物部川とは? わかりやすく解説

ものべ‐がわ〔‐がは〕【物部川】

読み方:ものべがわ

高知県東部流れる川。四国山地中央部白髪(しらが)山東斜面に源を発して南西流し穀倉地帯の香長(かちょう)平野高知平野東半部)を流れ香南(こうなん)市吉川(よしかわ)で土佐湾に注ぐ。長さ71キロ香美(かみ)市物部町で物部川水系の上韮生(かみにろう)川を合流して物部川本流となる。中流域河岸段丘発達している。


物部川

歴史的景観素敵な土佐急流 物部川
物部川は、高知県白髪山標高1,770m)にその源を発し中・上流域にかけて山地囲まれ峡谷をほぼ南西流れ土佐山田町山地離れたのち香長平野南流して土佐湾注いでます。高知県においては四万十川仁淀川に次ぐ流路延長71km、流域面積508km2第3河川です。

物部川を河口から望む
物部川を河口から望む

河川概要
水系物部川水系
河川名物部川
幹川流路延長71km
流域面積508km2
流域内人40,000
流域関係都県高知県

物部川流域図
○拡大図
1.物部川の歴史
"物部川流域下流部広がる香長平野には、早くから人が住み弥生時代には既に稲作が行われていたと言われています。
荒れであった物部川は、野中兼山(1615~1663)の時代になって山田堰灌漑水路整備され高知県最大穀倉地帯、また流通経路として発達してきました。"

物部川流域下流部広がる香長平野には、早くから人が住み弥生時代紀元前3世紀頃から後3世紀頃まで)には既に稲作が行われていた(田村遺跡と言われ古くから物部川を水源とした灌漑用水受益地であると同時に物部川の氾濫域でもあります古代土佐国府は物部川流域におかれ、平安初期には歌人として知られる紀貫之国司としてこの地に留まり香長平野土佐政治文化の中心地となりました

野中兼山像
野中兼山
物部川は河口から約13km上流杉田ダム付近を境として、その上部分太古の昔から現河道大きな違いはありませんが、その下流河道今日はまった一変してます。特に山田堰付近から下流については屈曲蛇行分流合流繰り返し洪水のたびに主流の変わる荒れ川でした。

物部川がその姿を整え始めたのは、江戸時代前期土佐藩家老野中兼山(1615~1663)の時代になってからです。兼山が手がけた灌漑水路は、舟入川によって浦戸湾まで続く大運河となり上流山林資源海辺魚介類運ばれ上下のみならず物部川流域圏外との交流深める流通経路としても発達してきました

今は無き山田堰(土佐市民図書館蔵)
今は無き山田堰
土佐市図書館
物部川流域で最も特筆されるべきものとして、河口から約10km上流の物部川本流灌漑用として設けられ山田堰挙げられます。山田堰は、松材約4本、石材1,100坪を用い長さ180間(327m)、幅6間(11m)、高さ5尺(1.5m)の大規模なものでした。この大事業により農作物生産性飛躍的に高まり、「年にお米2度取れる」と俗謡歌われる香長平野美田誕生し高知県最大穀倉地帯となりました

物部川緑地公園(山田堰遺構)
物部川緑地公園山田堰遺構
山田堰兼山築造後約340年間の長期にわたり、恵みとして香長平野潤してきましたが、上流完成した合同堰(昭和48年完成)に役目譲り撤去されることとなりました。しかし、貴重な文化財であることから、高水敷内の山田堰はその一部残して保存することとなり、物部川緑地公園として整備されています。
2.地域の中の物部川
"物部川はアユ代表される多くなど多く生き物のすみかであり、ふるさと景色を形づくっています。河口ではサーフィンが盛んで、家族カップル憩いの場としても親しまれています。
流域では伝統的な大凧上げ大会など様々なイベント催されています。 また、物部川ふるさとの川整備事業として良好な水辺空間形成はかってます。"


物部川はアユ代表される多くや、四季折々に姿を見せなど多く生き物のすみかであり、水の流れ川岸樹木ふるさと景色を形づくっています。
また、流域構成する市町村は1市4町2にわたり、近年下流市町村中心に県と高知市ベッドタウンとして都市化の進展見られ当地域には高知龍馬空港位置し高知県玄関としても重要な地域です。
物部川河口
物部川河口
天然色劇場
天然色劇場

高知龍馬空港隣接する物部川河口部右岸側は、飛行機離着陸観覧できる絶好ロケーションとなっており、多く家族カップル憩いの場となってます。左岸側には桜づつみ天然色劇場整備され野外ライブ港まつりなど様々なイベント催されています。また、物部川河口サーフスポットとして有名であり、多く愛好家楽しんでます。

河口から4km上流野市町河川敷では、旧正月江戸時代から伝わる土佐保存のため凧揚げ大会が行われ、大きさ100畳、重さ約270kgもの大凧が「よっしゃいくぞ」のかけ声とともに宙に舞い上がります

野市の大凧
野市大凧
物部川河川敷には自然の広場南国湧水池深渕親水テラス・スポーツ広場、物部川せせらぎ水路山田堰遺構の物部川緑地公園サイクリングロード(約4km整備済み)が整備され歴史的景観風情楽しめる空間残されているとともに花火大会ゲートボール大会などのイベントスポーツレクリエーションなど市民憩い広場としても活発に利用されています。南国湧水池深渕親水テラス・スポーツ広場では川の通信簿平成15年実施)で4つ星獲得しました

統合堰
統合
また、物部川ふるさとの川整備計画として、「物部川を軸としたふれあい交流」の促進ふるさと自然に親しめ安らぎ空間創出」「水の恵みに培われた歴史・文化継承」を基本理念とし、市町村が行町づくりと一体となってキャンプ場多目的広場休憩施設など良好な水辺空間形成はかってます。
3.物部川の自然環境
"物部川は高知県中央部位置し高知平野潤したのち土佐湾に注ぐ急流河川で、流域年間降雨量は約3,000mmにも達します河口部一帯は、シギ・チドリ類はじめとする多く渡り鳥移動時における中継地点となってます。"


物部川流域は、全国有数多雨地帯南四国のほぼ中央位置し流域内の平均降水量は約3,200mm程度達します
上流域
上流域
下流域
下流域

流域面積(508km2)のうち山地が約9割を占め平地は38km2に過ぎない典型的な山地河川です。上流から中流域にかけては急峻な山地囲まれV字型の渓谷呈し下流部においても山間部から急激に開けた扇状地平野流路蛇行する中流河川様相呈してます。急流河川である物部川は、下流部直轄管理区間)においても河床勾配急勾配(約1/290)のまま海に至っているため、感潮域河口から僅か0.7km程度と非常に短くなっています。

水質は、直轄区間3地点BOD平均値でみると、2002年が0.8mg/Lと良好な水質維持してます。

物部川源流域剣山国定公園指定されブナ林やモミ・ツガ等の天然林分布しクマタカオオダイガハラサンショウウオや国の特別天然記念物であるニホンカモシカ等が生息してます。

ミゾコウジュ
ミゾコウジュ
下流域直轄管理区間)においても多様な生物確認されており、植物扇状地特有の礫質な環境成立する草地低木植生構成種主体で、代表的な植物としてはカワラヨモギツルヨシヤナギ等で、特定種はタコノアシミゾコウジュ等が確認されています。

カマキリ
カマキリ

魚類これまで76種が確認され代表的な魚種ボラオイカワウグイアユ等で、カマキリボウズハゼ等の特定種も確認されています。

セイタカシギ
セイタカシギ
鳥類は、セイタカシギミサゴ等の特定種が確認され下流域には鳥類集団繁殖地渡り鳥中継地点あります河川区域内のヨシ群落オオヨシキリセッカ集団繁殖地河口部砂礫地は以前からコアジサシ集団繁殖地河口部一帯は広い河川空間多様な環境存在するため、シギ・チドリ類はじめとする多く渡り鳥移動時における中継地点となってます。
4.物部川の主な災害


発生発生原因被災市町村被害状況
昭和47年7月梅雨前線 土佐山田町南国市
野市町吉川村
香我美中央部陥没
床下浸水144戸  ほか
平成10年9月秋雨前線 土佐山田町南国市
野市町吉川村
支川片地川破堤による死者1名 ほか

(注:この情報2008年2月現在のものです)

物部川

読み方:モノベガワ(monobegawa)

所在 兵庫県

水系 洲本川水系千草川


物部川

読み方:モノベガワ(monobegawa)

所在 高知県

水系 物部川水系

等級 1級


物部川

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/28 14:10 UTC 版)

物部川
物部川(新在所橋から下流側)
水系 一級水系 物部川
種別 一級河川
延長 71 km
平均流量 24.6 m3/s
(深渕観測所 2000年)
流域面積 508 km2
水源 白髪山(高知県)
水源の標高 1,769.7 m
河口・合流先 土佐湾(高知県)
流域 日本 高知県

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物部川(ものべがわ)は、高知県香美市白髪山を水源とし、大小の支流34の河川を合わせつつ土佐湾に注ぐ一級河川。高知県中部を流域として、南国市、香南市、香美市をまたぐ流域面積508平方キロメートルの河川であり、山地が流域の約88%を占める[1]。物部川の上流域は奥物部県立自然公園に指定されており、その北部は剣山国定公園に接している[2]。流域内では高知龍馬空港や高知市への国道等が整備されており、交通の要衝となっているほか、高知県最大の穀倉地帯である香長平野を含むため、野菜を中心とする施設園芸や稲作も盛んに行われている[1]。河川延長は幹河71km、支河219kmの290km、流域内人口は約4万人[1]

地理

高知県香美市物部町久保影の剣山地・白髪山(しらがやま、標高1769,7m)の東面に源を発し南流。香美市物部町別府で南西に向きを変え、高知平野東部を流れ香南市吉川町吉原で土佐湾に注ぐ。

名称の由来

古くは「鏡川」と言われたが、五代藩主山内豊房が現在の高知市を流れる川に鏡川を名付けたから、本川は「物部川」へ改められた。「鏡川」の由来となる「鏡野」は「香美郡」の別名で、土御門上皇流刑先の畑(幡多郡)から阿波国へ移った途中に、物部川を見て現地の人に「ここはどこか」と尋ねたら、「かがみの」と答えたからだと思われる[3]

「物部川」の「物部」は飛鳥時代物部氏の勢力の名残に由来すると言われる[4]。『和名類聚抄』によると、香美郡南部、物部川下流右岸の地には「物部郷」があり、旧三島村一帯(現南国市物部付近)が郷域であると見られる[5]

自然

永瀬ダム

地形

物部川は標高1,770mの白髪山をその源としており、永瀬ダムまでの上流地域は標高500mを超える急峻な起伏山地に囲まれているため、V字の渓谷を形成している[6]。永瀬ダムより下流は物部川の特長とも言える河岸段丘地形が続き、杉田ダムより下流は広い扇状地が形成され、香長平野と呼ばれる平野部広がっている[6]。特に右岸側は扇状地性低地が形成されているため、想定氾濫区域としては流域外にまで拡がっている[7]。また、全国有数の急流河川であるため、洪水時は短時間で急激に水の流出量が増加する傾向がある[7]。砂礫供給によって河口付近の海岸線では発達した浜堤が形成されている[6]

地質

物部川は本川上流部の流路に沿って仏像構造線が走っているため、地質特性は本川左岸側の四万十帯と本川右岸側の秩父帯に区分される[8]。四万十帯は中生代の砂岩がち互層から構成されているのに対し、秩父帯では古生代から中生代の泥岩、砂岩がち互層や凝灰岩層等が帯状に分布している[8]。また、下流部の扇状地では氾濫によって運ばれた砂礫が層を形成しており、河口付近ではかつて浜堤によって水流が遮断され、潟湖が形成されていたため、軟弱地盤となっている[8]

気候

太平洋岸式気候に属し、年間平均気温17度程度の温暖な気候となっている[9]。6月から9月にかけて集中して降雨するため、流域内の年間平均降水量は山間部で2,800mm、平野部で2,400mmを越える多雨地域でもある[9]

植生分布

上流から中流にかけてスギヒノキが分布し、最上流部には加えてブナシイノキが分布する[10]。源流部の白髪谷は清澄な水質が維持され、天然記念物であるニホンカモシカをはじめとした哺乳類やムカシトンボカワセミなどが豊かに生息している[11]。また、標高800m以上の渓流ではオオダイガハラサンショウウオハコネサンショウウオ等の生物が生息している[11]。永瀬ダムまでの上流区間では清水性種のアマゴタカハヤなどが確認されている[11]

永瀬ダムを下るとヒヨドリニホンザルオオムラサキ等が生息する落葉樹林地帯が広がり、河道沿いには棚田が広がっている[12]。吉野ダム、杉田ダムといったダム区間では水位変動の影響により水生生物の種類は少ない[12]。この区間では遊魚用にアユコイなどの放流が行われているほか、カワムツオイカワウグイ、アマゴなどが生息している[12]。下流域では土砂の堆積により自然裸地が減少し、ツルヨシ等の草地やアカメヤナギエノキ等の高木林が発達している[13]。林冠・林縁・林床などの多様な環境に多種の昆虫類がすみ分けて生息し、人目に触れにくいことからタヌキサギホオジロアオジ等の生物が確認されている[13]

交互砂州が形成されている地域ではヒバリスズメなどの小鳥が生息しており、特に戸板島橋の橋梁はイワツバメの集団繁殖地として県下でも知られている[14]。魚類ではアユやヌマチチブなどの両側回遊魚が遡上して生息している[15]。河口付近の砂礫地ではコアジサシコチドリ等の集団繁殖地が確認されている他、水域ではボラマハゼ等の汽水魚が生息する[15]

河川景観

轟の滝

急峻な地形が織り成す渓谷や江戸時代初期に野中兼山が築いた山田堰によって形成された平野部など、物部川は特徴的な河川景観が複数存在する。紅葉の名所としても知られる原流域に位置する清流と奇岩が連続する別府峡谷では屏風岩、アイノウ釜、紅香橋、ネジレ滝などが名所として知られている[16]。また、三嶺や白髪山登山の入り口となる上韮生川上流にある西熊渓谷は四季折々の渓谷を見ることが出来る[16]。日比原川の渓谷にある轟の滝は落差82mの三段に流れ落ちる瀑布で、紅葉の景勝地として知られており、県の天然記念物及び名勝指定がなされている他、「日本の滝100選」にも選ばれている[16]

その他、下流の6堰を統合して1966年に作られた町田堰は、夏場にバーベキューやキャンプ等で賑わいを見せ、土佐藩家老・野中兼山が開いた用水路である兼山の三又は、昔ながらの石積みを残しており、散歩やハイキングコースとして利用されている[17]。1995年に完成した桜づつみ公園は市民の憩いの場として開放され、隣接する吉川村天然色劇場は野外劇場としては四国一の規模を誇っている[17]

歴史

流域の遺構と歴史

山田堰跡(高知県香美市
高知県指定史跡。後背に物部川。

物部川河口部に広がる高知県最大の平野である香長平野では弥生時代から人類が定住していたとみられる遺跡や古墳が各地に残されている[18]。中でも南国市の田村遺跡群は高知県を代表する遺跡のひとつであり、80基にのぼる古墳の他、弥生時代竪穴建物掘立柱建物、水田などが発掘された[18]。また飛鳥時代には物部氏の勢力圏下であったと考えられており、香美市内には同氏を祭る若一王子宮がある[4]。平安時代初期には国府が置かれ、紀貫之が国府として同地を治め、都への官道が開かれるなど、発展を見せた[18]。江戸時代に入ると、土佐藩家老の野中兼山が後免地区を中心に用水路を建設して農産業の振興を図り、今日の基礎を築いた[18]。用水路は舟運にも利用され、物部上流の槇山、韮生方面から木材・薪炭・穀物を運び、高知城下の商品を山間部へ運ぶ役割を果たした[18]。これにより下流部の神母ノ木は人の往来が活発化し、宿場町として繁栄を見せた[18]。また、兼山は治水対策にも着手しており、旧川に山田堰を築いたことで農作物の生産性を高めた[18]。山田堰は1973年に物部合同堰が完成するまで、堤防としてその役目を果たし、現在は跡地の一部が記念公園として整備されている[18]

流域の自治体

高知県
香美市香南市南国市

並行する交通

道路

  • 国道195号 - 高知・徳島両県を結ぶ。徳島県側では同じく四国地方整備局2006年水質調査で清流四国首位となった那賀川に平行。

利水施設

  • 永瀬ダム(高知県香美市香北町永瀬/香美市物部町柳瀬)

脚注

  1. ^ a b c 国土交通省 p.1
  2. ^ 奥物部県立自然公園の概要と見所”. 高知県. 2024年11月28日閲覧。
  3. ^ 今明かされる香美の由来”. 創刊号記念特集2 香美史探訪記 第59回. 香美市. pp. 24-25. 2019年9月7日閲覧。
  4. ^ a b 国土交通省 p.23
  5. ^ 香美郡物部郷(高知県) - 千年村プロジェクト”. mille-vill.org. 2019年9月7日閲覧。
  6. ^ a b c 国土交通省 p.3
  7. ^ a b 国土交通省 p.4
  8. ^ a b c 国土交通省 p.5
  9. ^ a b 国土交通省 p.6
  10. ^ 国土交通省 p.9
  11. ^ a b c 国土交通省 p.10
  12. ^ a b c 国土交通省 p.12
  13. ^ a b 国土交通省 p.13
  14. ^ 国土交通省 p.14
  15. ^ a b 国土交通省 p.15
  16. ^ a b c 国土交通省 p.21
  17. ^ a b 国土交通省 p.22
  18. ^ a b c d e f g h 国土交通省 p.23

参考文献

外部リンク




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