市民の憩いの場として開放され、隣接する吉川村天然色劇場は野外劇場としては四国一の規模を誇っている[17]。
歴史
流域の遺構と歴史

物部川河口部に広がる高知県最大の平野である香長平野では弥生時代から人類が定住していたとみられる遺跡や古墳が各地に残されている[18]。中でも南国市の田村遺跡群は高知県を代表する遺跡のひとつであり、80基にのぼる古墳の他、弥生時代の竪穴建物や掘立柱建物、水田などが発掘された[18]。また飛鳥時代には物部氏の勢力圏下であったと考えられており、香美市内には同氏を祭る若一王子宮がある[4]。平安時代初期には国府が置かれ、紀貫之が国府として同地を治め、都への官道が開かれるなど、発展を見せた[18]。江戸時代に入ると、土佐藩家老の野中兼山が後免地区を中心に用水路を建設して農産業の振興を図り、今日の基礎を築いた[18]。用水路は舟運にも利用され、物部上流の槇山、韮生方面から木材・薪炭・穀物を運び、高知城下の商品を山間部へ運ぶ役割を果たした[18]。これにより下流部の神母ノ木は人の往来が活発化し、宿場町として繁栄を見せた[18]。また、兼山は治水対策にも着手しており、旧川に山田堰を築いたことで農作物の生産性を高めた[18]。山田堰は1973年に物部合同堰が完成するまで、堤防としてその役目を果たし、現在は跡地の一部が記念公園として整備されている[18]。
流域の自治体
並行する交通
道路
利水施設
- 永瀬ダム(高知県香美市香北町永瀬/香美市物部町柳瀬)
脚注
- ^ a b c 国土交通省 p.1
- ^ “奥物部県立自然公園の概要と見所”. 高知県. 2024年11月28日閲覧。
- ^ “今明かされる香美の由来”. 創刊号記念特集2 香美史探訪記 第59回. 香美市. pp. 24-25. 2019年9月7日閲覧。
- ^ a b 国土交通省 p.23
- ^ “香美郡物部郷(高知県) - 千年村プロジェクト”. mille-vill.org. 2019年9月7日閲覧。
- ^ a b c 国土交通省 p.3
- ^ a b 国土交通省 p.4
- ^ a b c 国土交通省 p.5
- ^ a b 国土交通省 p.6
- ^ 国土交通省 p.9
- ^ a b c 国土交通省 p.10
- ^ a b c 国土交通省 p.12
- ^ a b 国土交通省 p.13
- ^ 国土交通省 p.14
- ^ a b 国土交通省 p.15
- ^ a b c 国土交通省 p.21
- ^ a b 国土交通省 p.22
- ^ a b c d e f g h 国土交通省 p.23
参考文献
- 国土交通省四国地方整備局河川部-『流域概要紹介-物部川』
外部リンク
- 国土交通省 高知河川国道事務所
- 滝・川・渓谷 - ウェイバックマシン(2004年2月8日アーカイブ分)
- 物部川漁業協同組合
- 物部川清流保全計画
固有名詞の分類
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