試合規定の変遷
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1885年(明治18年)-1888年(明治21年) - 警視庁において警視庁武術大会が行われる。規定についての明確な資料は残されていない。 1888年(明治21年) - 嘉納治五郎が使用した柔道講義用ノート『柔道雑記』に、投技として、手業(手技)6種、腰業(腰技)9種、足業(足技)13種、真捨身業(真捨身技)6種、横捨身業(横捨身技)7種、固技として、手固(指関節技・手首関節技・肘関節技)9種、足固(足関節技)3種、体固(抑込技)9種、首固(首関節技)9種、裸絞(絞技)11種の記載。 1895年(明治28年) - 大日本武徳会が設立され、武徳祭において毎年、大演武会と武術大会が行われる。武術大会における乱捕り試合規定は試合ごとの申し合せで決められていたとされる。 1899年(明治32年) - 大日本武徳会において大日本武徳会柔術試合審判規程または規定制定。規定制定委員長の嘉納治五郎の原案を元に、講道館を含む10名の古流柔術家の委員によって評議、決定される。二本先取の三本勝負を採用する。この規程と翌年定められた講道館柔道乱捕試合審判規程制定にて柔術=柔道の通常乱捕り試合時の各種禁じ手も設けられる。手首、手足の指関節技への関節技が禁止技となった。技あり合せて一本の技ありの回数は審判の裁量に。抑込一本の秒数は審判の裁量に。関節技・絞技において、見込み一本も認められていた。書籍『最新スポーツ大事典』によると足首への関節技は認められていた。一方、書籍『柔道大事典』によると禁じられていた。同書によると胴絞、足緘、首関節技も禁じられていた。 1900年(明治33年) - 講道館柔道乱捕試合審判規程または規定制定。手足の指関節技、足取緘など足首への関節技が禁止技となった。関節技・絞技において、見込み一本も認められていた。 1916年 - 講道館柔道乱捕試合審判規程改正。足緘、胴絞は禁止となった。 1919年以降、大日本武徳会柔術試合審判規定が大日本武徳会柔道試合審判規定に改称。 1924年(大正13年) - 「引き込み」を禁止。それまで二本先取で勝敗を決する「三本勝負」で行われていた柔道試合を一本勝負で決する審判規程変更。 1924年(大正13年) - 武徳会柔道試合審判規定および1925年、講道館柔道乱捕試合審判規程で縦方向からも横方向からでも相手を水平に相当の高さに巧みに持ち上げた場合は審判の見込みで投げ落とすことをやめさせ、持ち上げたる者を勝者にすることに。(抱上一本) 1925年(大正14年) - 書籍『最新スポーツ大事典』によると、武徳会、足緘を禁止技に。三本勝負を一本勝負に変更。 1926年までに腕の関節以外の関節技は禁止技に。 1929年(昭和4年) - 御大礼記念天覧武道大会柔道乱捕試合規程、審判員3人、姿勢・態度・技術等の基準による「優勢勝ち」制定。 1935年(昭和10年) - フランスにおいて川石酒造之助が川石メソッドを使用して柔道の教授。そこでは投技として手技、腰技、足技、捨身技の分類以外に肩技の分類の使用、また固技として抑込技、絞技、肘の関節技以外に、手首関節技、足関節技、首関節技の採用。 1941年(昭和16年)、講道館柔道乱捕試合審判規程で、抱上について、相手が仰向けならば体勢は問わず、投げ落とすことは禁止、と改正された。主審の主観で決めていた抑込一本の時間を30秒に統一。固め技での「技あり」が抑込技のみに。また固技に関して、従来立技からかけることを禁止されていたのを「立ちたるまま絞技、関節技を掛け、技が相当の効果を収めた場合に限り」寝技に移れる旨改正され、立った状態からの固技を認めるようになった。 1942年(昭和17年) - 大日本武徳会が改組される。1943年(昭和18年)、新武徳会柔道試合審判規定において柔道試合の戦技化が意図される。条件付きであるが当身技の使用を認める条項の追加。(一)等外者は肘関節、(二)有等者は肘関節、手首関節、足首関節、(三)称号受有者は脊柱関節を除く全関節、として等級称号によって制限はあるが、脊柱以外の全ての関節への攻撃が許される関節技の緩和。 1945年(昭和20年) - 日本の敗戦に伴い武道禁止令。1946年(昭和21年) - 大日本武徳会解散。1949年(昭和24年) - 全日本柔道連盟の発足。1950年(昭和25年) - 文部省からGHQに学校柔道復活に関する文部大臣請願書の提出。戦時中に行われた当身技、関節技等の中で危険と思われる技術を除外する内容で学校柔道の復活の旨。 1950年(昭和25年) - 国際柔道協会(プロ柔道)発足。指、足首、手首、肩などへの関節技を認めるルールを採用。同年内に解散。 1951年(昭和26年) - 審判規程の名称をそれまでの「講道館柔道乱捕試合審判規程」から「講道館柔道試合審判規程」に改称。審判規程の改正。新しい競技規程として試合場、柔道衣の規格規程。関節技・絞技において、「参った」がなくても気絶、骨折、脱臼があった時は一本に。見込み一本はなし。抱上一本について持ち上げる高さを「おおよそ肩の高さ」に改正。「技あり」に近い技への評価、スコアとして「有効」を採用。「優勢勝ち」の基準制定。「技あり」、「有効」の数は絶対ではなかったが「技あり」については数が多いものがほとんど勝ちとなっていた。明確でなかった抑込技での「技あり」の時間が25秒とされた。 1955年(昭和30年) - 講道館柔道試合審判規程改正、「技あり」後の「抑え込み」25秒で合わせ技一本等。 1957年(昭和32年) - 講道館柔道試合審判規程改正。「技あり」と「警告」による勝ちを「総合勝ち」とする。 1962年 - 講道館柔道試合審判規程準改正。抑え込みだけでなく、寝技全般でも場外に出そうな場合は「そのまま」宣告からで場内に引き入れることとした。 1966年(昭和41年)3月1日 - 「講道館柔道試合審判規程」から「講道館柔道試合審判規定」に改称。投げられた者の全身が場外に出ても投げのスコアが認められるようになった。原則は取れないが大会によっては関節技、絞技で見込み一本が取れるように一部復活。 1967年(昭和42年) - IJF試合審判規定(国際規定)が制定。見込み一本はなしに。 1974年(昭和49年) - 国際規定改正に。投げ技へのスコアとして「有効」「効果」を採用。 1975年(昭和50年) - ウィーン世界選手権から「効果」を採用。 1980年 - 講道館試合審判規定改正。女子に関する規定を追加。習慣だった白Tシャツ着用義務を明文化。白線入り帯着用。見込み一本ができることに。 1981年 - 国際規定で抱上ではスコアがとれないことに。 1981年までに講道館試合審判規定で体を一挙に捨てる腕挫腋固が警告または反則負けに。自ら頭から突っ込む投技が反則負けに。 1982年(昭和57年) - 講道館試合審判規定・少年規定。 1985年 - 講道館試合審判規定改正。女子で蟹挟が禁止となった。罰則は「警告」となった。抱上一本が削除に。 1989年 - 講道館試合審判規定改正。成年男子でも蟹挟を各大会主催者の判断で禁止することが可能に。罰則は「警告」となった。 1993年 - 国際規定で講道館規定に合わせる形で柔道衣を口で噛む行為が指導に。 1994年までに 、国際規定で男女で蟹挟は禁止技となった。罰則は「警告」となった。 1995年(平成7年) - 講道館試合審判規定改正。女子も男子に合わせ一部の大会を除き原則、見込み一本はとらなくなった。 1997年(平成9年) - IJF総会でブルー柔道衣導入可決。国際規定で抑込技が25秒で一本に。 1998年までに国際規定において、抑え込み中に、抑え込まれている者が、相手の脚を上からでも両脚で挟むことができた場合、「解けた」となる[要出典]。一方、2004年まで現役だった瀧本誠は、自身が現役のころはこれでは「解けた」にならない規定だった、としている。 1998年(平成10年) - 国際規定で抑込技裏固が無効に。蟹挟と倒れ込む腕挫腋固の罰則が「反則負け」に変更。蟹挟は重大な違反の一つ「特に頸や脊椎・脊髄など、相手を傷つけたり危害を及ぼしたり、あるいは柔道精神に反するような動作をする。」の附則で禁止された。(2018年、本則に明記) 1998年(平成10年) - IJF公式大会として初めてブルー柔道衣採用される。ワールドカップ(ミンスク)。 2000年(平成12年) - 福岡国際女子柔道選手権大会で全柔連初の審判ビデオ試行。 2001年までに国際規定改正。関節技などで脱臼、骨折の場合は主審がまだ戦闘能力があると見なされれば一本はとらないことになった。 2003年(平成15年) - 世界選手権大会の女子のシニア試合時間を5分に。国際規定の罰則を「指導」と「反則負け」に二分化。延長戦「ゴールデンスコア」採用。 2008年(平成20年) - 国際規定でスコアの「効果」を廃止。(2009年1月実施) 2009年(平成21年)10月 - 国際規定において双手刈・朽木倒等の脚掴み技を禁止ではないが制限される。1度目は指導、2度目は反則負けに。 2010年(平成22年) - 国際規定で両者とも相手を持っていない状態からのいきなりの「抱きつき」 (bear hug) を規制。脚掴み技を1度目で反則負けに。 2013年(平成25年) - 2013年2月のグランドスラム・パリから8月のリオデジャネイロ世界選手権までの期間、国際規定において畳上1人審判制、ピストルグリップやクロスグリップや帯を持った場合は即座に攻撃しなければ指導が与えられる変則組み手や組み手争いに対する罰則強化、帯から下を掴む行為脚掴みの全面禁止、旗判定の廃止、抑込技の時間短縮、抑込技裏固復活などの大幅なルール改正案が試験導入されることに決まった。この結果を検証して、正式導入されるか改めて協議されることになる。 2014年までに国際規定において両手で相手の上衣を掴んでいる場合は腕が相手の脚に触れても脚掴みの反則にはならないことに。 2014年(平成26年) - 2014年1月のコンチネンタルオープンから新たなIJF試合審判規定が導入されることになった。相手の片腕と頭部を両腕で抱える肩三角グリップに立ち姿勢でなった場合は「待て」に。寝姿勢でも肩三角グリップから相手の胴を両脚で挟んだら「待て」に。立ち姿勢、寝姿勢の区別が変更に。背か腹か両手腕両膝を畳についていなければ立ち姿勢の相手が直ちに投げられればスコアの対象に。この時も立ち姿勢の相手への脚掴みも禁止。膝をついてる相手の後頭部や背に脚を掛けて返して背を着かせた場合は横三角固などの固め技とみなされ投げ技のスコアは与えられない。両者が両膝をついてる場合は寝姿勢あつかいのまま。立ち姿勢の自身や相手の上衣の裾を故意に帯から出す行為が指導に。 2015年までに国際規定において、帯より下の帯に入った上衣の裾掴みも脚掴みに含まれ反則負けに。 2016年 - 国際規定において立ち姿勢で肩三角グリップから「待て」を無視して投げた場合は反則負けに。 2016年 - リオデジャネイロオリンピック女子57 kg決勝戦でラファエラ・シルバが袖を持った腕の肘で相手の脚を掬って技ありを取るが脚掴みの反則ではないか、と騒動になる。IJFは反則ではない、と見解を示す。 2017年(平成29年)までに国際規定において投げ技で両肘または両手で着地した場合、技ありに。片肘、臀部、または膝で着地したのち続いて直ちに背中をついた場合、技ありに。 2017年(平成29年) - 国際規定において以下のような新ルールが適用されることになった。男子の試合時間は女子と同じく4分間になった。有効が廃止されて技のスコアは一本と技ありのみ。技ありは従来の「有効」を含むため、いくら取っても一本にはならない(技あり合わせて一本の廃止)。本戦で技のスコアが入らない場合は例え指導を取っていても勝利にはならずゴールデンスコア方式(以下GSと表記)に突入する。GSでは技のスコアか、本戦終了時の指導数の差に変化が生じた時に決着する。ただし、本戦終了時点で、与えられた指導が多かった選手がGSにおいて相手の指導により勝利するためには、相手が2回、もしくは3回連続で指導を受けることが必要となる。指導は3度取られると反則負け。脚掴みは1度目が指導、2度目が反則負けに戻る。また、マウスピースの装着が認められることになった。 2017年(平成29年)- 講道館柔道試合審判規定改正。抑込技裏固、浮固が認められる。 2018年までに国際規定では立ち姿勢での肩三角グリップからの投げ技は「待て」の前でも反則負けに。投げ技において着地やスコアを逃れようと頭から畳に突っ込んだ場合、ヘッド・デフェンス (head defence)で反則負けに。 2018年(平成30年)- 国際規定において前年の暫定ルールに以下のような修正が加えられた。技あり2つで一本(技あり合わせて一本)が復活した。技によるスコアか反則勝ちのみで勝負が決することになり、従来のようにGSにおける指導決着は取り除かれた。 投げ技で着地から間がなく転がって背が着いた場合、一本に。間があって転がって背が着いた場合、技ありに。過度に間があった場合はノースコアに。 返し技において、畳に着地した際の衝撃を利用して返し技を仕掛けてもスコアにはならない。先に畳に背を付けてから返し技を繰り出してもスコアにはならない。 投げ技で片肩から片臀部、片臀部から片肩、腰回りを背を着かないで転がった場合、技ありに。 投げ技で片手ともう一方の肘をついた場合、技ありに。 一度、寝姿勢になっても立ち上がって投げられば投げ技のスコアの対象となる。 立ち姿勢での関節技、絞技が指導に、特に危険な場合は反則負けに。関節技、絞技での立ち姿勢、寝姿勢の区別は2013年より前と変更なく相手が膝をついていれば寝姿勢扱いで関節技、絞技を掛けることができる。したがって膝をついているが両手腕両膝、背、腹がついていない場合は立ち姿勢の相手から投げ技も固め技(関節技、絞技、抑込技)も仕掛けられ、さらには立ち姿勢の相手の脚を掴む防御もできない危機にあることに。 絞技、関節技において過度に相手の脚を伸ばした場合は指導に。 立ち姿勢の相手の上衣の裾を故意に帯から出す行為も指導に2014年からなっているはずが、全柔連発行の『2018年〜2020年国際柔道連盟試合審判規定』ではこの記載はなく対象は自身の上衣だけである。 脚掴みは通常の指導に変更される。(脚掴み指導2回での「反則負け」の廃止) リオデジャネイロオリンピックでの騒動に関連し、相手の襟や袖を持った手腕(主に肘)での動作は脚掴みの反則の対象とならないことを明らかにした。一方、全柔連発行の『2018年〜2020年国際柔道連盟試合審判規定』では「柔道衣を持っていなければ罰則にならない」と異なる記載をしている。 相手の上衣など相手をしっかり手で握っていない触っただけの後の「抱きつき」も指導に。相手が自らを持ってるだけで自らは相手を持っていない場合の「抱きつき」も指導に。 背負落、両袖を持った袖釣込腰、両手で襟を持った腰車などの際、頭から畳に突っ込むヘッド・デフェンスも故意でなければ両者とも反則とはならない。 寝技での不利な状況の選手に「指導」を与える場合と、寝技で医療行為が必要な場合に限定されていた主審の「そのまま」の宣告について、寝技なら必要な時いつでもできることに。 2019年までに国際規定において、帯と一緒に裾を掴むことは脚掴みにならず許されることに。 2019年3月8 - 10日に開催されたグランプリ・マラケシュより、国際規定では帯から外に上衣の裾(背部を含む)が出るなど試合中に柔道衣が乱れた場合は、待てが掛かった直後に選手自ら柔道衣を素早く整えなければならなくなった。それを怠って主審に2度注意された場合は指導が与えられる。なお、帯を解いて柔道衣を整える場合は、主審の指示や許可を得なければならない。 2019年11月のグランドスラム・大阪2019からIJF主催大会において「上衣の裾が臀部を完全に覆う」の検査が厳しくなる。 2020年 - 国際規定が以下のように変更。立ち姿勢での関節技が禁止になった2018年以降も投げ技のスコアが与えられていたり、指導が与えられなかったことがある 両者立ち姿勢での腕返が関節技とみなされ指導に。 頭から畳に突っ込んでも故意でなければ両者とも反則とはならない投げ技に背負投が加わる。 立ち姿勢の肩三角グリップから投げようとしただけで反則負けに。寝姿勢の肩三角グリップから立ち上がり投げようとした場合は「待て」となる。 投げ技で両肘または両手で着地した場合の技ありが「同時」に限定。片手ともう一方の肘の着地の技ありの場合は同時でなくてもよい。 相手の足を踏むことは「待て」に。1回目は指摘のみ、2回目は反則負けに。 2020年1月29日 - 全柔連が、国際規定では立ち姿勢の相手の上衣の裾を故意に帯から出す行為も指導、という旨の資料を発行。2014年からの規定であった。 2020年2月28日 - 全柔連が、国際規定では故意に相手の頭髪を掴んで技を仕掛ける行為を「待て」にとする資料を発行。1回目は指摘のみ、2回目は反則負けに。立ち姿勢の相手の上衣の裾を故意に帯から出す行為も指導、という旨の資料を再発行。さらには「今後は」とも記載されていた。実際は2014年からの規定で全柔連が派遣した松村颯祐の対戦相手キム・ミンジョンが2019年世界ジュニア柔道選手権大会でこれで指導を取られている。
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