瀧本誠とは?

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瀧本 誠

瀧本誠の画像 瀧本誠の画像
芸名瀧本 誠
芸名フリガナたきもと まこと
性別男性
生年月日1974/12/8
星座いて座
干支寅年
血液型A
出身茨城県
身長174 cm
体重83 kg
ブログURLhttp://ameblo.jp/takimoto-makoto/
プロフィール1974年茨城県岩井市生まれる。6歳で柔道始め柔道私学名門講道学舎』に入門する為、単身東京へ弦巻中学世田谷学園高校日本大学進み柔道打ち込む。そして、2000年シドニー五輪では下馬評を覆し、念願金メダル獲得した。2004年末には自分更なる可能性求め総合格闘技挑戦途中大きな怪我をするが、柔道時代からの不屈の精神で、引退する2009年までに全11試合戦い抜いた。引退後は『世田谷ジュニアアカデミー』の柔道アカデミー幼児・小学生礼儀柔道精神重要性遊び心、楽しむ気持ち等を指導し、柔道普及活動を行っている。競技経験から学んだビジネスマン向け講演土壇場で力を発揮する方法』や、ライフワークでもある子供との触れあいを大切にした親子柔道教室など多岐に渡る活動精力的にこなす。1男1女の父親
代表作品1フジテレビジャンクSPOTRS』
代表作品2映画『日本弁護士連合会裁判員制度PR映画「裁判員になりました~ニュース向こう側~」』(東郷清文役)
代表作品3年2010
代表作品3展示会イベントサッカーW杯2010 日本代表応援イベント』(トークゲスト)
職種スポーツ

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滝本誠

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瀧本誠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/31 03:24 UTC 版)

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瀧本誠
基本情報
ラテン文字 Makoto Takimoto
日本の旗 日本
出生地 茨城県岩井市
(現・坂東市
生年月日 (1974-12-08) 1974年12月8日(43歳)
身長 174㎝
体重 81kg
選手情報
階級 78kg級
81kg級
所属 柔道アカデミー
段位 四段
引退 2004年
 
獲得メダル
男子柔道
オリンピック
2000 シドニー 81kg級
アジア柔道選手権
1995 ニューデリー 78kg級
2000 東京 81kg級
2013年10月23日現在
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瀧本 誠
基本情報
本名 瀧本 誠
通称 飢狼柔道王
吉田道場の異端児
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1974-12-08) 1974年12月8日(43歳)
出身地 茨城県坂東市(旧岩井市
所属 吉田道場
身長 174cm
体重 81kg
階級 ミドル級
ウェルター級
バックボーン 柔道
テーマ曲 Hale no sola sita〜LA YELLOW SAMBA〜
PE'Z
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瀧本 誠(たきもと まこと、1974年12月8日 - )は、日本柔道家総合格闘家茨城県坂東市(旧岩井市)出身。柔道四段。2000年シドニーオリンピック柔道男子81kg級金メダリスト。

2000年シドニーオリンピックの際には、当時の柔道家では珍しい茶色に染めた髪、国歌斉唱時に手を胸に置く仕草などユニークなエピソードをマスコミに提供。「柔道界の異端児」とも評された。柔道家時代の得意技は、袖釣り込み腰内股

総合格闘技に転向・引退後、柔道指導者として活動している。

来歴

柔道

実家は青果店を経営。たまたま客に柔道の先生がいて誘われたのがきっかけで、6歳(小学1年)の時に柔道を始める[1]。中学入学と同時に上京、講道学舎に入門(吉田善行小斎武志大山峻護らが同期)。世田谷区立弦巻中学校世田谷学園高校日本大学を卒業。大学卒業後は日本中央競馬会に所属し、シドニーオリンピック柔道男子81kg級金メダリストとなった。

2002年に日本中央競馬会を退職し、フランスのクラブチーム「USオレルアン」所属となった。

2003年に帰国すると埼玉栄高校職員を務めながら、アテネオリンピック出場を目指すも、2004年4月4日の全日本選抜柔道体重別選手権大会(兼アテネオリンピック代表最終選考会)男子81kg級の決勝で塘内将彦に袖釣り込み腰で一本負けし、代表権を逃した。

総合格闘技

2004年12月7日、総合格闘家への転向、PRIDE参戦を表明。

2004年12月31日、総合格闘技デビュー戦となったPRIDE 男祭り 2004で相撲界から転向してきた戦闘竜と対戦。判定で勝利し、デビュー戦を勝利で飾る。試合後リング上で「今日、試合するまで、総合格闘技をなめてました。どうもすいませんでした」と発言した。

2005年6月26日、PRIDE GRANDPRIX 2005 2nd ROUND田村潔司と対戦し、判定負け。

2005年10月23日、PRIDE.30で同じく柔道出身のユン・ドンシクと対戦し、判定勝ち。瀧本は半袖の柔道着、ユンはスパッツ姿での対戦となった。

2005年12月31日、PRIDE 男祭り 2005菊田早苗と対戦し、判定負け。

2006年6月4日、PRIDE 武士道 -其の十一-で行なわれたウェルター級(-83kg)グランプリ1回戦でゲガール・ムサシと対戦し、ムサシのパンチで右眼窟底骨折し、ドクターストップ負け。

2007年4月8日、PRIDE.34ゼルグ・"弁慶"・ガレシックと対戦。苦しみながらも、チキンウィングアームロックで一本勝ち。

2007年12月31日、やれんのか! 大晦日! 2007ムリーロ・ブスタマンチと対戦し、僅差の判定勝ち。

2008年3月5日、戦極旗揚げ戦戦極 〜第一陣〜エヴァンゲリスタ・サイボーグと対戦し、アキレス腱固めで一本負け。

2008年8月24日、戦極 〜第四陣〜フランク・トリッグと対戦し、判定負け。試合後、「これはあまり言いたくないのですが、もう限界かなと思っています。」と発言した。

2009年5月2日、ウェルター級転向初戦となった戦極 〜第八陣〜マイケル・コスタと対戦し、ヒールホールドによる一本勝ち。試合後、「気持ちの上ではもうちょっと出来るかなと思っています」と発言した。

2010年3月16日、現役引退を発表[2]

引退後

2011年開校の世田谷区スポーツ振興財団世田谷ジュニアアカデミーにて「柔道アカデミー」の総合監修を務める[3]。2013年には早稲田大学スポーツ科学学術院社会人修士課程1年制の第7期生(2012年度卒業生)として修了[4]。柔道指導、柔道に関する講演や雑誌連載(『近代柔道』「誠が翔ける!」)のほか、2014年から駒澤大学で講師を務める[5]。2015年にはバラエティ番組「ぶっこみジャパニーズ」に出演。

私生活では、2005年に結婚し[6]、一男一女の父親[7]

戦績

総合格闘技 戦績
11 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
6 0 2 4 0 0 0
5 1 1 3 0
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
イ・ジェソン 5分3R終了 判定3-0 戦極 〜第十陣〜 2009年9月23日
マイケル・コスタ 1R 3:31 ヒールホールド 戦極 〜第八陣〜 2009年5月2日
× フランク・トリッグ 5分3R終了 判定0-3 戦極 〜第四陣〜 2008年8月24日
× エヴァンゲリスタ・サイボーグ 1R 4:51 アキレス腱固め 戦極 〜第一陣〜 2008年3月5日
ムリーロ・ブスタマンチ 2R(10分/5分)終了 判定2-1 やれんのか! 大晦日! 2007 2007年12月31日
ゼルグ・"弁慶"・ガレシック 1R 5:40 チキンウィングアームロック PRIDE.34 2007年4月8日
× ゲガール・ムサシ 1R 5:36 ドクターストップ(右眼窟底骨折) PRIDE 武士道 -其の十一-
【ウェルター級グランプリ 1回戦】
2006年6月4日
× 菊田早苗 3R(10分/5分/5分)終了 判定0-3 PRIDE 男祭り 2005 頂-ITADAKI- 2005年12月31日
ユン・ドンシク 3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0 PRIDE.30 STARTING OVER 2005年10月23日
× 田村潔司 3R(10分/5分/5分)終了 判定0-3 PRIDE GRANDPRIX 2005 2nd ROUND 2005年6月26日
戦闘竜 3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0 PRIDE 男祭り 2004 -SADAME- 2004年12月31日

獲得タイトル

  • 全国中学校大会 中量級 優勝(1989年)
  • インターハイ 中量級 優勝(1992年)
  • アジア選手権 78kg級 優勝(1995年)
  • 全日本学生体重別選手権大会 78kg級 優勝(1996年)
  • ドイツ国際 78kg級 優勝(1997年)
  • 全日本選抜柔道体重別選手権大会 81kg級 優勝(1997年)
  • 講道館杯日本体重別選手権大会 81kg級 優勝(1997年)
  • 講道館杯日本体重別選手権大会 81kg級 優勝(1998年)
  • 全日本選抜柔道体重別選手権大会 81kg級 優勝(1999年)
  • ドイツ国際大会 81kg級 優勝(2000年)
  • 全日本選抜柔道体重別選手権大会 81kg級 優勝(同大会2連覇)(2000年)
  • 2000年シドニーオリンピック 柔道 81kg級 優勝(2000年)
  • 講道館杯日本体重別選手権大会 81kg級 優勝(2001年)
  • 全日本選抜体重別選手権大会 81kg級 準優勝(2004年)

指導者の観点から

2012年11月、プロ野球球団の北海道日本ハムファイターズがドラフト1位指名した大谷翔平(花巻東高)と入団交渉した際、提示した資料「夢への道しるべ~日本スポーツにおける若年期海外進出の考察~」に、資料作成協力者として、日本ハム球団ホームページ内の資料に名前が記載されている[8]

脚注

関連項目

外部リンク


滝本誠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/14 13:28 UTC 版)

滝本 誠(たきもと まこと、1949年1月19日 - )は、日本の美術映画評論家編集者。特にデヴィッド・リンチ作品に造詣が深い。京都府福知山市出身。

東京藝術大学美術学部芸術学科卒業。平凡出版(のちのマガジンハウス)に入社し、『クロワッサン』『ダカーポ』『鳩よ!』『自由時間』『ブルータス』などの編集者をつとめながら、評論を発表する。

SF誌『月刊バルーン』(1979年9月 - 12月号)に「都筑明」名義で、フィリップ・K・ディック『バルカンの鎚』の翻訳を連載したが、雑誌の休刊で未完となった。

著作

  • 「映画の乳首、絵画の腓」ダゲレオ出版 (1990年)
  • 「美女と殺しとデイヴィッド-タキヤンの書き捨て映画コラム100連発+α」洋泉社 (1998年10月)
  • 「きれいな猟奇-映画のアウトサイド」平凡社 (2001年9月)
  • 「渋く、薄汚れ。フィルム・ノワールの快楽」フィルムアート社 (2006年5月)
  • 「コーヒーブレイク、デイヴィッド・リンチをいかが」洋泉社 (2007年6月)

共著

  • 「アート系映画徹底攻略 (Cine Lesson)」フィルムアート社 (1998年4月)

外部リンク



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